23.視察6
その日の夜、湯あみを終えた私は、用意された客間へと戻る。
当然ながらベルナード様とは別の部屋だ。ただ、それほど大きな邸ではないのでベルナード様の部屋はすぐ隣にある。
明日にはもう帰るので荷造りをしなくては、と考えつつ扉を開けた私は目の前の光景に呆然とした。
シーツは乱れ、破れた枕から出た羽毛がベッドの周りに飛び散っている。
テーブルの位置も部屋を出たときと違うし、ソファはひっくり返っていた。
口をあんぐりとさせていると、茶色い毛玉が飛び掛かってきた。
ワンと吠えながら尻尾をぶんぶんと振るそれは、大型犬のアイリッシュセッターだ。
光沢のある長い毛並みが特徴のその犬は、遊び終えて満足だとばかりに舌を出し尻尾を振っている。
トパート家で飼われていて、日中は敷地内で放し飼いにしているが、夜にはアダム様の部屋で眠ると聞いていた。
ただ活動的な性格らしく、アダム様の部屋に限らず扉が開いているとどの部屋でも入り、いろいろやらかすらしい。
だから部屋を出るときは扉をしっかり閉めるように言われていたのだけれど、少し隙間が開いていたようだ。
普段鍵がかかっている客間に入れたせいか、相当はしゃいだ形跡が残っている。いや、残っているなんて可愛いものではなく、突きつけられた現実に頭が痛くなってきた。
「随分楽しんだみたいね」
褒めて欲しいのだろうか。尻尾を振って私を見上げてくるので頭を撫でてあげると、舌を出しハッハッと喜んだ。
これはこれで可愛いけれどどうしたものかと思案していたら、背後でアダム様の声がした。
「申し訳ありません。部屋にいないと聞いて探していたら、ラシュレ様のところにいたのですね」
「これは随分と派手にやられたな」
頭を下げるアダム様の横で、ベルナード様が苦笑いで私の部屋を覗き込む。たしかこのふたり、サロンでお酒を飲むと言っていた。
「すみません。部屋の扉をしっかり閉めるように言われていたのに、私の責任です」
「そんなことありません。すぐに部屋を片付けさせますので、それまでベルナード様の部屋で待っていてくれますか?」
「分かりました」
アダム様はベルナード様にも謝ると、侍女を呼びに一階へ駆けおりていった。
言われたとおり、片付くまで隣のベルナード様の部屋で待たせてもらうことにする。
ベルナード様の部屋は私が使っていた部屋よりも広く、ベッドも大きかった。
男爵夫人がお茶を持ってきてくれたので、片付けを手伝おうかと申し出たが、断られてしまう。
「迷惑をかけてしまいました」
「犬がしたことなのだから、ラシュレが気にする必要はないだろう」
ベルナード様はそういいながら、ローテーブルに置いてある本を手にする。
異国の言葉で書かれた料理本をパラパラと捲りながら、頭の中を整理するかのようにゆっくりと話だした。
「俺は常々、クローデル侯爵領は小麦の栽培に向かないと思っていた。それで、栽培に適した作物はないかと調べていて、候補としてあげた中にソバもあったんだ」
「そうなのですか?」
「ただ、当時はソバなんて作っても収入にならないと、それほど詳しく調べなかった。帰ったら、検討してみようと思う。それをラシュレにも手伝ってもらいたいのだが、いいだろうか」
「もちろんです! 一緒に考えましょう」
領地経営をするのは昔から好きだ。
小麦以外の作物も作ろうと父や祖父と思案したこともある。
あのときは、トマトやキュウリと言った野菜を幾つか植え、成長や収穫の記録を取ったものだ。
そしてそれを領民にも分けて……とそこまで思い出して気がついた。
「クローデル様、それと同時にソバ粉が美味しいことも広めなくてはいけません」
「あぁ、そうだな。ソバ粉を収入源にするには、需要がなくてはいけない。ガレットをどうにかして広めることができたら、ソバ粉を欲しい人も増えると思うんだが……」
「需要を増やすためにガレットの認知度を高めましょう。それからソバ粉が儲かると農夫たちを説得し、栽培してもらう必要があります」
農夫たちにとって、ソバ粉は小麦の代替品でしかない。
その認識を変えないと、小麦畑をソバ畑に変えるのは難しいだろう。
「つまり、農夫たちの認識を変えると同時に、領民にガレットを広めなくてはいけないのか」
需要と供給のバランスがとれてこそ収入になる。
理屈はそうだけれど、実際にするとなるとなかなか難しい。
「俺が翻訳した本を多く刷ってもらい買い取って、領民に配るか?」
「それも悪くありませんが、莫大な費用がかかりませんか? それに農民の全員が文字を読めるとは思えません」
大量の本の購入費と運搬費だけでもかなりのお金が必要だ。
残念ながら、クローデル侯爵家にそれだけの貯えはない。そんな私の心配を見越したかのようにベルナード様が「実は」と切り出した。
「エリザベートの実家から一方的に婚約解消したお詫びだとまとまった金を受け取っている。それを使えば、なんとかなるかもしれない」
「そうだったのですね。でも、もっと効率的な方法はないでしょうか。たとえば多くの領民が集まる場所でガレットを食べてもらうとか……そうだ! お祭り! クローデル侯爵領でお祭りをすればいいんですよ!」
お祭りなら人が集まる。
露店も出るから、そこでガレットを販売すればいい。さらに購入してくれた人に、レシピを配るのはどうだろう。絵を見ただけで分かるようにすれば、文字が読めない人でも興味を持ってくれるはずだ。
本を配るより安くすむし、運搬費用もそれほどかからない。
私が興奮気味に話すと、ベルナード様「それはいい案だ!」とすぐに賛同してくれた。
「ちょうど来月、星見祭りがあるんだ。クローデル侯爵邸の近くの広場で行われ、多くの人が集まる。至急、今あるソバ粉を買い取る必要があるな。小麦と交換にしてもいい」
ソバには夏ソバと秋ソバがあり、私たちが見たのは夏ソバの花だと教えてくれた。
夏ソバは三月末ぐらいに種を撒き、七月中旬に収穫をする。
収穫を終えるとすぐに次の種を撒き、十月末から十一月にかけて秋ソバを収穫するそうだ。
ソバの実はもともと廉価なので、農家からの買い取り費用はエリザベート様の実家から受け取ったお金で充分足りる。
それに星見祭りが終わればすぐに夏ソバの収穫になるから、領民がガレットに興味を持ったタイミングでソバ粉を流通させることが可能だ。
「ソバ粉の需要が高まれば、小麦畑でソバを栽培する農家も増えるだろう。奨励金を出すのも手だな」
「予算に余裕があるのなら、是非! あとはバートン様を巻き込むのはどうでしょうか?」
「あいつをか? それほど役に立つとは思えないんだが」
「いいえ。タブロイド紙は今やラッシュド王国民の情報源と娯楽ですからね。たとえば私たちが揃ってガレットを販売するだけで、話題になるはずです」
婚約破棄されたふたりが真実の愛の名のもと結ばれた恋物語は、国民の興味を集めている。
そんな私たちが売るガレットが、話題にならないはずがない!
「それは面白い案だ。なるほど、噂を逆手に取るのか。では当日は仲睦まじい姿を周囲に見せつけなくてはな」
「はい。ガレットの食べさせ合い、なんてしてみます?」
「それは、売るだけではなく食べたいからじゃないのか?」
「あぁ、ばれちゃいましたか」
くすくす笑う私に、ベルナード様が頬を緩める。
クローデル侯爵領に新しい特産品ができれば、農民たちの生活も向上する。税収があがれば、領地経営もうまくいくだろう。
さっそくどんなガレットを作ろうかと、ふたりで料理本を覗き込んだところで、扉がノックされた。
多分、私の部屋が片付いたと知らせに来てくれたのだろう。
そう思って扉を開けたのだけれど、
「申し訳ありません」
扉の向こうで、アダム様が深々と頭を下げた。
ランキング上位に入っていてびっくりしています。
ブクマ、★★★★★ありがとうございます。励みになります。
週末のおともに
少し前に完結した「その婚約破棄、聞き飽きました」いかがでしょうか。
こちらもランキング上位に入っていた作品です。もしお時間あれば読んでいただけると嬉しいです。ベルナードとは異なるちょっと癖あるヒーローです。
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