30.星見祭りとガレット6
頭上でバンと大きな音がしたので顔を上げると、夜空に赤い閃光が広がった。
円のように広がった花火はやがてすっと消え、次に青色の花火が打ちあがった。
バン、バンと繰り返される音に背中を押されるようにして立ち上がり、夜空に咲く花を眺める。
どれだけここにいたのだろう。
ベルナード様は私を探しているのかな。
もしかしたらエリザベート様との再会に、私のことなんて忘れているかもしれない。
でも、料理人やビオラは、何時まで経っても帰ってこない私を心配しているだろう。
「戻ろう」
あえて声に出し、自分に発破をかける。
広場の中心に向かって進むと、大勢の人が一様に空に視線を向けていた。
私はもう一度だけ空を見て、打ちあがった花火が消えたのを見届けると歩き出す。
その時だ、「ラシュレ」と私を呼ぶ声がして振り返ると、ベルナード様が息を荒げ駆け寄ってきた。
「どうしてベンチで待っていなかったんだ?」
「で、でも、エリザベート様が……。あの、彼女をひとりにしてもいいのですか?」
「エリザベートに何か言われたのか?」
ベルナード様は眉間に皺を寄せると、近くのベンチに私を連れて行き座るように促した。
そうして自分も隣に座り、息を整えるように浅く呼吸をし、額の汗を拭った。
何を話したらいいのだろう。
エリザベート様はベルナード様に復縁を求めたはずだ。きっと、ベルナード様もそれを受け入れただろう。だとすると。
痛む胸に手を当て、私は目いっぱいの笑顔を作った。
「エリザベート様と再び婚約するのですよね。おめでとうございます」
「えっ?」
「よかったじゃないですか。あれだけ好きだったエリザベート様と一緒になれるのですから、今夜はお祝いですね! あっ、私はすぐに邸を出て行くのでご心配なく。ガレットのレシピは料理長が知っていますし、女主としての仕事は書面に纏めておきます。それから、他に必要なのは……えっ?」
両肩を強く掴まれ、言葉を止めた。
ベルナード様が怒りの含んだ青い瞳で私を見据えてくる。
「ラシュレ、何を言っているんだ。邸を出て行くって本気なのか?」
「それは……約束したじゃないですか。好きな人ができたら婚約を解消するって。それにエリザベート様と復縁するのに、私がいつまでも邸にいては迷惑でしょう」
「どうしてそうなるんだ。俺を信用してくれているんじゃないのか?」
ベルナード様が、悲しそうに目を伏せた。
予想外の反応に、私の声が小さくなる。
「だって、婚約するときにそう決めましたから……」
数秒の沈黙ののち、ベルナード様は大きく息を吐く。
そしてゆっくりと顔を上げた。
「俺は、エリザベートと復縁するつもりはない」
「どうしてですか? 私に遠慮する必要はないのですよ?」
「遠慮じゃない。そもそも彼女と婚約解消できてほっとしているんだ。それなのに、わざわざ再婚約するはずないだろう」
「ほっとしている? えっ、でもベルナード様はエリザベート様を愛していたのですよね?」
ベルナード様は私の肩から手を離し髪をガシガシと搔くと、「どうしてそうなるんだ」と当惑した声を出した。
「えっ、でも。沢山の宝石を買ったり、ドレスを用意したり、とんでもない我儘を聞くぐらい大好きだったのですよね」
「ラシュレは俺を、被虐趣味のある男だと思っているのか? そんな我儘を言う女、愛するはずがないだろう」
愛するはずがない? だったらどうして我儘をずっと聞いていたの?
混乱する私を前にして、ベルナード様は反対に落ち着いたようだ。「ひとつずつ整理しようか」と言うと、膝の上で手を組んだ。
「クローデル侯爵家の財政難は知っているだろう。エリザベートと婚約中バーデル侯爵家から多額の資金援助を受けていた。だからエリザベートを蔑ろにできなかったんだ。我儘を聞いたのは好きだからではない。仕方なく受け入れていただけだ」
「……でも、婚約破棄宣言のあと、落ち込んでいました」
「あれはただ、日頃の激務と睡眠不足で疲れていただけだ」
「じゃぁ、手紙は……?」
「手紙?」
不思議そうに首を傾げるベルナード様に、机の引き出しを整理しようとして偶然手紙を見つけてしまったと話す。「勝手なことをして申し訳ありません」と謝ると「好きに触っていいと言ったのは自分だから、気にする必要はない」と言ってくれた。
「あの手紙、そんなところに入っていたのか。てっきり捨てたと思っていた」
「大事だから仕舞っていると思いました」
「まさか。そもそも、俺が書いた手紙が俺の手元にあること自体不自然だろう? ある日、エリザベートが突然執務室を訪ねてきて、あの手紙を俺に叩きつけたんだ。『全然心が籠っていない』『いつも同じ言葉ばかり』『適当に書いているんでしょう』と怒鳴られ、挙句の果てに父親に言って資金援助を打ち切る、とまで言い出した」
うわっ。とんでもない暴挙じゃない。
そういえば、手紙はところどころシワが入っていた。あのときは文面にショックを受け気にしなかったけれど、今思えばすべてが不自然だ。
「バーデル侯爵は常識のある人だから、短絡的に資金援助を打ち切らないとは思うが、それでも可能性はゼロではない。気持ちがなくても手紙の文言ぐらい何とでもなるから、その日以降は使用人に耳心地のいい言葉を聞き、それを書いていた。ちなみに、手紙は三日に一度は書くことを命じられ、「愛するエリザベート」の文言も入れるよう半ば強制された」
聞かされる話は、私が思っていたのとは正反対のことばかりだった。
要は、すべて私の勘違いだったんだ。
「そもそも、エリザベートに愛情がないと言う話は、会った日にしたはずだが」
「えっ? それはいつですか?」
「ローナの店で飲んだときだ……なるほど、理解した。酔っぱらっていて記憶がないんだな。だから今まで勘違いしていたのか」
……そんな話、聞いた記憶がない。
そしてあの夜の記憶も、途中からおぼろげだ。
だとしたら、私はなんてことをしてしまったのだろう。
あの場から立ち去り、エリザベート様とベルナード様をふたりっきりで会わせてしまうなんて、失態だ。
「申し訳ありません。まったく記憶にありません」
「そのようだな」
「そ、それで。大丈夫でしたか? エリザベート様に婚約しようと迫られたのですよね」
「俺には新しい婚約者がいるから、エリザベートと復縁することは絶対にないと言ったら分かってくれた」
それならよかった……と私がすんなり納得すると、ベルナード様は思っているのだろうか。
「嘘です。さっき聞いたエリザベート様の性格と、私に向けて啖呵を切った姿から、そう簡単に引き下がるとは思えません」
「……鋭いな」
「これでも、一応婚約者ですから」
「俺を被虐趣味のある男だとずっと勘違いしていたのにか?」
痛いところを突かれ、ぐっと口を噤む。
それはそうなんだけれど、初めて庭で見たベルナード様の憔悴した姿が印象深すぎて、エリザベート様を愛していたと勘違いしてしまったのだ。
「それについては申し訳ありません。ちなみに、どう言って婚約を断ったのですか? その……一筋縄ではいかないように思うのですが」
「あぁ、それは……、ま、いろいろだ」
「いろいろ?」
ベルナード様は急に口籠ると、少し頬を赤くさせた。「俺の気持ちを」「ラシュレが」ともごもご言うが、要領を得ない。
ただ、部外者の私が首を突っ込みすぎるのは良くないと、聞き直すのはやめることにした。
誤解が解けほっとしていると、ベルナード様がちょっと恨めしそうに私を見てきた。
「それにしても、ラシュレはあっさりと引き下がったんだな」
「『私はあなたと違ってベルナード様に愛されている』と言われれば、何も言い返せません。そもそも、私たちはお互い好きな人ができたら別れる約束ですから」
「たしかにそう約束した。でも俺は……」
言葉を途切らせると、ベルナード様はポケットから小さな布袋を取り出す。
はい、と渡されたその袋の紐を解くと、中にはほわりと光る小さな石がひとつ入っていた。
「もしかして、手紙に書いてあった光る石ですか?」
夜空に輝く星と同じように光る石が砂浜に散らばっていると、手紙で教えてくれた。
すごく綺麗な光景だろうなと想像し、見てみたいと返事した覚えがある。
「土産だ。この石には特別な意味があって……いや、それは今はいい。受け取ってくれるか?」
「もちろんです! うわっ、本当に星みたいです」
石を摘まみ、いつの間にか花火が終わった夜空に掲げて見る。
まるで星が手元に落ちてきたようだ。
「その村では、流れ星が光る石になったと言われている。だから、願いがなんでもひとつ叶うそうだ」
「それはロマンティックですね」
「だろう。ラシュレ、いつかその浜辺に一緒に行かないか?」
ベルナード様が青色の瞳を柔らかくして聞いてくる。
「はい、是非行きたいです。どうせなら、ハチカワの木のある山にも足を運びたいです」
「分かった。じゃ、それまで俺は頑張るとするよ」
細められた目に、一瞬熱が籠った気がした。
でもその瞳はすぐに伏せられ、それと同時に私の髪に手が伸びてくる。
そのままベルナード様は私の髪に唇を落とした。
「えっ? あ、あの」
「そろそろ戻ろう。片付けも終わっているだろう」
そう言ってベルナード様が立ちあがる。
戸惑う私に、ベルナード様はいつもと変わらぬ顔で手を伸ばしてきた。
握り返した手は力強く、自然と口角が緩んでしまう。
ずっと傍にいたいという私の願いを、この石は叶えてくれるだろうか。
ベルナードがエリザベートになんと言ったのかは、次回のベルナード視点で触れます。
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