36.お茶会3
サロンにいた全員が一斉に壇上を見る。壇といっても一段上になっているぐらいなので、蒼白な顔で嘔吐するセドリック様の姿がはっきりと分かった。
そのまま倒れ込むと、お腹を抱えひきつけを起こしたように身体をぴくぴくとさせる。
「誰か医者を!」
叫び声と一緒に扉を開ける音がし、走る侍女の後ろ姿が見えた。
嘔吐物の横にはお皿が落ちている。まっさきに考えたのは毒物だ。
私はドレスに作ったポケットに手を入れながらセドリック様に駆け寄ると、白い薬包を取り出した。今でも癖で、嘔吐薬や痛み止めを持ち歩いてしまう。
「これは私が普段使っている嘔吐薬です」
「普段? あなたが?」
「はい。ものすごく苦くてまずいですが、効き目は保証します。飲ませるのをお許しください」
どう判断されるか不安だった。
王妃陛下はじっと私の顔を見たあと、傍に控えていた侍女にテーブルのグラスを取るように命じた。事前にソバのアレルギーについてベルナード様を通してやり取りをしていたので、信頼できると思ってくれたのかも知れない。
王妃陛下自ら薬包をほどきセドリック様の口に入れると、げほっ、とせき込む音がして、セドリック様が再び嘔吐した。
背中を撫でながら「全部吐いてください」と声をかける私の横で、王妃陛下もセドリック様の肩にずっと手を置いている。
暫くして嘔吐が治まると、廊下を走ってくる足音がした。
白衣を着た男性ふたりが転がるようにこちらへ来ると、セドリック様の脈や熱をたしかめる。
顔色は白くぐったりしているし、息は荒い。だけれど、悪化はしていないし意識もあるので、毒物は全て吐き出したのだろう。
医師もそう判断したようで、医務室へセドリック様を運ぶよう衛兵に指示をした。
年配の医師がセドリック様を抱えた衛兵と一緒に部屋を出ると、残された若い医師がメモを出しテーブルにある料理を書き留めていく。
「王妃陛下、セドリック様が食べたものはこのテーブルにあるもの全部ですか?」
「ええ、どれも数口ずつ食べていたわ」
「分かりました。衛兵、すべての料理を調べるので皿を下げてください。毒が盛られている可能性があります。それから、サロンにいる皆さんは食事に手をつけないようにして、部屋から出ないでください」
全員が顔色を青くし身動きできずにいる中、ベルナード様が私の元へ来てくれた。
少しして、料理長と給仕係の侍女がサロンに来ると、衛兵が手分けして全員に話を聞き始める。
すると、セドリック様が食べたものは給仕係の侍女が毒見をし、それを数人の衛兵が確認しているのが分かった。
飲み物も同様に毒見がされており、セドリック様と同じものを食べた侍女に嘔吐の症状は現れていない。
毒殺未遂かと張り詰めていた空気が緩み、皆がホッと肩の力を抜いた。
だけれど毒見をした侍女だけは、少し不安そうに口元に手を当てている。
「吐き気はしません。ですが、さきほどから気分が優れません。もしかしたら気のせいかもしれないのですが……」
顔色も悪くないのでセドリック様の様子を見て動転したとも考えられる。
でも、毒の摂取量が少なかった可能性もある。
医師は侍女にいくつか質問をしたあとで、料理長に料理の保存方法について尋ねた。
「侍女の症状から、食中毒の可能性が考えられます。料理はいつ作りましたか?」
「今朝です。冬場ですし、食材が傷むのを防ぐために調理場に暖炉はありません」
「となると、アレルギー症状も考えられますね」
たとえば、と言ってまず名前が挙がったのがガレットだった。
だけれど、それはすぐに王妃陛下によって否定される。
「クローデル侯爵から、ソバ粉の料理にはアレルギー症状を起こす場合があると事前に連絡があり、少量のガレットの生地をセドリックに食させたわ。吐き気も、発疹も熱も出なかったので、問題ないと判断しました」
王妃陛下はさっき出て行った年配の医師の名前を出し、彼の立ち合いのもと試食をしたと話す。
テーブルの上にあるのはケーキ、タルト、ガレット、それから紅茶。
そのどれかが食中毒の原因となった可能性があるが、どれも火を通した料理だし、今は冬だから傷んでいるとは考えにくい。
そう考えていると、私の隣にいたベルナード様がすっと手を挙げた。
「王妃陛下、少しお耳に入れたい話があるのですが、よろしいですか」
一斉に私たちに視線が集まる。
王妃陛下が「発言を許します」と仰った。
「知り合いから、粗悪品の肥料が国内に輸入されたという話を聞きました。植物の成長を早める養分が通常の肥料の何十倍もあると言うのが売り文句ですが、その弊害があまりに大きく異国では禁止された肥料です」
初めて聞く話に、私は驚いてベルナード様を見る。
ベルナード様は博識だ。その異国の名前と禁止された経緯を淀みない口調で話していく。
それによると、その肥料は数年をかけ土壌を汚染し、そこで育った作物は毒を含むようになるらしい。症状としては嘔吐や熱、身体の痺れだと説明された。
大量に摂取した場合に症状が現れるが、子供だと僅かでも嘔吐するらしい。
「レステンクール伯爵領では、小麦の二期作に成功したと聞きました。今回その小麦を使ったケーキを特産品として持ってきたんだよな?」
「そうよ。一週間前に採って粉にしたばかりのものと聞いているわ」
ベルナード様がタチアナに問えば、タチアナは胸を張って答える。
その横で、フィリップ様が声を荒げた。
「だが、もしその肥料を使ったとしても、土壌が汚染されるのに時間がかかるのだろう。だとしたら、レステンクール伯爵領で収穫した小麦は関係ないはずだ」
「レステンクール伯爵領で初秋に収穫された小麦は、二期作が可能な『早育ちの小麦』だ。短時間で成長する代わりに通常より土壌の養分を吸収する。それによって痩せた土地に粗悪品の肥料を撒いたら、土壌は毒の成分ばかりになる。その土壌で栄養を多く必要とする『早育ちの小麦』を再び育てれば、毒を多量に含んでもおかしくない」
「王妃陛下、すべてクローデル侯爵の想像です!」
フィリップ様が抗議するも、ベルナード様に動じる様子はない。
王妃陛下に向かって悠然と頭を下げると、自信に満ちた口調で言葉を続けた。
「ええ、そうです。ですが調べてみる必要はあると思います。レステンクール伯爵がどうしてそんな危険な小麦に手を出さなくてはいけなかったか。初夏に起こった洪水の原因も含め、クローデル侯爵として騎士団に原因究明を依頼します」
レステンクール伯爵領はラッシュド王国でも有数の穀物地帯だ。
そこで収穫された小麦の質は、国民全員にかかわる。
毅然としたベルナード様の態度に、王妃陛下も納得したらしい。
「国民の生活を守るのが貴族の務め。クローデル侯爵の進言を採用し、騎士団長に調査を命じましょう」
「ありがとうございます」
ベルナード様が礼を述べる背後で、両親の体調不良は悪質な小麦を食べたせいではないかと囁く声がした。
すぐに衛兵が来て、タチアナの腕を掴む。
「な、何をするのよ!」
「レステンクール伯爵令嬢には、別室で聞きたいことがある」
「ちょ、私は何も知らないわっ、離しなさいよ!」
喚くタチアナを、衛兵は強引に部屋から連れ出した。
ふと、フィリップ様はどうしたのかと視線を巡らせるも、姿が見えない。
婚約者の彼もまた事情を聞かれるはずだけれど、どこへ行ったのだろう。
私も衛兵から少し話を聞きたいと言われたけれど、十ヶ月もの間、叔父家族と連絡を取っていないと話すと帰宅を許された。ただ、必要であれば今後、話を聞かれるそうだ。
こうしてお茶会は、慌しく終わってしまった。
ほとんどの人がガレットに手を付けられなかったのが残念だけれど、仕方ない。
バートン様のおかげでガレットの認知度は高まっているし、ご夫人たちが興味を持っているのが分かっただけでも収穫があった。
ベルナード様は肥料や小麦について国王陛下に説明するので、先に帰るよう言われる。
馬車停めまでの距離はそれほど遠くないので、侍女の案内は断った。
葉の落ちた木々の下を歩きながら、初めて誰かに守られたぬくもりが胸に広がっていく。
ベルナード様が帰ってきたらお礼を言わなくては。
そう思っているとふいに背後から腕を掴まれ、近くの植え込みに引きずり込まれた。
明日、完結です。
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