20.視察3
翌日、トパート男爵家で一泊した私たちは朝食を終えると、男爵家の嫡男であるアダム様の案内で小麦農家の視察に向かった。
アダム様は私たちの三歳年上で、ベルナード様とは昔から親しくしているそうだ。
明るい茶色のくせ毛に丸いオレンジ色の瞳は、年上だけれど幼く見える。
馬車の前を進んでいたアダム様の馬が、川沿いの土手で停まった。
馬車から降りた途端、川から吹いた風に帽子を飛ばされそうになり、慌てて手で押さえた。
頭に手をやったまま、土手の上から小麦畑を見下ろす。
「いい状態とは言えませんね」
湿気にやられたのか、枯れてしまった小麦が目に付く。
「毎年このような状況なのですか?」
「二年前もこの時期に視察に来たが、同じだった」
ベルナード様の返答に、アダム様も頷く。
「他の作物も作ろうと試してはいるのですが、うまくいっていません」
「堤防は問題ありませんか?」
「それに関しては、前侯爵様が大々的に修復されたので、大丈夫です」
ベルナード様が、人間的には尊敬できないが領主としては優れていたと言っていただけあって、洪水対策はしっかりとしていたらしい。
そういえば、レステンクール伯爵領でも堤防の修復計画を立てていたけれど、あれは順調なのかな。
「アダム、前回来たときには修復した堤防を視察しなかったから、案内してくれないか?」
「もちろんです。ベルナード様が前侯爵様の作ったものを見たいと仰ったのは初めてですね」
「いい加減、父の呪縛から解かれなくてはいけないと思ったんだ」
ベルナード様の言葉にアダム様は意外そうに目を丸くし、次に私に視線を向けた。
「電撃的な出会いの噂はここまで届いています。いい婚約者に出会えてよかったと両親とも話していました」
「そうだな。ラシュレに出会わせてくれたのだから、あの婚約破棄に感謝している」
そう言われると、なんだかくすぐったい。
ベルナード様に出会えて幸運なのは私のほうだ。
修復した堤防は歩いて十五分ほどなので、視察も兼ねて歩いて行くことにした。
暫く進むと川が大きく蛇行し、堤防を補強するように大きな石が積み重ねられている。
しっかりとした修復だった。
「腕のいい職人に依頼されたようですね。レステンクール伯爵領でも、今年大規模な洪水対策を計画していました」
依頼した施工主を聞けば、偶然にも私が修復を頼んだ人と同じだった。
そう話すと、アダム様が怪訝に首を傾げる。
「数日前にその施工主がここを訪れました。時間ができると、自分が手掛けた堤防が問題ないか確認して回っているそうで、我が家で一緒に食事をしたのです。そのときに、今年大規模な修復依頼を受けていたが、土壇場になって規模が縮小したと言っていました。もしかして修復の縮小をしたのはラシュレ様のご実家でしょうか?」
「実家とは連絡を取っていないので分かりませんが、かなりの範囲で修復の依頼をしたから、同時期のかけもちは考えられません。ですから、おそらくレステンクール伯爵領の話ではないでしょうか」
施工主は、それなりの実績と人員を持っていた。とはいえ、かなりの箇所の修復を頼んだので、他の依頼を受けているとは考えにくい。
なぜ、堤防の修復を取りやめたのだろう。
先月は雨が多く、特にレステンクール伯爵領地ではかなり降ったと聞いている。
もしかして私が知らないだけで、大きな被害が出ているかもしれない。
「ラシュレ、どうしたんだ?」
「実家が手掛ける予定だった修復工事がどうなったのか、少し気になってしまいました」
「施工主を選んだのはラシュレか? 俺の父は領主としては優れていた。そんな父と同じ施工主を指名するあたり、ラシュレは領地経営の才能があるんだな」
「まさか。私は幼いときからレステンクール伯爵家の後継ぎとして、父や祖父から領地経営を教えられていたんです。そのさいに、おおよその堤防の修復時期と依頼先として施工主の名を教えられました」
堤防を作った年から数え、十五年から二十年後に修復を検討すべきだと教えられた。修復を依頼する施工主は堤防を作った人だから、細かなことは彼に任せれば問題ないらしい。
だから私がしたのは、施工主に手紙を書いたぐらいだ。
一緒に堤防の視察に行ったり、修復の規模の確認はしたけれど、ほとんど施工主に頼っていた。
「そうだったのか」
「ベルナード様は次期領主として、お父様から何か教わったのですか?」
「いいや、まったく。家族として機能していなかったから、会話すらほとんど交わしたことがない」
「では今まで、まったくの手探りで領地経営をされていたのですか!」
それはさぞかし大変だっただろう。
書類が乱雑に積み重ねられた執務室を思い出し、あの状況になるのも当然だと納得した。
「俺が無知なせいで、領民には苦労をかけている」
「それはベルナード様のせいではありません。というか、よく今までやってこられたと感心するほどです」
お父様は突然亡くなられたのだから、引継ぎだって受けていないでしょう。
書類の読み方、纏め方が分からないだけでなく、そもそもどんな仕事をしなければいけないのか不明だったはずだ。
私の場合ずっと領主の仕事を手伝ってきたし、祖父は引継ぎをしっかりしてから亡くなった。ベルナード様と同じ状況で領主経営をしなくてはいけなかったら、戸惑うばかりで何も行えなかったと思う。
「なんだかラシュレに感心されると、嬉しいな」
「自信を持ってください! 私は領主教育を受けているので、それをベルナード様にお教えいたします。きっと私より素晴らしい領主になりますよ……って、ベルナード様、どうかしましたか?」
話の途中でベルナード様が背を向けてしまった。
何か気に障ることを言っただろうかと不安になる私に、アダム様がしっと人差し指を唇に当てて見せる。
空を見上げるベルナード様の肩が、小刻みに揺れている。
私が分かったと頷くと、アダム様が数歩下がった。
これは……私に任せるということなのでしょう。
私はベルナード様の顔を見ないように隣に立ち、そっと手を握る。
「いい景色ですね。少し散歩をしたくなりました」
「……そうだな。視察も兼ねてもう少し歩くか」
「はい。お昼までにお腹もすかせたいですし」
「なるほど。ラシュレらしい提案だ」
「うん? ちょっと待ってください。それって私が食いしん坊ってことですか?」
その問いには答えず、ベルナード様はクツクツと笑う。
買ってもらった服のウェストが苦しくなってきているだけに、否定できないのが悲しい。
ふたり並んで土手を歩いていくと、白い花が咲き乱れる畑を見つけた。
農夫がひとり、腰を屈めるようにして花を覗き込んでいた。
「ベルナード様、あの花はなんでしょうか?」
「さぁ。アダム、あの農夫は知り合いか?」
「はい。行ってみますか?」
「ああ、せっかくだから農夫からも話を聞きたい」
アダム様はベルナード様の言葉に頷くと、私たちを追い越し土手を駆け下りていった。
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