29.星見祭りとガレット5
どうしてここにエリザベート様がいるのだろう。
婚約解消してからも、ベルナード様と連絡を取っていたのだろうか。
そんな様子はなかったように思うけれど、エリザベート様のお父様であるバーデル侯爵様から迷惑料を受け取っているから、没交渉ではない。
爵位が上の相手に座ったままでは失礼だと立ち上がると、エリザベート様はちょっと驚いたように私を見上げた。
「随分と背が高いのね」
「はい」
「ベルナード様の趣味とは程遠い容姿で、どうやって彼をたぶらかしたの?」
下からねめつけるように見られ、半歩足を引いて下がる。
この状況はいったい何?
婚約破棄宣言をしていながら、ベルナード様が他の女と結婚するのが面白くないのだろうか。
「男性をたぶらかすなんて、私にはできません」
「たしかに。色香も女性らしさもないものね」
ざっと私の身体に視線を巡らせ、嫌味っぽく口角を上げる。
身長が高く凹凸に恵まれない体形なのは自覚しているけれど、女性らしいしなやかな身体のエリザベート様に言われると、傷つく。
私の顔が曇り、それがさらにエリザベート様を勢いづける。
「だから、お酒を沢山飲ませて、宿に連れ込んだのでしょう?」
「えっ?」
「だって、ベルナード様は私のことをすごく愛していたもの。それぐらいのことをしなくては、あなたなんて相手にするはずないわ。もしくは、私に婚約破棄されたショックで誰でもいいと思ったのかしら?」
この人は、何を言いたいのだろう。
エリザベート様はベルナード様と婚約解消したあと、王都にあるボナパルト男爵邸で暮らしているとタブロイド紙に書いてあった。
日帰りできる距離とはいえ、わざわざ元婚約者の領地で行われるお祭りに来る理由が考えられない。
「あの、今日はボナパルト男爵様はご一緒ではないのですか?」
「知らないわ、あんな男」
「あんな男?」
卒業パーティ会場は関係者以外立ち入り禁止だから、エリザベート様が婚約破棄宣言をしたときボナパルト男爵様はいなかった。
ふたりがどれほど親しいのか実際に見たことはないけれど、ベルナード様と婚約解消するほど愛し合っていたのは確かだ。
そのあとは一緒に暮らしているから関係は良好だと思っていたのに、エリザベート様の口調は棘があるものだった。
「そうよ。婚約するまでは私が一番だ。私だけだと言っておきながら、愛人がいたなんて信じられない。結婚は私とするけれど、愛人とは別れないなんてふざけているわ。だからお父様に言いつけてやったの。それなのにお父様ったら、自己責任だ、二度とバーデル侯爵邸へ帰ってくるなと言うのよ」
ベルナード様はバーデル侯爵様は常識ある人だと言っていた。
エリザベート様は怒り心頭と言った感じで捲し立てるが、親に内緒で勝手に婚約破棄宣言をしたのだから、縁を切られても文句は言えないと思う。
フィリップ様とタチアナの仲を認めている叔父夫婦のほうが、非常識だ。
「えーと、つまりボナパルト男爵様はご一緒ではないのですね」
「当たり前でしょう。あんな男、もういらないわ」
「いらない、とは? もうすぐ結婚すると噂で聞きましたが……」
「しないわ。私、不誠実な男は大っ嫌いだもの」
じゃ、どうしてベルナード様と婚約破棄したのかと怒りがこみ上げてくる。
卒業パーティの夜、婚約破棄宣言をされ項垂れるベルナード様の姿を私は知っている。
疲れ切ったように肩を落とし、憔悴しきっていた。
彼をそこまで傷つけたくせに、新しい婚約者を「あんな男」と言うエリザベート様の心情が理解不能だ。
「でも……ご実家には帰れないのですよね」
「そうよ。だからベルナード様と再び婚約して、クローデル侯爵邸で住もうと思っているの。あなた、邪魔だから出ていってくれる?」
まるで決定事項のような物言いに、もしかしてすでにベルナード様に相談済みなのかと思ってしまう。
だけれど、ベルナード様は昨日まで領地の南側でハチカワの皮を加工していた。
手紙のやり取りは可能だけれど、そんな大事なことを文面だけで決める人ではない。
そして何より、「信頼している私」に相談しないはずがなかった。
「それはベルナード様のご意思ではありませんよね」
「そうだけれど。でも彼は私を愛しているから、私の言うことならなんでも聞くわ。あっ、そういえばあなた、帰る実家がないのよね。いいわ、使用人として置いてもらえるよう私からベルナード様に頼んであげる」
ベルナード様から愛されているから言える言葉の数々に、打ちのめされる。自分がちっぽけな存在になったように感じた。
偶然見てしまった手紙とそこに書かれた文面が、胸をギシッと痛ませる。
言い返せない私に、エリザベート様は勝ち誇ったように笑った。
「反論できないところを見ると、やっぱりベルナード様は一夜を共にした責任であなたと婚約したのね。婚約破棄されたあなたたちが新たに婚約して、幸せになれるはずがないもの。あっ、それともふたりの婚約は、私やあなたの元婚約者へのあてつけかしら」
「違います! あてつけなんかじゃ……」
「ねぇ、あなた。ベルナード様から愛しているって言われたことがある?」
「!!」
決定的な一言に、唇を噛みしめる。
信頼しているとは何度も言われた。でも、ベルナード様は私に特別な感情を持っていない。
俯き立ち尽くす私の視界に入るよう、エリザベート様がさらににじり寄ってきた。
「分かったでしょう。今でも彼は、私を愛しているの」
真っ赤な唇が、優越感に満ちた弧を描く。
その言葉に耐えられず、気づけば私は走り出していた。
ベルナード様に愛されているエリザベート様の前にいるのが辛く、惨めで、悲しかった。
結局、私はどこへ行っても必要とされないんだ。
やっと自分の居場所を見つけたと思ったのに、それはあっけなく崩れるほどの頼りないものだった。
どうしてずっと穏やかな日々が続くと、疑いもしなかったのか不思議になってくる。
どこを走ったのかは分からない。
広場は広く、中心から離れると背の高い木々が立ち並ぶ。
昼間でも薄暗いそこは真っ暗で、私は闇に姿を同化させるかのように木の根元にしゃがみ込んだ。
次々流れる涙は、頬を伝いワンピースに染みを作る。
遠くから聞こえる喧騒の中にさっきまで自分がいたなんて思えず、取り残された気分に押しつぶされそうになる。
初めて誰かを好きになれたのに。
恋がどういうものかを知りかけてすぐに、私は失恋してしまった。
いや、恋が始まった時点ですでに失恋していたのだ。
今頃、ベンチに戻ってきたベルナード様はエリザベート様と再会しているに違いない。
エリザベート様から再度婚約を申し込まれたベルナード様は、きっと喜び応じるだろう。
私はきちんと祝福できるかな。
クローデル侯爵邸で使用人として働くなんて、辛すぎてできない。
働き場所も探さなきゃ。その前に荷物を纏める必要がある。
やらなきゃいけないことをいくら思い浮かべても、悲しみが大きすぎて立ち上がれなかった。
私は抱えた膝に顔を埋め、ぎゅっと目を閉じる。
今はただ、じっとこうしていたい。
自分で自分を抱きしめるように腕を回し、私は星見祭りが終わるのを待つことにした。
お読み頂きありがとうございます。興味を持って下さった方、是非ブックマークお願いします!
☆、いいねが増える度に励まされています。ありがとうございます。