25.星見祭りとガレット1
庭師のお爺さんとお揃いの帽子を脱ぎ、額の汗を拭う。
今日は朝から裏庭に植えた薬草の手入れをしている。
領地視察から帰って一週間は、ベルナード様と一緒にお祭りで出すガレットのメニューを考案したり、ソバの生産に向く土地や販売経路などを調べていて、薬草のお世話は庭師に任せっきりになっていた。
必要なソバ粉は、アダム様が当日までに用意してくれる手はずとなった。
先に試作に必要なソバ粉を運んできた御者の話では、予想以上の量が手に入るそうだ。
ベルナード様がエリザベート様の実家から受け取ったお金はそれなりの額らしく、ソバ粉すべてを買い取ってもまだ余る。
昨日はバートン様が翻訳した原稿を受け取りに来られた。
そこでお祭りでガレットを販売するから取材をして欲しいと頼んだところ、快諾してくださった。
どうやら私たちを取り上げると、タブロイド紙の売り上げが顕著に伸びるらしい。
誤解が生じそうな記事もあるけれど、ガレットが売れるのであればそこは目を瞑るつもりだ。
「少し休憩しませんか?」
そう言って腰を伸ばしたところで、荷馬車の車輪の音がした。
音のする方へ目を向けると、荷馬車を先導していたセバスチャンが「お客様を案内しました」と声を張り上げた。
「ありがとう」
荷馬車へ駆け寄ると、御者席からケビンが降りてくる。
お店で見るより顔が強張っているのは、ここが侯爵邸だからだ。
「ラシュレ、本当に侯爵夫人になったんだな」
「まだ婚約者よ。それより積んでいるのが頼んでいた肥料ね」
「ああ、今降ろすよ」
ケビンが二十キロはありそうな布袋を五つ、荷台から降ろす。
少しでも現金収入を増やそうと、ベルナード様の許可をもらって薬草畑を広げることにした。
でも、土地が少しやせていたので、庭師の助言で肥料を撒くことにしたのだ。
ケビンに相談したところ、薬草にお薦めの肥料を特別に手配してくれた。
「ありがとう。せっかく来たのだから、ガレットを試食していかない?」
「ガレット?」
「そう。次の星見祭りで出す予定なの。いろんな人の意見を聞きたいから、試食してくれると助かる」
「そういうことなら是非。ちょうど昼飯を食べ損なって腹が減っていたんだ」
それなら丁度良かった。
露店で出品する予定の三品すべてを食べてもらおう。
肥料は明日撒くことにして、私たちは裏口へ向かう。
入ってすぐに台所があり、その隣に使用人の食堂がある。
ケビンにはそこで少し待ってもらい、私はガレットを作るべく台所へと向かった。
暫くして料理長と一緒に三皿を食堂へ運ぶと、ケビンの顔が分かりやすく破顔した。
「うわっ、うまそう」
「忌憚のない意見を教えて」
フォークとナイフを渡すと、さっそくケビンはガレットを切り分け口に入れた。
「それは卵とベーコン、チーズのガレットよ。こっちが魚介類をバターで炒めニンニクと胡椒を効かせたもの。インゲン豆も添えたわ」
「卵がとろとろで美味しい。魚介の方はエールが欲しくなる組み合わせだな」
「でしょう。で、最後が海老とアボカドとレタスたっぷりのガレット。ヘルシーだから女性受けがいいと思うの」
他にもソーセージとポテトのマスタード和えや、キノコと玉ねぎのバター炒めも美味しかったけれど、ひとまずこの三種類に絞った。
ケビンは順番に一口ずつ食べ、どれも美味しいと言ったあと、真ん中のガレットに再度手を伸ばす。
「俺はこれが一番かな」
「そういえば、ケビンはお酒が好きだったわよね」
「あぁ、思い出させないでくれ。飲みたくなる」
「用意しようか?」
「いやいや。侯爵家のワインを俺なんかが口にできるわけがないだろう」
とんでもないと手を振りながら、もう片方の手でガレットを口に運ぶ。
お腹が空いていると言っていただけあって、ケビンの食欲は留まるところを知らない。
「おいしい」「あー飲みたい!」「アボカドと海老の組み合わせは間違いない」と食べたり感想を言ったりとせわしない。もちろん手が止まることはない。
見事な食べっぷりは、見ごたえのあるショーのようだ。
行儀が悪いと思いつつ、テーブルに肘をつき手のひらに顎を乗せてケビンの食事を眺めていると、ふいに背後から声がした。
「ラシュレ、ここにいたのか」
「ベルナード様。お仕事は終ったのですか」
首を捻って見上げると、ベルナード様が柔らかな笑みで立っていた。
一見穏やかそうだが、心なしか目が笑っていない気がする。
「ごほごほっ、お、お邪魔して、おります」
いきなりベルナード様が現れ、ケビンが盛大に咽る。グラスに水を注いであげようとすると手で制され、自ら注いで一息に飲み干した。
ベルナード様は私の隣に座ると、「仕事が一段落したから、休憩中だ」と言う。
進んで休憩時間を作ってくれるようになったのは嬉しいけれど、どうして使用人の食堂に来たのだろう。
ちょっと気になりつつも、お水を手渡す。
「ケビンにガレットの感想を聞いていました。どれも美味しいそうです」
「それは良かった。ラシュレが頑張ってくれたんだ。是非知り合いにも声をかけて欲しい」
な、とベルナード様が私に同意を求めるよう、首を傾げる。
顔色が良くなり、髪も肌も艶を取り戻したベルナード様は、誰もが振り返る美丈夫となった。
これがすべて私の健康管理の成果だと思うと胸を張りたくなるけれど、そんな見目麗しい人に至近距離で微笑まれると、どうにも落ち着かずむずむずしてしまう。
「分かりました。母にも頼んで知り合いにガレットの話を広めます。ところで、このガレット、どうやって露店で販売するのですか?」
「簡易の竈を作ってそこで生地を焼く予定だ。食材は事前に下準備をして持っていこうと思っている」
ベルナード様の返答に、ケビンはちょっと困ったように首を振る。
「そうではありません。祭りでは座って食べれる場所が少ないので、フォークやナイフを使えません。器も大抵は厚紙を使用しますが、ガレットを載せると滑り落ちる可能性もありますよね」
言われてハッと気がつく。
ガレットの美味しさを伝えることばかり考え、器にまで気が回っていなかった。
「ベルナード様、私、そこまで考えていませんでした」
「それは俺も同じだ。そうか、食べる場所か……」
意外なところで躓いてしまった。
あらかじめ切って売ればナイフは必要ない。
でもお皿となると……。
「そういえば、遠方の国では野営のときに剥がれた木の皮を皿代わりにすると本で読んだことがある」
「木の皮を、ですか?」
「ハチカワの木は、成長すると表皮が脱皮するかのように剝がれるんだ。十五から二十センチ四方の大きさで、火にあぶると内側に丸まる特性がある。火加減を調整すれば平皿だけでなく椀やコップとしても使えるそうだ」
ベルナード様の記憶力にはいつも驚かされる。
翻訳した内容は、ほとんど記憶しているらしい。もちろん一字一句間違いなくというわけではないが、要約した文章が頭の中で整然と並んでいる感じだと教えてくれた。
「その木は簡単に手に入るのですか?」
「あぁ。領地の南部に海沿いの村がある。海沿いといってもすぐ後ろは山で、そこに生息していたはずだ。耐久性がないので使い道がなかったが、露店に出すには問題ないだろう」
「それなら厚紙より使い勝手が良さそうです」
「そうと決まれば、ラシュレ、俺は今から南部の領地へ行ってくる。すまないが留守を頼めるか?」
言いながら、ベルナード様は既に席を立っている。
昨日、暫く翻訳の仕事をセーブすると言っていたので、仕事に差し障りはないと思うけれど、あまりにも急だ。
「ベルナード様が今から行かれるのですか?」
「実際にどんなものか見てみたい。それに火加減によって湾曲具合が変わるなら、どんな皿が必要か分かっている俺が行くのが一番いいだろう。祭りまでに時間がないから、馬で行こうと思う。だから、ラシュレは連れていけないんだ」
馬車より馬のほうが早い。でも私は乗馬ができないので、着いていくのは無理だ。
それに、ベルナード様が留守の間も露店の準備でしなくてはいけないことが幾つもある。
「分かりました。お気をつけて行ってきてください」
うん、と頷くベルナード様が明るい。
なんだか楽しそうだ。そういえば小麦畑の視察も興味深そうにしていたし、案外フィールドワークが好きなのかもしれない。
「すっかり心身ともに健康になられましたね」
「そうか?」
「初めて会ったときと違います。我ながらいい仕事をしました」
健康的な身体に加え、表情が溌剌としている。
全身からやる気が溢れる姿に、私まで嬉しくなる。
「美味い食事に適度な運動、充分な睡眠。たしかにすべてラシュレのおかげだ」
「ふふ、そうでしょう?」
ふざけて胸を張る私の横で、ケビンが「適度な運動、充分な睡眠」となぜか復唱している。
「ラシュレって、すごいんだな」
「あら、今頃気がついた?」
少しケビンの耳が赤い。どうしたのかなと思っていると、ベルナード様に引き寄せられ、髪に口付けが落とされた。
「えっ!?」
「では準備をしてくる。出発前には声をかけるから見送ってほしい」
「は、はい。それはもちろんですが……」
なぜキス?
呆然と髪に触れる私に、ベルナード様は手を振ると食堂を出ていった。
隣でケビンが「どうして俺を牽制するんだ?」と首を傾げているが、私もそう思う。
ただ、口元がにやけそうになったので、ケビンの問いには答えず黙々と食器を片付けることにした。
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