第14話 五月十八日・夜
元弘三年 五月十八日 夜
鎌倉の五月は、青葉の緑が星空をバックに優しく揺れるはずだったが、この夜は炎の赤がすべてを支配していた。鶴ヶ丘の山々が火の柱に照らされ、海からの風が灰と血の匂いを運ぶこの深夜、幕府の中心地は完全に崩壊していた。東勝寺の鐘は沈黙し、僧たちが死体を避けて山へ逃げ、寺社は灰燼に帰していた。鶴岡八幡宮の神殿は炎上し、神官たちの祈りは叫びに変わる。市場の残骸は炭化し、商人たちの荷が溶け、魚の骨が地面に散らばる。鎌倉の歴史は、陥落の夜に幕を閉じていた。源頼朝が幕府を開いて以来、得宗専制が頂点に達した今、高時公の館は灰となり、石垣が崩落し、堀が埋め立てられる。新田義貞の軍勢が市街を制圧し、得宗の残兵が闇に斬られる。御内人たちの最後の叫びが響き、矢が夜空を切り、血が石畳を黒く染める。七里ヶ浜の浜辺は、敗走する北条の亡霊で埋まり、波が体を飲み込み、五月の夜風が塩辛い涙を運ぶ。古戦場の砂浜は、元寇を超える惨劇を、星の下に沈める。
私は千代丸を抱いて、屋敷の奥で息を潜めていた。生後八ヶ月。子は恐怖に声を枯らし、私の胸に体を押しつける。侍女のお梅はすでに逃げ、屋敷は静かだ。青葉の香りは焼け焦げの臭いに変わり、池の水は蒸発し、鯉の死骸が浮かぶ。鎌倉の武家屋敷は、五月の夜に星を映すはずだったが、この日は炎の影で揺れ、屏風が崩れる。水は尽き、喉が渇く。侍女たちが残した布が、子を包むだけ。武家の妻は、戦の夜に夫の遺体を守るが、私は子を抱き、夫の最期を見届ける。得宗の暴政が、この地獄を招いた。重税、粛清、宴の腐敗が、新田の軍に天下を譲る。
氏邦殿は病床に伏せ、息が途切れ途切れだった。九州遠征の病が体を蝕み、顔色は灰色。目が閉じかけ、唇から血が滲む。
「千代……夜だ。一族は、すべて死んだ」
私は子を抱き締め、夫の手に触れた。冷たかった。
「夫君……私たちは?」
氏邦殿は最後の力を振り絞り、刀を私に渡した。目が涙で濡れる。
「逃げろ。子を抱いて、山へ。北条の血を……生き延びろ」
想像した。東勝寺の惨劇の夜。青葉の木々が炎に包まれ、一族八百余人の血が地面を河にする。得宗専制の終わり。鎌倉の夜は、死の静けさで満ちるが、外では新田軍の馬蹄が響く。屋敷の門が破られ、火が放たれる。炎が壁を舐め、梁が崩れ落ちる。
氏邦殿の息が止まった。夫は、静かに逝った。刀を握り、子を抱き、私は立ち上がった。屋敷は炎に包まれ、熱気が肌を焼く。障子が燃え、煙が肺を刺す。
「千代丸……怖くない。母が守る」
子を抱き、裏口から逃げた。鎌倉の石畳は熱く、灰が降る。新田軍の兵が叫び、刀を振るう。山へ向かう道は暗く、青葉の枝が道を塞ぐ。子は重く、息が上がる。炎の熱が背を追い、煙が視界を奪う。
山中をさまよい、ついに力尽きた。子を抱き、岩に寄りかかる。千代丸の体が、冷たい。息がない。炎の煙で、子は死んでいた。
涙が頬を伝う。子を抱き、刀を握る。だが、自刃しきれぬ。生きるのか、死ぬのか。
鎌倉の夜空に、星が落ちる。炎が、すべてを焼く。
この夜、私は北条を失った。子を抱いて、炎を見た。




