24.視察7 ベルナード
ベルナード視点です。
扉の前で立ち尽くすラシュレに場所を変わってもらい、俺が「どうしたんだ」と問えば、アダムはおずおずと顔を上げた。
「実はルーク……あっ、犬の名前なのですが、ルークは身体は大きくてもまだ一歳なんです」
「それで?」
「普段入れない部屋にテンションが上がったらしく、随分騒いだようです。それで、ルークははしゃぎすぎると粗相をする癖がありまして。つまり、ラシュレ様のベッドでやらかしてしまいました。昨日洗ったシーツはまだ乾いていなく、替えのシーツがご用意できません」
「えーと、それじゃ、ラシュレは……」
犬が漏らしたことを平謝りするアダムを責めるわけにもいかず、今夜どうすればいいかと聞けば、ポンと肩に手を置かれた。
「幸いこの部屋のベッドはキングサイズです。ふたりでもゆったりと使ってもらえます」
「おい、ちょっと待て」
俺が当主を継ぐ前によく見せた、気の知れた兄のような笑みをアダムは浮かべた。
「もともとふたりの寝室を分けるか一緒にすべきか両親とも話をしたんです。とりあえず二部屋用意して、ふたりが同室がいいのならこの部屋だけを使ってもらう予定でした」
「いやいや、結婚式の日取りだってまだ決まっていないんだぞ」
「ですが、タブロイド紙によると婚約破棄された夜、一緒にいたんですよね?」
あれは……、と説明しようとするも、アダムは部屋に入りラシュレにボストンバックを手渡す。
「申し訳ありませんが、あの部屋は使える状態ではないので、今夜はここにお泊りください。荷物は侍女が詰めましたので、確認してください」
ラシュレは戸惑いながらも、素直に荷物を受け取る。
ありがとうございますと丁寧に頭を下げるラシュレにアダムはもう一度謝ると、扉の前で立ち尽くす俺に向かってにやりと口角を上げた。
「では、良い夜を。ベッドサイドのベルを鳴らすまでは誰も部屋に近付きませんので、朝はゆっくりしてください」
すれ違いざまにもう一度俺の肩を叩き、アダムは出ていった。
大きな誤解が生じているが、言い訳をしたところで信じてもらえるとも思えない。
俺はゆっくりと部屋を見渡す。
大丈夫、ベッドの他にもソファがある。今は夏だからジャケットを身体にかけて寝れば寒くないだろう。
「ラシュレ、俺はソファで眠るからベッドを使ってくれ」
「? こんなに広いのにソファで眠るのですか? 私、寝相はいいほうなのでふたりで寝れると思いますよ」
ラシュレは立ち上がりベッドに向かうと、ストンと腰かける。さらには「ふかふかですね」と言いながら、そのままベッドに上がってしまった。
キングサイズベッドの真ん中にちょこんと座ると、ラシュレは置かれているふたつの枕を指差す。
「私はどちら側に寝ればいいですか?」
~~!!
いや、これは何も分かっていない。
湯上りの寝間着姿という刺激的な格好で枕を指差す俺の婚約者は、自分の置かれている状況にあまりにも無頓着だ。
女性が閨について教わるのは、結婚式直前の場合もあると聞く。アダムがそう言っていた記憶がある。
俺は重いため息を吐きながらベッドに向かうと、端に腰かけた。
「ラシュレ、クローデル侯爵家には跡取りが必要だ。だが、初めに言ったように、それは養子でいいと思っている」
いきなり単刀直入に切り出す勇気がなく、少し遠回りのところから話すと、ラシュレは思い出すように視線を宙に向け、そのあとコクンと頷いた。
「はい、そのように仰っていました。でも、ベルナード様がお嫌でなければ、産んでもいいのではと思っています。それが自然ですし、後継者探しは親戚のしがらみやら嫉妬で大変だと聞きます」
「産んでも、いい?」
「だって、私たちの結婚は契約結婚ではありませんよね。そのつもりでいたのですが……?」
唖然とする俺の前で、ラシュレが心底不思議そうに首を傾げる。
いつの間に、そんな重大な決意をしていたんだ。
「……ラシュレはそれでいいのか?」
「良いとか悪いではなく、貴族にとって結婚とはそもそも子孫を残し家を守ることですから」
ラシュレの言い分は、貴族にとっては当たり前のことで何一つ間違っていない。
結婚とはそういうもので、愛情有無はまた別の話しだ。
だが、彼女は肝心のことを何も教えられていないのだろう。
実家とも縁を切った今、母親が嫁ぐ娘に話す内容を伝えられるのは俺だけだ。
「ラシュレ、よく聞いてくれ。赤ちゃんはキャベツ畑にいるわけではない」
「はぁ……」
「コウノトリが運んでくるわけではない。ラシュレは何も知らないのだろうが……」
「あ、あの。し、知っています、よ?」
さっきまで平然としていたラシュレの顔が急に真っ赤になる、
そうして枕を掴むと、恥ずかしそうにそこに顔を埋めた。
「知っているのか?」
「具体的にと言われると困りますが、おおよそは」
「……そうか。って、その上で、俺の子供を産むと言ったのか」
榛色の髪が上下に揺れる。枕に顔を埋めているので分かりにくいが、頷いているのだろう。
「あっ、あの。もちろん無理強いするつもりはありません」
「う、うん」
「無理に襲ったり、ましてや今夜どうこうなんて考えていませんから、安心してください」
「ラシュレ、それは俺のセリフだ」
参ったな、と首の後ろを掻けば、自分でもびっくりするぐらい熱を持っていた。
きっと顔も赤いだろう。ラシュレが枕に顔を埋めていてよかった。
「そのままの体勢でいいから、聞いてくれ。俺もラシュレに無理強いするつもりはない。この結婚はお互い利益があってしただけで、愛情よりも信頼を求めている。そうだよな?」
「はい。まだ三ヶ月しか一緒に暮らしていませんが、ベルナード様は信頼できる方だと思います」
「それはよかった。その信頼を失わないためにも、ラシュレが嫌だと思うことはしたくない。多分、俺にそういう意味で触れられるのは、ラシュレにとって辛いことだと思う。だから、子供は養子を迎えよう」
「辛いこと、なのでしょうか?」
ラシュレはそろそろと顔を上げると、オリーブグリーンの瞳を俺に向けた。
当惑するように、その視線が揺れている。そうして何度か口を開け閉めしたあと、意を決したように発した。
「多分ですが、私はそれほど嫌ではないと思います」
……この状況で、この発言を俺はどう受け止めるべきなんだ?
誘われているのだろうか。いや、ラシュレの性格からそれは考えられない。
今になってアダムと飲んだ酔いが回ってきたのは、ラシュレとベッドで向かい合い鼓動が速くなったせいだろう。
「飲まなきゃよかった」
「お水、持ってきましょうか?」
「いや、いい」
ラシュレは戸惑ってはいるものの、いつもと変わらない。
それに安心しつつも頭が痛くなった。これはどうするのが正解なのだ。
酔った頭でまともな答えが出るはずがなく、俺は半ばやけになってラシュレの頬に手を伸ばした。
触れた指先から熱が伝わる。一度は治まったラシュレの頬に赤味が戻る。
「あ、あの」
「本当に嫌じゃないのか」
違う。この質問は間違いだ。俺が言いたいのはそうじゃなくて……。
「嫌ではありません」
それなのに、ラシュレは迷うことなく頷いた。
きっぱりとした答えに、俺のほうが狼狽えてしまう。
ラシュレは手を伸ばすと、同じように俺の頬に触れた。
「ベルナード様は嫌ですか?」
「まさか。ラシュレに触れられて嫌なはずがない」
「それはよかったです」
ふふっと笑ってから、ハッと気づいたようにまた枕に顔を埋めた。
「あの、これに深い意味はありませんから! 安心してください」
「だから。それも俺のセリフだ」
天然なのか。
もじもじと恥ずかしそうに枕を抱えベッドで身を小さくする婚約者を、俺はどうしたらいいんだ? 誰か教えてくれ。
頭が混乱する。手が勝手に動きラシュレの髪を撫でた。
細い髪が華奢な肩から胸元へと緩やかなカーブを描き流れるさまはとても煽情的で、ゴクンと喉がなる。
エリザベートには感じなかった欲が自分の中に沸き上がってきた。
それと同時に、ラシュレを大事にしたいと思う。
彼女を束縛したくないのに、誰にも渡したくないと思ってしまう。
愛情のない結婚だと言っておきながら、自分に向けられる言葉が特別なものであればと願うのはどうしてだろう。
ラシュレに求めているのは信頼関係だと言ったばかりなのに、速まる鼓動が本当にそうかと問いかけてくる。
「ちょっと、夜風に当たってくる。ラシュレは先に寝ていてくれ」
「……分かりました。えーと、こっちでいいですか?」
ベッドの奥を指差すラシュレに「どっちでも」と苦笑いし立ち上がる。
そこでラシュレの目が不安そうに泳いでいるのに、気がついた。
俺が嫌がっている、もしくは拒絶されたと勘違いしているのかもしれない。
いい方が悪かったなと反省し改めてベッドの奥を指差す。
「では、そちらで寝てくれ。養子については結婚してから考えよう」
ラシュレの不安を払拭するためにもう一度ベッドに片膝を乗せ、その旋毛にキスを落とした。やりすぎだと酔いが回った頭の隅で思いつつ、もう一度触れたい衝動に負けてしまったのだ。
「おやすみ、ラシュレ」
そう言って、俺は恥ずかしさからラシュレを見れずに部屋を出た。
ちょっと、諸々、落ち着かなくてはいけない。
ソファで眠ってもいいのだが、そうなるとラシュレが妙な不安を抱くかもしれない。
「一緒のベッドで寝るか」
俺が部屋を出たあと、キスされた髪を押さえ真っ赤な顔で悶絶するラシュレを知る由もなく、眠れない夜を覚悟しながら、夜の散歩に繰り出したのだった。
「契約結婚ではない」「でも好きな人ができたら別れよう」の微妙な認識のずれ。
ラシュレは元婚約者と結婚する覚悟があったぐらいなので、そこらへんは腹が据わっています。
どちらかというとベルナードのほうが乙女…というか、ラシュレを大事にしたい感じです。
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