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子を抱いて炎を見た ~北条最後の女~  作者: 灰色の千代


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第10話 鎌倉の空に赤い雲

元弘二年 四月

鎌倉の四月は、桜の散り際が潮風に舞い、鶴ヶ丘の山々が淡い緑に覆われる。海からの風が石畳の道を吹き抜け、市場の商人たちが春の魚や野菜を並べるこの季節、幕府の中心地は不穏な空気に包まれていた。東勝寺の鐘が低く響き、僧たちが経を唱える中、寺社は北条の庇護下にありながら、民の祈りが得宗の暴政を呪うよう。鶴岡八幡宮の石段は桜の花びらで覆われ、神官たちが高時公に奉納の儀を執り行うが、参拝者たちの目は険しい。市場は表向き賑わうが、商人たちが声を潜めて噂する。「元弘の乱が広がる」「新田義貞が動く」と。鎌倉の歴史は、反乱の予感で繰り返す。源頼朝が幕府を開いて以来、得宗専制が頂点に達した今、高時公の館は宴の灯りが絶えず、石垣を高く積み、堀を深く掘って守られている。御内人たちが得宗の直属として、密偵を放ち、反乱の火種を監視する。政村流の粛清後、得宗の権力は強まったが、都からの風が鎌倉を揺るがす。七里ヶ浜の浜辺は、春の陽光に輝くが、波が古戦場の血を洗うように不気味。砂浜に散った桜の花びらは、血のように赤い雲を連想させる。

私は千代丸を抱いて、屋敷の庭で空を見上げていた。生後四ヶ月。子は元気に手を伸ばし、桜の花びらを掴もうとする。侍女のお梅が、温かい茶と柔らかい餅を運んでくる。庭の池では鯉が活発に泳ぎ、水面に花びらが浮かぶ。鎌倉の武家屋敷は、春の訪れで障子を開け、屏風を軽やかにする。食事は新鮮な山菜の煮物や魚の焼き物。侍女たちが市場から仕入れ、子のために優しい味付けにする。武家の妻は、春の寺参りを欠かさず、鶴岡八幡宮の石段を上り、家族の安寧を祈るが、心はざわつく。得宗の暴政が、町を腐らせる。重税で民が苦しみ、寺の僧たちが密かに反乱を語る。

氏邦殿は得宗館から帰るたび、顔色が悪くなっていた。刀を磨きながら、座敷で語る。酒を控えめに飲み、目が疲れている。

「千代……鎌倉の空に、赤い雲がかかっている」

私は子をあやしながら、問うた。

「赤い雲……何の予兆ですか」

氏邦殿は窓から外を見た。空は青いが、遠くの山に雲が低く垂れ込め、夕陽に赤く染まる。東勝寺の灯りが早めに点り、町が静か。

「元弘の乱の進行だ。新田義貞が挙兵し、鎌倉へ迫る報せが入った。高時公は鎮圧軍を出すが……不穏だ」

想像した。都の後醍醐天皇の挙兵から始まった乱。笠置山の戦いが広がり、楠木正成の千早城攻めが続く。鎌倉の得宗館では高時公が宴を続け、御内人たちが地図を広げ、作戦を練る。酒の匂い、女の笑い声の中、反乱の報せが入る。刀が抜かれ、命令が飛ぶ。得宗専制の刃が、反逆者を討つ。だが、乱は収まらず、九州や東国で蜂起が相次ぐ。鎌倉の石畳は、馬の蹄で鳴り、得宗の兵が巡回を強める。市場では商人たちが荷を急ぎ、寺の僧たちは経を唱え、天皇の勝利を密かに祈る。鶴岡八幡宮の神は、得宗を守るのか、それとも新たなる世を。七里ヶ浜の浜辺では、漁師たちが舟を隠し、噂を交わす。春の風が強く、花びらが舞い、空に赤い雲のように広がる。

氏邦殿は続けた。

「俺は九州遠征から帰ったばかりだが、また出陣だ。この乱が、北条を飲み込むかも」

九州の遠征は、得宗の命令で氏邦殿が病を押して行った。帰ってきた彼は痩せ、目が落ちくぼんでいた。乱の火種は、得宗の暴政が生んだ。重税、粛清、宴の腐敗。民の不満が、天皇の旗に集まる。新田義貞のような武将が、鎌倉へ進軍する。元寇の記憶が残る町は、戦の気配で震える。

「夫君……生きて帰って。千代丸のために」

氏邦殿は子を抱き、頷いた。小さな手が父の顔を触る。

「約束だ。北条を守る……が、赤い雲は消えぬ」

夜、私は窓から空を見た。夕陽が沈み、雲が血のように赤い。鎌倉の波音が遠く、七里ヶ浜の幽霊が囁く。寺の鐘が鳴り、乱の足音を呼ぶ。

この赤い雲が、北条の終わりを告げるのか。子を抱く私は、炎の予感に震える。

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