21.視察4
声をかけたのは五十歳ぐらいの農夫。麦わら帽子のほつれたツバを持ち上げアダム様の顔を確かめると、慌てて帽子を脱いだ。
身振り手振りで説明するアダム様に追いつくと、農夫はこちらが恐縮してしまうほど深く腰を折る。
「そんなに畏まらないでくれ。仕事の邪魔をしてすまない」
「い、いえいえ。とんでもございません。侯爵様がいらっしゃっているとは存じず……あ、あの。このようなむさくるしい姿で、申し訳ありません」
ベルナード様に声をかけられ、緊張からか農夫がしどろもどろになってしまう。
農夫は助けを求めるように、視線を私たちからアダム様へと移した。
「それで、アダム様、儂は何をすればいいんでしょうか?」
「クローデル侯爵様はこの花が何か知りたいそうだ。今、俺にしたのと同じ説明をしてくれ」
さっきまでと違ってベルナード様を家名で呼ぶ。
農夫は、どうしてそんなことを聞くのかと不思議そうにしながら「ソバの花」だと教えてくれた。
農民は、収穫した食物を税として納める。
作った小麦すべてを税として納めるわけではないが、手元に残ったものだけで食いつなぐのは難しいらしい。
そこで、小麦より短期間で収穫できるソバを自分たちの食用として栽培しているそうだ。
「今は白い花が咲いていますが、あと一ヶ月もすれば黒い小さな実ができます。その表皮を取ったあとすり潰すと、ソバ粉ができます」
「それを食べているのか」
ベルナード様の声が暗い。領民が苦労しているのを知って、落ち込んでいるのかもしれない。
だけれど、農夫はからりと笑った。
「これがけっこう、おいしいんです」
「そうなのか?」
アダム様が聞けば、農夫は幾分か緊張を解いたように話し始めた。
「皮を剝いたソバの実で粥を作ったり、ソバ粉にミルクを混ぜて焼いたものを燻製肉に撒いて食べています」
そこまで聞いて、あっ、と思い出す。
そういえば、昨日ベルナード様が翻訳してくれた料理本に、ソバ粉を使った料理が載っていた。
たしか名前は、
「ガレットです!」
突然声を上げた私に、三人の視線が集まる。
「異国の料理本に書いてあったクレープみたいな料理です。本では、薄く焼いたソバ粉の上に卵やチーズ、マッシュルームを置いて、両端を折りたたんで四角形に仕上げていました」
「あぁ、そういえばそんな工程を翻訳した記憶がある。挿絵はあまり見ていないので記憶にないが、作り方はラシュレが言ったとおりだ」
「あれ、おいしそうだと思っていたのです。朝食にもぴったりだし、中にリンゴのコンポートを入れて生クリームを載せてもきっと……」
ぐぅぅぅ
私の言葉を遮るように、絶妙なタイミングで効果音が入った。
暫くの沈黙ののち、三人の笑い声がソバ畑に響く。
「ははは。そうか、そんなに食べたかったのか」
「いえ、そういうわけでは。思い出した挿絵にお腹が反応しただけです」
「くくっ、お、お昼時ですしねぇ」
「アダム様、笑いすぎです」
アダム様はお腹を押さえ笑いを耐えようとするも、声が漏れている。
「侯爵夫人、よろしければ儂の家で昼食を食べて行きますか?」
「い、いいえ。お気持ちだけで充分です。というか、私、まだ侯爵夫人ではありませんから」
農夫にまで気を遣われ、顔がどんどん赤くなっていく。
三人はひとしきり笑うと、改めてソバの花に視線を戻した。
「実が生るのは一ヶ月後と言っていたな」
そう聞くベルナード様はどこか残念そうだ。どんな実か興味があるのかもしれない。
「はい。このあたりではソバの二期作をしており、夏と秋に収穫します」
「二毛作は聞いたことがあるが、二期作は珍しいな」
物珍しそうにベルナード様はソバの花に手を伸ばす。
「ベルナード様、二毛作と二期作は何が違うのですか?」
「ひとつの土地で一年間に違う作物を二回作るのが二毛作、同じ作物を二回作るのが二期作だ」
「初めて知りました」
「レステンクール伯爵領の主な産物は小麦だ。小麦は二期作ができないし、土地をそこまで酷使しなくても充分な収穫量がある。聞いたことがなくてもおかしくない」
ベルナード様の執務室には、さまざまな分野の専門書がある。その中でも一番多かったのが作物の栽培についてだったから、本で学んだのだろう。
「ちなみに、もし強引に小麦で二期作をしたらどうなるのですか?」
「植える季節がずれるから生育に問題が出るだろうし、最悪、芽が出ない可能性もある。それに、養分を使い過ぎると痩せた土地になってしまう」
単純に収穫量が二倍になるというわけではないらしい。何事も無理は禁物だ
私たちの話を聞いていた農夫が、家にあるソバ粉を譲ろうかと申し出てくれた。
「いいのか?」
「ええ。小麦のできは悪いですが、ソバの実は例年沢山実ります。この土地に合っているのでしょうか。二期作をしても土地がやせ細ることはありません」
農夫の言葉にベルナード様が顎に手を当て考えこむ。
多分、帰ったらソバの生育条件について調べるつもりだ。
その隣で、アダム様は農夫にあとで男爵邸までソバ粉を持ってくるよう頼んでいた。銀貨数枚で話をつけると、農夫はさっそく用意しますと頭を下げ立ち去っていく。
「昼食の準備はすでに母がしているので、おやつに作らせましょう」
「では、翻訳した書類を渡すので、その通りに作ってくれるか? ラシュレ、それまで待てるか?」
「もちろんです。そこまで食い意地を張っていませんよ?」
頬を膨らませて見せると、ベルナード様とアダム様が同時に笑った。
そのあとはもう少し視察をし、お昼ごろ私たちはトパート男爵邸へと戻った。
気候などブルターニュ地方を参考にしています。小麦に不向きでソバの実の栽培を始めたそうです。
行ったことがないので、あくまで参考。どんなとこだろう・・・。
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