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子を抱いて炎を見た ~北条最後の女~  作者: 灰色の千代


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第1話 花嫁として売られる日

元弘元年 三月十三日

私は今日、北条千代ではなく、ただの「人質」になった。

朝、父上・北条政村の屋敷に得宗の使いが来たとき、私はまだ髪を梳かしていた。

鏡の中の自分は、まるで他人に見えた。十五歳。まだ血の匂いも知らない。

「千代、参れ」

父上の声が震えていた。初めて聞いた。

奥の座敷で、得宗・北条高時公が胡坐をかいて待っていた。

まだ二十歳そこそこなのに、目が死んでいた。酒と女と血で腐った目だった。

父上の政村は、得宗屋敷の奥深くで膝を折り、額を畳につけたまま震えていた。

「娘を……千代を、氏邦殿のもとへ差し出しますゆえ、どうか政村流をお許しくださいませ」

得宗・北条高時公は、まだ二十歳そこそこだというのに、すでに目が笑っていない。

酒の匂いが漂う中、薄い唇だけで笑った。

「許す? 許すって、政村殿はまだ勘違いしてるのか。

お前はもう許されてるんだよ。代わりに娘をよこせばな」

父上は顔を上げられなかった。

私はその横で、十二単の裾を握りしめていた。

爪が掌に食い込んだ。痛くても、声を出すことすら許されない。

私はその横で、初めて「北条」という名の重さを肌で知った。

私は十五歳。

まだ血を見たことがない。

まだ、愛というものを知らない。

まだ、自分の子を抱いたことがない。

けれど今日、私は「北条氏邦の正室」として嫁ぐことになった。

氏邦殿は十八歳。得宗一門の若武者で、噂では優しい人だという。

でも優しかろうが残酷だろうが、どうでもいい。

私はただの政略の駒だ。

「千代、顔を上げなさい」

父上が小声で言った。

私はゆっくりと顔を上げた。

高時公が私を見据えている。

まるで値踏みするように、首筋から胸元まで視線を這わせる。

その視線に、ぞくりと背筋が凍った。

「ほう……政村の娘とは思えぬ色香だ。

 氏邦にはもったいないな」

その瞬間、横に控えていた氏邦殿が一歩前に出た。

「高時公、お言葉はそれまで。

 千代殿はこれより私の妻となる身。どうかご自重を」

声は静かだったが、どこか張り詰めたものがあった。

高時公は一瞬舌打ちし、それから笑った。

「冗談だよ、氏邦。

 まあいい。政村流はこれで助命だ。

 ただし、もし裏があるようなら……娘ごと焼き払うだけのこと」

私は息を呑んだ。

焼き払う。

北条のやり方だ。裏切り者は一族郎党、火炙りか切腹。

逃げ道はない。

その夜、私は輿に乗せられ、政村屋敷を出た。

振り返ると、父上は土間に膝をついたまま、頭を下げ続けていた。

もう二度と会えないような気がした。

輿の中で、私は初めて泣いた。

誰にも見られぬよう、袖で口を押さえて。

氏邦殿は輿の外を馬で歩いている。

時折、幕の隙間からその横顔が見えた。

整った顔立ちで、確かに優しそうだった。

でも、それが私を救ってくれるわけではない。

私は知っている。

この人は、私を愛してくれるわけじゃない。

ただ、得宗の命令で私を娶るだけ。

そして私は、ただ生き延びるために、この人に抱かれるだけ。

輿が新しい屋敷に着いたとき、桜が散っていた。

まだ三月なのに、風が冷たかった。

氏邦殿が手を差し伸べた。

「怖がらなくていい。痛くはしない」

私はその手を握った。

冷たかった。

まるで、死人の手みたいに。

これが私の初夜の、始まりだった。


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