第17話 四日目の尼
元弘三年 五月二十二日 朝
灰の山は、まだ熱を持っていた。
鎌倉の山中、小さな庵は青葉の木々に隠れ、鶴ヶ丘の残煙が遠くに見える。海からの風が灰を運び、朝露が地面を湿らせるこの朝、私は尼として目覚めた。四日目。子を抱いたまま、髪を切り、黒衣を纏った。七里ヶ浜の波音は穏やかになり、新田義貞の軍が鎌倉を去り、残党狩りが続く。東勝寺の灰は風に舞い、一族八百余人の骨が収められる。寺の僧たちは再建を始め、神殿の残骸がくすぶる。鶴岡八幡宮の石段は掃除され、神官たちが新しき世の祈りを捧げる。市場は再開し、商人たちが焼け残りの荷を並べ、民衆が食料を求める。鎌倉の歴史は、この灰の朝に新章を開いていた。源頼朝の幕府は灰となり、後醍醐天皇の建武の新政が始まる。得宗の高時公の暴政は終わり、石垣の残骸が崩れ、堀の水が澄む。御内人たちの血は土に染み、矢の折れた先が道に埋もれる。五月の朝陽は灰を照らし、青葉の緑が再生を告げる。古戦場の七里ヶ浜は、波が灰を洗い、塩辛い風が希望を運ぶ。
私は千代丸を抱いて、庵の畳で祈っていた。子は冷たく、息がないが、捨てられぬ。僧の老婆が、静かに茶を煎じてくれる。「仏の道を歩め。過去を捨てろ」髪を切った頭は軽く、黒衣の袖が灰で汚れる。鎌倉の尼は、戦の後に生き延び、経を唱える。侍女のお梅のような女性たちが、山に集まる。屋敷の灰は風に飛ばされ、夫・氏邦殿の骨は収められぬ。病床の最期、冷たい手が記憶に残る。刀は庵に置かれ、子を抱く手が祈りの形に変わる。
「千代丸……仏の元へ」
だが、心はさまよう。得宗の暴政が、この灰を生んだ。重税で民を苦しめ、霜月の夜に父を殺し、宴で魂を腐らせた高時公。父・政村の自刃、血塗れの廊下。すべてが灰に還る。新田義貞の軍が去り、天皇の使者が鎌倉を統治。寺の僧たちは経を再開し、鶴岡八幡宮の神火が灯る。七里ヶ浜の浜辺では、漁師たちが舟を出し、新しき世を語る。五月の風が優しく、灰を散らす。
四日目、残党狩りの兵が庵に近づく。北条の女を探す声が聞こえる。私は子を抱き、刀を握る。僧の老婆が隠し、私を山奥へ導く。
「生きろ。尼として」
兵が去り、私は子を抱き、祈る。北条の血は、灰に消えた。だが、私は生きる。
鎌倉の朝陽が、灰の山を照らす。この朝、私は尼となった。子を抱いて、炎の記憶を見た。




