15.生活習慣、改善します3
一通り執務室の整理を終えると、私は本格的に領主の仕事を手伝うことになった。
それと同時に、もうひとつ始めたことがある。
「ベルナード様、休憩の時間です!」
「もうそんな時間か」
「はい、あなたの大事な婚約者がおやつを求めています。付き合ってくれますよね?」
「そう言われると、手を止めるしかないな」
私はへへっと笑うと、先にソファへと向かう。
そこにはさっきビオラが持ってきた、お菓子とお茶がある。
そう、私は勝手にベルナード様の健康管理を始めることにしたのだ。
一緒に仕事を始めて一ヶ月。
分かったのはベルナード様の集中力が尋常ではないことだ。
朝から日が変わるまで、黙々と仕事に取り組んでいる。
お昼はサンドイッチを口に運べばいいほうで、食べない日も多い。
だからあんなに不健康な身体だったんだ。これはなんとかしなくてはと、婚約者としての使命に火が付いた。
そこでまず、三食しっかり摂ってもらい、仕事の合間には休憩も入れる。
睡眠時間は最低五時間。きちんとベッドで眠るようにお願いした。
すると、みるみる顔色が良くなり、肌にも髪にも艶が出てきた。
以前より身体が軽くなったらしく、仕事の効率もアップしたらしい。
まだ身体は細いけれど、不健康な雰囲気は随分と払拭されている。
そして今日、ビオラにはおやつとは別に小さな箱も用意してもらった。
「ラシュレ、ところでこの箱はなんだ?」
私の隣に座りながら、ベルナード様が箱を指さす。
私は待っていましたとばかりに、五センチ四方の箱を手に取る。
「この中にはコクルの実が入っています」
「コクル? たしか、ケビンの店で買った薬草だな?」
紅茶を飲みながら、思い出そうとするかのようにベルナード様が視線を宙に向ける。
「はい。栄養価が高く、滋養強壮剤や精力剤の材料にもなります!」
「精力!? ……ごほっ」
紅茶を吹き出しそうになって、ベルナード様が咽る。とりあえず背中をさすってあげた。
「それだけ栄養が豊富と言われています。ちょっと独特な味ですが、食べてください」
蓋を開け、箱を差し出すと、顔を赤らめ私と箱に交互に視線を向けた。
独特な味と言ったので、躊躇いが出たのかもしれない。黙っておけばよかった。
「とにかく、騙されたと思って食べてください」
「……騙されたと思って食べて、ラシュレは大丈夫なのか?」
真顔で聞き返されたので、私も真剣に「大丈夫です」と答えると、ベルナード様は額を手で押さえた。
「多分、意味が分かってないんだろう。まぁ、いい。では食べるぞ」
意気込みがすごい。そこまで不味くはないと思うが、とりあえず応援するように拳を握る。
「はい。思い切っていっちゃってください」
私の声援に盛大に眉を顰めると、ベルナード様は赤いコクルの実を口に入れ、ガリっと噛んだ。
暫く怪訝な顔をしていたが、それがやがて苦悶の表情へと変わる。
「大丈夫ですか?」
「あ、あぁ。平気だ。ちょっと……予想とはっ、違う味で驚いただけだ」
コクルの実は直径一センチにも満たない。しかも見た目は赤く、美味しそうだ。
でも口に入れると独特の酸味が鼻を突き、苦みが舌に広がる。
「ちょっと癖のある味でして。どうぞ、紅茶を飲んでください」
「ごほっ、すまない」
ベルナード様は紅茶を飲み干すと、おやつとして用意された甘いパウンドケーキを頬張る。
そうしてやっと一息つくと、改めて箱を手に取った。
「これをケビンの店に売らなくてもいいのか?」
「売りますよ。一年中実をつけるのでまだまだ沢山あります。だから、遠慮せず毎日食べてください」
「毎日食べて問題ないか、一晩考えてもいいだろうか?」
「毒ではないですよ?」
「……分かっているが、諸々身体の状態をみたい」
そう言って一瞬視線を真下に落とすと、すぐに顔を上げた。
「とりあえずは大丈夫だ。それにしても、ラシュレがいれば、俺はますます健康的になれそうだ。そうだ、近々、農地の視察に行こうと思うのだが、ラシュレも一緒にこないか?」
「同行してもいいなら是非連れていってください」
クローデル侯爵領は、王都から東に馬車で三時間の場所に位置する。
王都の西側に広がるレステンクール伯爵領の半分ほどの広さで、王都と領地の間には大きな森があり、領地の北側には高い山脈が連なる。
その地形のせいか、王都から少ししか離れていないにもかかわらず、際立って雨が多い。
小麦の生育は、初夏に乾燥した青天が続き、冬に雨が続くのがベストと言われている。
出穂の時期である初夏に雨が降ると、収穫量に悪影響が出る。そう考えると、雨の多いクローデル侯爵領は、小麦の栽培に向いていないかもしれない。
ベルナード様も同じ考えで、本を参考に他の作物の栽培も推奨しているが、うまくいっていないそうだ。
視察のおおよその日取りを決めると、ベルナード様は少し鬱陶しそうに前髪を掻きあげた。
もともと目の下まであった前髪が、この一ヶ月でさらに伸びている。
「前髪、切らないのですか?」
肩まで伸びた髪は無造作に首の後ろで束ねられているので、邪魔ではなさそうだけれど、目の下まである前髪はなにかと邪魔な気がする。
「そうだな。そろそろ切らないといけないな」
「いつもは、どうされているのですか?」
「セバスチャンに頼んでいる。そうだ、今回はラシュレが切ってくれないか?」
なんの躊躇もなくそう言われ、持っていたフォークが手から滑り落ちた。
自分の髪は切ったことがある。でも、他人の髪なんて切ったことどころか、触ったこともない。
私だったらたとえ切り過ぎたとしても、横に流すなりピンで止めて誤魔化せれる。
でも、ベルナード様の場合はそうもいかない。
「む、無理です!」
「泣きたいときは胸を貸してくれるのに、髪を切るのは駄目なのか?」
「胸はいつでもお貸しします。色気のかけらもありませんので遠慮は不要です! ですから髪を切るのはセバスチャンに頼んでください」
ぶんぶんと首を振る私に、ベルナード様は「基準が無茶苦茶だ」と笑う。
無茶苦茶だろうと、責任が重い。
ベルナード様のためにも止めるべきだ。
「ラシュレ、俺はあなたに切ってもらいたいんだ」
笑いを収め、ベルナード様が急に真面目な声を出した。真剣な青い目が私に向けられているのが、前髪を通してでも分かる。
「……どうなっても知りませんよ?」
「いいよ。好きにしてくれ」
「ほんっとうに、後悔しませんか?」
「しない。約束する」
それならば、と私は頷く。
なんだか断れない雰囲気だし、それだけ信用されていると思えば悪い気はしない。
ただしプレッシャーがすごいが。
この時点まで、ベルナード様は前髪長くて顔がほとんど見えない陰キャです。
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