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8.婚約破棄された私たち ベルナード2

「何をしているんだ!!」


 腕を掴み池から引き摺り出すと、俺はその女性を怒鳴りつけた。


「婚約破棄されてショックなのは分かるが、はやまってはいけない!」


 彼女はオリーブグリーンの瞳を丸くし、呆然と俺を見上げる。

 どうやったら彼女を思い留めることができるのか、とにかく俺は言葉を続けた。


「婚約者が他の女を愛すると知って悲しいのは分かる」

「あ、あの」

「今からではよい婚約者が見つからないかもしれない」

「そうではなく」

「でも人生を悲観するのは早い。命を大事にすべきだ」


 怒涛のように捲し立て、俺は一度息を吸う。

 ぶわっと風が吹き、掻きあげた前髪が再び目を覆う。

 そんな俺を、彼女は瞳を凝らし見てきた。


「……もしかして、ベルナード様?」

「そうだ。君の隣で俺も婚約破棄された。それでパーティ会場に居づらく出てきたんだが……大丈夫か?」


 自分の語彙力のなさが嫌になる。

 大丈夫じゃないから、彼女は入水自殺を図ったというのに、もっと気の利いた言葉を探さなくては。

 焦る俺に、彼女は意外な言葉を口にした。


「ベルナード様は大丈夫ですか?」


 まさか心配されるとは思っていなかった。

 平気だと答えれば、彼女はやっと自分がどんな状況か気づいたように、はっとする。


「あ、あの。助けていただいたところ申し訳ないのですが、私、死のうとしていたのではありません」

「えっ?」


 死のうとしたわけではない?


 呆気に取られている俺に、彼女は母親のハンカチを拾おうとしただけだと告げた。

 羞恥で顔が赤くなる。それを誤魔化すかのように、再び池に入ってハンカチを拾い、彼女に手渡した。


 やっと落ち着いてお互いの姿を見れば、パーティ会場に戻れる状態ではない。

 馬車で送ろうという俺に、彼女は「ラシュレ・レステンクール」だと名乗る。


 レステンクール伯爵家といえば、複雑な家庭環境で有名だ。

 噂に疎い俺の耳にも、養女となった亡き長兄の娘が酷い扱いを受けているという話は届いている。

 教えてくれたのはかつて俺の乳母をしていたローナで、経営している宿に泊まった商人から聞いたらしい。


 邸に帰りづらいのだろうか。ならばどうすればよいかと思案していると、ラシュレは困ったように肩を竦め、とんでもない提案をしてきた。


「ベルナード様、良かったら飲みに行きませんか?」

「飲みに? 今からか?」


 突拍子もない言葉から、彼女の心を推察する。

 婚約者を奪った従妹と一緒の馬車で帰るが辛いのだろう。


 死のうとしていたのは俺の勘違いだとしても、傷ついているのは間違いない。

 だから俺は、その提案に乗ることにした。

 一緒に婚約破棄されたのも、何かの縁だ。

 こんな俺でも、愚痴ぐらいは聞いてやれる。


 かといって、ドレス姿で入店できる場所は限られているので、融通の利くローナの店を提案すると、ラシュレは快諾してくれた。

 長年俺を苦しめた婚約から解放されたのだ。今夜だけは、何も憂いず飲もう。


 馬車が停まってから、ローナの店が宿の一階だと思い出す。

 これはもしかして誤解させたのではとラシュレを横目に見れば、彼女は物珍しそうに宿を眺めたあと抵抗なく扉を潜った。


 警戒心がなさすぎるだろう。

 俺が悪い男だったら、一階にある店で酒を飲ませ、酔ったところで上階へ連れ込めるんだぞ。

 もちろんそんなことはしないが、箱入り娘の無防備さに呆れてしまう。


 貴族令嬢がそういうことに疎いのは仕方ないらしく、コウノトリが子供を運んでくると信じている妙齢の女性もいると聞いたことがある。


 案の定、ラシュレは無邪気に酒を頼むと、おいしそうにそれを喉に流し込んでいく。

 婚約破棄された割には明るいが、空元気に違いない。

 そう思うと、どんどんグラスを空にするラシュレを止められず、つられるようにして俺もかなりの量を飲んでいた。


「それでは、レステンクール伯爵家の領地経営をしていたのはラシュレなのか?」

「そうです! すごいでしょう」


 すっかり砕けた口調で話すラシュレは、赤い顔で胸を張った。

 昨今のレステンクール伯爵家の躍進は目を見張るものがある。小麦だけでなく、最近ではワインの産地としても有名だ。

 それがまさか、俺と同じ年齢の女性の手柄だったとは。


 ますます自分の無能さに嫌気がさしてきた。

 さらにラシュレは、婚約者と従妹の課題も自分がしたのだと語りだす。

 テストよりも課題に重点を置く貴族学園で、三人分もの課題をこなしていたのか。

 自由にテーマを選ぶ課題なら、内容が重ならないように三つテーマを考え、それについての資料を読み込むらしい。


 男女共通の課題の他に、男子生徒には剣術の実技も課せられる。

 俺も受けたが、日頃の不摂生のせいで体力テストは合格点ギリギリだった。

 女生徒には剣技の代わりに刺繍の提出が求められる。


 エリザベートの話では、ハンカチなんて小さなものではなく、ストールに自分でデザインした絵柄を刺していくらしい。

 ただ、エリザベートはそれを侍女にさせていたようだが。

 ラシュレはその課題もふたり分こなしたと言う。


「とんでもなく、優秀なんだな」


 感嘆すると、ラシュレはオリーブグリーンの瞳を丸くし、次いで少し吊り上がった眦を柔らかくした。


「そんなことを言ってもらえたのは初めてです」

「こんなに優秀なのに、誰も褒めなかったのか」

「課題を仕上げるのが遅いとか、刺繍が下手だと怒られてばかりで。だから、ありがとうございます」


 頭を下げながら、そっと眦を拭う。

 その顔に、胸が締め付けられた。


 ラシュレはこれからどうするのだろう。婚約破棄された彼女がどんな扱いを受けるのか気になってそれとなく聞けば、ラシュレは困ったように眦を下げ笑う。


「多分、碌でもない男に嫁がされるんじゃないでしょうか。叔父たちは支度金さえ手に入れば、相手は誰でも構わないはずです」

「そんな! 婚約破棄で述べられた悪事も全部でっち上げなのだろう?」


 飲みながら彼女はそう愚痴っていた。

 搾取され、濡れ衣を着せられ婚約破棄されたあげく、金のために売られるような結婚しか待っていないなんて、あまりにも理不尽だ。

 怒る俺にラシュレはカラリと笑う。


「もちろん、叔父たちの思う通りにはさせません。私、働いて自立します。だから大丈夫ですよ!」


 それが難しいのを、ラシュレが知らないはずがない。

 当主である叔父が決めた結婚から逃れるのは、至難の業だろう。

 無理とは言わないが、雇い先から連れ戻される可能性が高い。


「ベルナード様、暗い顔をしないでください。私、フィリップ様と結婚しなくてすんで喜んでいるんです! 落ち込んでいるベルナード様には申し訳ないですが、婚約破棄されて幸せなんです!」


 ふふふ、と笑う顔は目がトロンとしている。

 酔っぱらっているから、それが本音か空元気か見分けがつかない。

 ただ、自分が随分小さい人間のように思えた。

 勝手に父親と自分を比べ、劣等感にまみれていたのが恥ずかしい。

 彼女のために何かできることはないか。

 そう考えながら俺は杯を重ね、そして――目覚めたときには、宿のベッドの上だった。


ラシュレの記憶がないところで、いろいろあったようです。

作者の好みが詰まった物語にお付き合い頂ける方、ブックマークお願いします!

☆、いいねが増える度に励まされています。ありがとうございます。

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