35.お茶会2
「ラシュレ、あんた、なんで私より目立っているの?」
眦を上げるタチアナに、焦って周りを見渡す。案の定、私たちのやり取りをチラチラ窺う夫人が何名かいた。
新参者の私はもちろん、タチアナはずっと悪目立ちしていたのだから当然だ。
それに、タチアナが私の元婚約者であるフィリップ様と婚約したのは周知されているので、どんな会話をするのか気になるのだろう。
「タチアナ、声が大きいわ。歓談を楽しんでいるのだから、雰囲気を壊す発言は控えましょう」
「何よ、偉そうに。どうしてあなたに指図されなきゃいけないの! それより、誰も私に話しかけてこないのよ。若い私に嫉妬しているんだろうけれど、見苦しいわよね。あんた、どうにかしなさいよ」
「タチアナッ」
止めて、と叫びたいのを堪え、彼女の腕を引っ張り部屋の隅へと連れていく。
若い自分に嫉妬しているだなんて、どうしてあの場で口にできるのか。サロンの空気が数度下がり、冷や汗がどっと出る。
私まで同じ考えだなんて思われたくないから、この場を立ち去りたいのが本音だけれど、ベルナード様とまだ結婚していない私はレステンクール伯爵令嬢でもあるのだ。
レステンクール伯爵夫人の代理として来ているタチアナを、野放しにはできない。
「自分が何を言っているのか、分かっている?」
「何って? あぁ、私に嫉妬しているって話? だって事実じゃない。さっきから私を遠目で見てひそひそ話をしているんだもの。若い私の肌が妬ましいのね。自分たちの肌は、日の光の下で見れたものじゃないから隠しているんでしょう」
「今開かれているのはお茶会で夜会じゃないの。肌の露出を控えるのがマナーよ。それに、王妃陛下に招かれていない人に、やすやすと声をかけるはずないわ」
「タチアナを呼んだ覚えはない」と王妃陛下は断言した。
いい方こそ婉曲的だったが、誰もがそう捉えただろう。
つまりタチアナはこの場にいるべき人ではない。
だから、王妃陛下の意志を尊重し誰も声をかけないのだ。
タチアナはいない者として扱うのが暗黙の了解となっているのを、当の本人だけが理解していない。
これはもう、帰らせたほうがいいのではないだろうか。
「とりあえず、あんたと一緒の席にいた夫人に私を紹介してよ」
「無理よ。あの方々は上位貴族。伯爵家の私たちから声をかけるのはマナー違反だわ。それより一度廊下に出ましょう。あなたはもう帰ったほうがいいわ」
「酷い! どうしてそんな意地悪を言うの!? ラシュレはいつもそうやって私を虐め、のけ者にするのね。そんなに私のことが嫌いなの?」
タチアナは急に声を大きくすると、しくしくと泣きまねを始める。
学生時代、タチアナは事あるごとに「ラシュレに虐められている」と泣き、周りの同情を得ていた。
それも廊下や教室など人目の多い場所で叫ぶものだから、傍にいた学生も一緒になって私を非難してきた。
当時を思い出し、気分が塞いでくる。
また、私は多くの人から糾弾されるのだろうか。
私の言い分には耳も貸さず、タチアナの言葉だけを信じる学友の顔が、次々と受かんできた。
でも私の心配をよそに、誰一人としてタチアナを擁護する人はいなかった。
声をかけてくる人がいないことに苛立つタチアナの泣き声が、どんどん大きくなっていく。
あぁ、そうか。ここにいる人は皆、大人なんだ。
タチアナの見た目の可愛さや、天真爛漫な振る舞いに好感を抱く学生とは違う。
貴族夫人として求められる常識や淑女としてのマナー、知識や見聞の広さなど、重視すべきはその人柄にある。
周りの冷たい視線に気づかず、タチアナは誰かが声をかけてくれるまで泣くつもりなのだろう。
これ以上迷惑をかける前に強引にでも廊下に引き摺りだそう、そう決心したとき、扉の向こうから声がした。
扉が開くと、数人の男性が入ってくる。
国王陛下と歓談をしていた人が、王妃陛下に挨拶をしにきたらしい。
お茶会の終盤ではよくあることだと聞いていたけれど、最悪のタイミングだ。
壮年や初老の男性の背後にいるベルナード様の姿を見つけると同時に、ひとりの男性がこちらへ駆けてきた。
「タチアナ! 大丈夫か」
フィリップ様は私たちに走り寄ると、タチアナの肩を抱き寄せる。
タチアナはやっと自分を擁護してくれる人が現れたと、更に泣き声を大きくさせ私を指差した。
「フィリップ様! ラシュレがまた私に意地悪をするんです。私はこの場に相応しくないから、帰れって言うのですよ!」
「ラシュレ! この期に及んでタチアナを虐げるなど、見苦しいぞ」
肩を震わせ泣くタチアナは、学生時代と何も変わっていない。
だけれど、この場にいる夫人はタチアナに向かって冷やかな視線を向けるだけだ。
フィリップ様はそれにすぐに気づいたらしく、いつもと違う周りの反応に戸惑うように視線を彷徨わせた。
「少しいいだろうか」
すっと私に近寄る人の気配がし、ベルナード様の声がすぐ隣で聞こえた。
フィリップ様は怪訝に眉を寄せ、ベルナード様を指差す。
「誰だお前は? 関係ないやつは引っ込んでいろ」
ベルナード様はこの十ヶ月で容姿が変わった。
だから気づかないのは仕方ないかもしれないけれど、それでも王妃陛下主催のお茶会に相応しくない言葉遣いだ。
「それはできない。ラシュレは俺の婚約者だ」
「婚約者? ではお前がバーデル侯爵令嬢に婚約破棄されたクローデル侯爵……」
そこまで言ってフィリップ様は口を噤む。
子爵令息でありながら、侯爵に対してあるまじき態度をとったと気づいたのだ。
だけれどタチアナに腕を引っ張られ、再び口を開いた。
「ラシュレはタチアナを虐めたんだ。非難されて当然だろう」
「虐めるというのは、帰るよう促したことだろうか?」
「そうだ。そいつはいつもタチアナを邪険に扱い、虐げていたんだ。あなたもそんな女とは早々に縁を切ったほうがいい」
ベルナード様の目が鋭く細まる。いつも穏やかな彼のこんな顔を見るのは初めてだ。
怒りの籠った視線に、フィリップ様が戸惑うように半歩下がる。
猫背で青白い顔色をしていた頃と違って、背筋を伸ばしたベルナード様はそれだけで気品と威厳がある。最近は身体を鍛えているらしく、フィリップ様を見下ろす視線には威圧を感じた。
「俺には、ラシュレが意地悪でなく親切でそう言ったのだと思えて仕方ないのだが?」
「従妹に帰れと言うのが親切だと言うのか!?」
「フィリップ様、その通りです。すぐにタチアナを連れて帰ってください」
私の言葉に、タチアナがうわっ、と声をあげる。
「ほら、あんなことを言うんですよ」と泣き叫ぶが、声を荒げるほど周りの視線は冷やかになっていく。
「タチアナ、そもそもあなたはお茶会に呼ばれていないわ。基本的にここに招かれるのは当主の妻なのよ」
「それならラシュレもそうじゃない。まだクローデル侯爵様と結婚していないわ」
「私は特別に招待状をいただいたから、参加できたの。王妃陛下の許可なく、代理出席はできないのよ」
でも、とまだ文句を言うタチアナの横で、フィリップ様の顔が青くなる。
どうやらタチアナから父親の代わりに出席してと頼まれたから来ただけで、そのあたりの事情を知らなかったようだ。
「た、タチアナ。それは良くない。帰ろう」
「どうしてフィリップ様までそんなことを言うのですか。こんなにお洒落をしたのに、まだ誰にも褒めてもらっていないんですよ!」
ほらっ、とスカートを広げるタチアナは、自分の常識のなさをアピールしているようにしか見えない。
「タチアナ、あなたの服装は夜会では素晴らしいでしょうが、昼間のお茶会ではマナー違反だわ」
「自分が地味で、華やかなドレスが似合わないからって、私を妬んで非難するのはやめて」
「そうじゃなくて……。フィリップ様なら分りますよね。この場で浮いているのは誰なのか、よくご覧になってください」
そこでやっとタチアナも、周りに視線をやった。
数メートルの距離を空けながら私たちを取り巻く夫人たちは、一様に眉を顰めている。隣に夫がいる夫人もいて、ひそひそと言葉を交わすと、あり得ないとばかりに首を横に振っていた。
「タチアナ、これは帰ったほうがいい」
「どうしてフィリップ様までそんなことを言うのですか! まだ私たちが持ってきたケーキも出てきていないのですよ!」
ほらっ、とテーブルを指差したタチアナが、あれっと目を丸くする。
いつのまにか各テーブルにはケーキやタルト、ガレットが並んでいた。私たちが騒動を起こしている間に、侍女はしっかり給仕の仕事をしていたらしい。
「では、皆さま、席に座りませんか?」
そう場を取り繕ってくださったのは宰相夫人だ。王妃陛下はすでに席に着いていて、その隣では一足早くセドリック様がケーキを頬張っていた。ガレットにも手を伸ばしてくれている。
「そうしましょう。セドリックが待ちきれなくて先にいただいてしまったわ」
王妃陛下の言葉に皆は顔を見合わせると、何もなかったかのような微笑を浮かべ各々の席へ戻っていく。その切り替えの早さはさすが貴族夫人だ。
フィリップ様はタチアナに一緒に帰ろうと促すも、タチアナは自分がなぜ帰らなくてはいけないのかまだ理解できていない。
「ラシュレ、あなたの席はどこだい?」
「あそこです。せっかく来てくださったのに、王妃陛下に挨拶できる雰囲気ではありませんね」
「仕方ないさ。食事中にお声がけするのは気が引けるし、国王陛下とは領地についての話ができた。充分だ」
そう言って、私にエスコートの手を指し出してくれる。
私がその手を取ろうとしたときだ。
「セドリック、どうしたの!!」
王妃陛下の声が、サロンに響いた。
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