第12話 五月十八日・昼
元弘三年 五月十八日 昼
鎌倉の五月は、青葉の緑が山々を覆い、潮風が石畳の道を優しく撫でるはずだったが、この日は戦の煙が空を覆っていた。鶴ヶ丘の山々が煙に霞み、海からの風が血の匂いを運ぶこの昼、幕府の中心地は混乱の渦に飲み込まれていた。東勝寺の鐘が不規則に鳴り、僧たちが慌てて経を唱える中、寺社は北条の庇護を失い、民衆の叫びが響く。鶴岡八幡宮の石段は血で滑り、神官たちが逃げ惑う。市場は閉ざされ、商人たちが荷を捨てて家に籠もり、魚や野菜が地面に散らばる。鎌倉の歴史は、陥落の瞬間に達していた。源頼朝が幕府を開いて以来、得宗専制が頂点に達した今、高時公の館は炎に包まれ、石垣が崩れ、堀が埋め立てられる。新田義貞の軍勢が三方から押し寄せ、得宗の兵が最後の抵抗を試みる。御内人たちが刀を振るい、矢が飛び交う。七里ヶ浜の浜辺は、戦の場と化し、波が兵士の血を洗い、青葉の季節に赤い染みを広げる。古戦場の砂浜は、元寇の記憶を呼び起こすが、今は北条の終わりを告げる。
私は千代丸を抱いて、屋敷の座敷で震えていた。生後八ヶ月。子は泣き声を上げ、私の胸にすがる。侍女のお梅が、慌てて障子を閉め、温かい湯を運んでくるが、手が震える。青葉の香りが窓から入り、池の水面に煙の影が映る。鎌倉の武家屋敷は、五月の陽光で明るかったはずだが、この日は煙で暗く、屏風が風に揺れる。食事は用意されず、残りの粥が冷たく残る。侍女たちが市場から持ち帰った山菜は、散らばったまま。武家の妻は、戦の時に夫を守るが、私は子を抱くだけ。得宗の暴政が、ついにこの日を招いた。重税、粛清、宴の腐敗が、新田軍の旗に民を駆り立てる。
氏邦殿は病床に伏せ、咳き込みながら座敷で刀を握っていた。九州遠征の病が悪化し、顔色が土色。目が落ちくぼみ、息が荒い。
「千代……昼だ。新田の軍が、鎌倉の門を破った」
私は子をあやしながら、問うた。
「夫君……得宗は? 高時公は」
氏邦殿は窓から外を見た。空は煙で赤く染まり、遠くの山から叫び声が聞こえる。新田義貞の軍勢が、極楽寺切通しや巨福呂坂から侵入。得宗館では高時公が東勝寺へ逃れ、一族八百余人が集まり、自決の準備。灯りが赤く、血の匂いが広がる。御内人たちが最後の命令を叫び、女や子供たちが泣く。鎌倉の石畳は、死体で埋まり、得宗の兵が倒れる。市場の商人たちは家を焼き、逃げ惑う。寺の僧たちは経を唱え、死者の魂を弔うが、炎が寺を舐める。鶴岡八幡宮の神殿は、矢で射抜かれ、神は得宗を見捨てる。七里ヶ浜の浜辺では、敗走する北条の兵が波に飲み込まれ、五月の風が血の霧を運ぶ。
氏邦殿は続けた。
「高時公は東勝寺で自刃を決めた。一族全員が、共に死ぬ。俺は……ここで待つ。お前と子は、逃げろ」
想像した。東勝寺の境内。青葉の木々が煙に包まれ、一族が刀を腹に突き立てる。血が畳に広がり、叫びが響く。得宗専制の終わり。鎌倉の昼は、炎の熱で歪む。
私は子を抱き、夫の手に触れた。冷たかった。
「夫君……一緒に」
氏邦殿は首を振った。
「生きろ。北条の血を、繋げ」
外の煙が濃くなり、屋敷に火の手が近づく。鎌倉の空に、赤い雲が広がる。
この昼が、北条の終わり。炎が、すべてを焼く。




