第7話 千代丸、生誕
元弘元年 十二月二十五日
鎌倉の冬は、霧と霜が町を覆う。鶴ヶ丘の山々が白く凍てつき、海からの風が石畳の道を刺すように吹き抜けるこの季節、幕府の中心地は静かに息を潜めていた。東勝寺の鐘が低く響き、僧たちが経を唱える。寺社は北条の庇護下にあり、鶴岡八幡宮の石段では神官たちが得宗の高時公に祈りを捧げる。市場は寒さで人気が少なく、商人たちが薪を焚きながら絹や香料、干物 を並べる。民衆は重税に耐え、霜月の粛清の記憶を噂する。「政村流が滅んだ」「次は誰だ」と。鎌倉の歴史は、血の冬を繰り返す。源頼朝が幕府を開いて以来、得宗専制が頂点に達した今、高時公の館は要塞のように石垣を高く積み、堀を深く掘り、内部で宴が続く。御内人たちが得宗の直属として、御家人を監視。政村流の粛清は、得宗の権力をさらに強めた。町の空気は重く、波音が不気味に響く七里ヶ浜は、古戦場の幽霊を呼び起こすようだ。
私は妊娠九ヶ月。腹が張り、歩くのも辛い。氏邦殿の屋敷は得宗館から近く、庭の梅の木が霜に覆われ、枝が折れそうに重い。池の水面は完全に凍り、鯉が底でじっとしている。侍女のお梅が、炭火を強く焚いてくれる。鎌倉の武家屋敷は冬支度が厳しく、障子に厚い紙を貼り、炬燵を設え、毛皮の掛け物を重ねる。食事は温かい煮込み中心。大根や鶏の煮物、熱い味噌汁。侍女たちが市場から仕入れ、丁寧に調理するが、最近は物価が高く、質素だ。武家の妻は、こうした冬を耐え、夫の留守に家を守る。針仕事で子の着物を縫い、薬草を煎じて体を温める。寺参りも欠かさないが、雪の石段は滑りやすい。
その日、十二月二十五日。朝から腹に痛みが走った。陣痛だ。侍女たちが慌てて医者を呼ぶ。鎌倉の医者は寺の僧医が多く、薬草と針を扱う。お梅が布団を敷き、温かい湯を用意する。屋敷の座敷は広いが、冬の冷気が染みる。屏風を立て、家紋の六連銭が影を落とす。氏邦殿は得宗館から急ぎ帰ってきた。顔色が青ざめ、手を握る。
「千代、耐えろ。子は無事だ」
痛みは波のように来る。体が引き裂かれるよう。汗が額を伝い、布団を濡らす。私は歯を食いしばった。鎌倉の女性は、出産を戦場のように耐える。夫の甲冑を着て戦う者もいるが、私はただの政略の妻。父の死の記憶がよみがえる。霜月の炎、血塗れの廊下。この子は、そんな北条の血を引く。
侍女たちが励ます。「息を吐いて、奥方様」お梅が薬草の煎じ薬を飲ませる。苦い。鎌倉の薬草は山から採れ、強い効き目がある。窓から外を見ると、雪がちらついていた。鶴ヶ丘の山が白く、町が静か。得宗館では高時公が宴を楽しんでいるだろう。酒と女、権力争い。氏邦殿は側近として、そこにいるはずだったのに、私のために帰った。得宗の目は厳しい。裏切りと見なされれば、屋敷ごと焼かれる。
痛みが頂点に達した。叫び声が漏れる。血が布団に広がる。子宮が収縮し、体が震える。医者が押し出しを助ける。汗と血の匂いが部屋に充満。鎌倉の出産は、死と隣り合わせ。多くの女性が産褥熱で死ぬ。侍女たちが祈りを捧げる。鶴岡八幡宮の神に、安産を。
ついに、子が滑り出た。泣き声が響く。男児だ。医者がへその緒を切り、布で拭く。赤く、皺だらけの体。目が開き、私を見る。
氏邦殿が抱き上げた。
「よくやった、千代。この子は……千代丸と名付けよう。お前の名を継ぐ」
千代丸。私の名から一字。北条の血を繋ぐ子。侍女たちが喜ぶ。お梅が温かい湯で子を洗う。屋敷に灯りが増え、祝いの雰囲気が広がるが、心は重い。この子は、北条の檻で育つ。得宗の専制の中で、いつ粛清されるかわからない。
夜、子を抱いて布団に横たわる。千代丸の小さな手が、私の指を握る。暖かい。だが、外の風が強い。雪が積もり、鎌倉の町を白く染める。波音が遠く、七里ヶ浜の幽霊が囁くよう。寺の鐘が鳴り、父の魂を呼ぶ。
生誕の喜びは、儚い。北条の炎が、いつこの子を焼くのか。




