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子を抱いて炎を見た ~北条最後の女~  作者: 灰色の千代


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第16話 灰の山をさまよう

元弘三年 五月十九日 朝

灰が、すべてを覆っていた。

鎌倉の山中は、炎の余熱でまだ熱く、青葉の木々が焦げ、枝が炭のように黒い。鶴ヶ丘の山々が煙に霞み、海からの風が灰を巻き上げ、息をするのも苦しいこの朝、私は子を抱いてさまよっていた。七里ヶ浜の波音は遠く、代わりに遠くの叫びが聞こえる。新田義貞の軍勢が残党を狩り、得宗の亡霊が闇に消える。東勝寺の灰燼は風に舞い、一族八百余人の骨が散らばる。寺の僧たちは山へ逃げ、神殿の残骸がくすぶる。鶴岡八幡宮の石段は灰で白く、神は新しき世を迎える。市場の炭は冷え、商人たちの魂がさまよう。鎌倉の歴史は、この灰の山に埋もれていた。源頼朝の幕府は、得宗の高時公の暴政で灰となり、石垣の残骸が崩れ、堀の水が蒸発する。御内人たちの血が土を染め、矢の折れた先が道に落ちる。五月の朝陽は煙に濾され、青葉の緑は灰の白に変わる。古戦場の七里ヶ浜は、敗者の骨を波が洗い、塩辛い風が灰を運ぶ。

私は千代丸を抱いて、木の根を踏み越えていた。子は冷たく、息がない。炎の煙で死んだ小さな体を、捨てられぬ。夫・氏邦殿の最期の言葉が胸を刺す。「生きろ。北条の血を……」病床で逝った夫の冷たい手が、記憶に残る。刀を腰に差し、子を胸に縛りつける。鎌倉の武家女性は、戦の後に生き延びる術を知るが、私はたださまよう。侍女のお梅の行方は知れず、屋敷の灰は風に飛ぶ。熱気が肌を乾かし、十二単の裾が灰で汚れる。石畳の道は遠く、山道は険しく、五月の朝露が足を滑らせる。灰が肺を塞ぎ、咳が止まらない。

「千代丸……母がいる。怖くない」

だが、子は答えない。小さな手が、固く握ったまま。得宗の暴政が、この灰を生んだ。重税で民を苦しめ、粛清で父を殺し、宴で魂を腐らせた高時公。霜月の夜の血塗れの廊下、父・政村の自刃。すべてが灰に還る。新田義貞の軍が鎌倉を掃討し、天皇の旗が風に翻る。寺の残骸で僧たちが経を再開し、鶴岡八幡宮の神火が蘇る。七里ヶ浜の敗者は波に沈み、五月の風が灰を散らす。

やがて、力尽き、岩に座る。子を抱き、刀を抜く。自刃するのか。生きるのか。北条の血は、子と共に死んだ。だが、夫の遺言が止める。灰の山をさまよい、ついに小さな庵を見つける。逃げた僧が、尼として私を迎える。

「生きろ。仏の道を」

私は髪を切り、尼となる。子を抱いたまま、灰の山で祈る。

鎌倉の朝陽が、灰を照らす。この朝、私は北条を捨てた。子を抱いて、灰を見た。

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