第13話 五月十八日・夕
元弘三年 五月十八日 夕
鎌倉の五月は、青葉の緑が山々を覆い、夕陽が海を赤く染めるはずだったが、この夕は炎と煙が空を覆っていた。鶴ヶ丘の山々が火の光に照らされ、海からの風が灰の粒子を運ぶこの夕暮れ、幕府の中心地は地獄の様相を呈していた。東勝寺の鐘が乱れ鳴り、僧たちが逃げ惑う中、寺社は炎に包まれ、民衆の叫びが響く。鶴岡八幡宮の石段は血と灰で覆われ、神官たちが死体を避けて走る。市場は焼き払われ、商人たちの荷が炎上し、魚や野菜が炭になる。鎌倉の歴史は、陥落の夕に終わりを迎えていた。源頼朝が幕府を開いて以来、得宗専制が頂点に達した今、高時公の館は崩壊し、石垣が砕け、堀が埋め立てられる。新田義貞の軍勢が市街を蹂躙し、得宗の兵が次々と倒れる。御内人たちが最後の抵抗を試みるが、矢と刀が飛び交い、血が石畳を染める。七里ヶ浜の浜辺は、敗走する北条の残兵で埋まり、波が体を飲み込み、五月の夕陽が赤い血潮のように輝く。古戦場の砂浜は、元寇の記憶を超える惨劇を刻む。
私は千代丸を抱いて、屋敷の奥座敷で身を縮めていた。生後八ヶ月。子は恐怖に泣き声を上げ、私の胸に顔を埋める。侍女のお梅が、震える手で障子を閉め、わずかな水を運んでくるが、顔が蒼白だ。青葉の香りは煙に変わり、池の水面に灰が降り積む。鎌倉の武家屋敷は、五月の夕光で優しく照らされるはずだったが、この日は炎の熱で歪み、屏風が風に倒れる。食事はなく、残りの水が喉を潤すだけ。侍女たちが外の様子を囁く。「新田軍が得宗館を落とした」「一族が自決」と。武家の妻は、戦の夕に夫を守るが、私は子を抱き、夫の病床を守るだけ。得宗の暴政が、この惨劇を招いた。重税、粛清、宴の腐敗が、新田の旗に天下を駆り立てる。
氏邦殿は病床に伏せ、咳き込みながら刀を握っていた。九州遠征の病が限界に達し、息が弱い。目が濁り、唇が乾く。
「千代……夕だ。東勝寺で、一族が自刃した」
私は子を抱き締め、問うた。
「夫君……高時公は? 八百余人の最期は」
氏邦殿は窓から外を見た。空は炎で赤く染まり、遠くの山から煙が立ち上る。新田義貞の軍勢が東勝寺を包囲。高時公以下一族八百余人が、境内を集団自決。灯りが赤く、血の匂いが風に乗る。御内人たちが刀を腹に突き、女や子供たちが喉を掻き切る。叫びが響き、畳が血の海になる。鎌倉の石畳は、逃げ惑う民で埋まり、得宗の残兵が斬られる。寺の僧たちは経を唱えきれず、炎に逃げる。鶴岡八幡宮の神殿は焼き払われ、神は得宗を見捨てる。七里ヶ浜の浜辺では、敗北の波が体をさらう。五月の風が強く、灰が舞い、空に赤い雲のように広がる。
氏邦殿は続けた。
「高時公は自刃した。一族全員が、共に死んだ。俺は……ここで果てる。お前と子は、逃げろ。山へ」
想像した。東勝寺の惨劇。青葉の木々が炎に包まれ、一族の血が地面を染める。得宗専制の終わり。鎌倉の夕は、死の静けさで満ちる。
私は子を抱き、夫の額に触れた。熱かった。
「夫君……一人では」
氏邦殿は微笑んだ。弱く。
「生きろ。北条の血を……」
外の炎が屋敷に迫る。鎌倉の空に、赤い雲が沈む。
この夕が、北条の最後の夕。炎が、すべてを飲み込む。




