12.新しい生活3
購入した服と私が着ていたドレスをクローデル侯爵邸に送ってもらうよう頼み、私たちは店をあとにした。
手近な店で昼食を済ませ、馬車に乗ったところで時計を確認すると、まだ二時だ。
「ベルナード様、もう一軒行きたいお店があるのですが、いいでしょうか?」
「もちろん。付き合うよ」
私が告げた店名をベルナード様が御者に伝える。
馬車がゆっくり動き出したところで、はたと気がついた。
「お仕事は大丈夫ですか? 忙しいのでしたら先に帰ってください。私は辻馬車で帰宅します」
領主としての仕事量はかなり多い。
それを知っているだけに聞けば、ベルナード様は眉間の皺を深くした。
「もしかしてフィリップ殿は、君を街に残し先に帰っていたのか」
「……そうですね。ご自分の用事を終えられたら、忙しいからと言って帰宅されていました」
「その『用事』に必要なお金も、ラシュレが出していたのか?」
痛いところを突かれ、私は首を竦めるように頷く。
それがどういう意味か、言われなくても分かっている。
フィリップ様にとって私は、お金を出してくれる便利な婚約者でしかなかったのだ。
「これはもう、殴るどころではすまないな。呪うか」
「一生、しゃっくりが止まらない呪いがあれば、かけてください」
「調べてみよう」
神妙な顔で頷いたあと、ベルナード様はおもむろに手を伸ばし、私の頭を撫でた。
まるで子供をあやすような手つきに、されるがままになる。
「よく我慢したな。俺は、ラシュレを搾取する奴らにあなたを二度と渡さない。頼りないし情けない俺だけれど、それだけは約束する」
「……ありがとうございます」
思いがけず涙腺が緩んでしまう。
突然泣き出した私にベルナード様は驚くことなく、ハンカチを貸してくれた。
そのまま背中を何度も撫でてくれる。
「すみません。優しい言葉をかけられるのに慣れていなくて……すぐに泣き止みますから、大丈夫です」
「気にせず好きなだけ泣けばいい。ちなみに、こうして婚約者に甘えてもらうのが俺の夢だったんだ」
「それは奇遇ですね。私も甘やかしてもらうのが夢でした」
くすっと小さな笑いが重なる。
もしかしたら私たちは似た物同士なのかもしれない。
馬車が止まってからも、私は暫くベルナード様に甘えていた。
急かすことなく宥めてくれるベルナード様は、やっぱり神かもしれない。
馬車を降りると、ベルナード様が分かりやすく怪訝な顔をした。
「ここ、か?」
「はい、そうです」
目の前にあるのは古びた二階建ての建物。一階がお店で二階が住居になっているが、小さな看板しか出ていないので店舗だと知らない人も多い。
樫の木で作られた扉を開ければ、薬草独特の香りが全身を包む。
右手と向かいの壁は棚で埋め尽くされ、それぞれの棚には十センチ四方の引き出しが幾つもある。
左手はカウンターになっていて、中央には小さなテーブルがひとつ。
テーブルには古い書物が乱雑に積み重ねられていた。
「ケビン、いる?」
声をかければカウンターの後ろの扉が開き、ケビンが寝ぐせのついた髪のまま出てきた。
だらしなく羽織った白いジャケットは皺だらけで、灰色の目をしょぼしょぼさせる姿は見るからにやる気がない。歳は私の少し上だったと思う。
「寝ていたんでしょう。お客さんが来たらどうするの。せめてドアベルを修理したら?」
「大丈夫、皆、起こしてくれるから。ところで、今日は約束の日じゃなかったと思うんだけれど」
そこでようやくケビンは、ベルナード様に気がついた。おやっと眉をあげ、私に視線を向ける。
「そちらの方は?」
「私の新しい婚約者のベルナード・クローデル様よ。ベルナード様、ここは私がお世話になっている薬草店です」
「お世話? 薬草店の主と親しいのか?」
「はい。私は別邸に住んでいて、食事は本邸から運ばれていました。でも、それが腐っていたり、毒草が混ざっていることが頻繁にあったのです」
「待て待て、今すごいことをさらりと言ったよな?」
「当然腹痛を起こすのですが、困ったことに誰も薬をくれないのです。もちろん医師は呼んでもらえません。だから自分で薬草を育てることにしたんです」
「もはやどこから突っ込めばいいか分からない」
ベルナード様のもともと青白い顔から、さらに血の気が引く。
叔父家族がしたのか、それとも叔父に蔑ろにされている私には何をしてもいいと思った使用人がしたのかは不明だ。もしかしたら両方の可能性もある。
「初めは自分のためだけに作っていたのですが、ある日それを売ることを思いつきました。叔父たちは私に肌着一枚用意してくれなかったので、お金が必要だったのです」
「いっそのこと、邸ごと燃やすか?」
忌々しそうに顔を歪めるベルナード様に同意するかのように、ケビンが頷いた。
彼もまた私の身の上を心配し、薬草の種を廉価で譲ってくれていたのだ。
「栽培した薬草をこの店で売り、得たお金で新たな種や苗を買いました。最近ではそれなりの収入を得られるようになりました」
「想像以上の壮絶な暮らしだ。ラシュレが今日まで無事でよかった。いや、無事と言えるのか?」
「おかげさまで、今ではちょっとぐらいの毒なら平気な丈夫な身体になりました!」
胸を張れば、ベルナード様は無言で眉間を押さえる。言葉が出ないらしい。
ちなみに今でも癖で薬は常備している。
ドレスにはポケットがないので、こっそり作るほどの徹底ぶりだ。
食べてすぐに腹痛を起こすとは限らず、今までに何度も薬に助けられたから、もはや習慣となっている。
「それでベルナード様、これからも薬草を作りたいのですが、裏庭の一部をお借りすることは可能でしょうか?」
残念ながら別邸で育てた薬草は持って来れなかったので、一から栽培しなくてはいけない。時間があれば鉢植えだけでも運べたのに、残念だ。
「もちろん構わない。日当たりのよい場所がいいなら前庭に植えてくれ。庭師には伝えておくから、土を耕すのは彼に任せるといい」
「お気遣いありがとうございます。ということで、ケビン。いつも私が栽培している薬草の種と苗を売ってくれない?」
「いいよ。ラシュレの作る薬草は品質がいいって評判だから、栽培を続けてくれるのは俺としても助かる。だからお代はいいよ。婚約祝いってことにしておいて」
ケビンは「ちょっと待っていて」と奥の部屋へ入っていく。
扉が閉まったところで、ベルナード様が私を振り返った。
「随分親し気に話していたが、彼との付き合いは長いのか?」
「そうですね、初めてお店に来たのは十三歳のころでしたので、五年になります。あの頃は栄養不足で随分と背が低かったので、高い引き出しを開けるときは抱っこをしてもらっていました。私のことを8歳ぐらいだと思っていたようです」
迎え入れ、幼い私を抱っこしてくれたのは、ケビンのお母さんだった。
やせ細ってボロボロの服を着た私がお腹が痛いと言うと、薬湯を飲ましてくれ、奥の部屋にあるソファで眠らせてくれた。
身の上を話したら、薬草の栽培方法を教えてくれ、以降もおさがりの服をくれたりと良くしてくれている。
最近はケビンにお店を任せて、趣味で新薬の開発をしていると聞く。
「抱っこ……」
「はい。すっごくお世話になっています」
にこにこ笑う私に対し、ベルナード様は複雑そうに口を歪める。
何とも微妙な笑い方だ。もしかして薬草の匂いが苦手なのかもしれない。
「よければ外で待ってくださって構いませんよ?」
「それは、彼とふたりで話したいという意味だろうか?」
「ケビンとですか? いえ、特に話す必要はありませんが……」
首を傾げたところで、ケビンが紙袋を抱え戻ってきた。
どうやら、随分と沢山用意してくれたらしい。
「お待たせ。ちょっと重いから俺が馬車まで運ぶよ」
「ありが……」
「いや、俺が持つから大丈夫だ」
すっと手が伸び、ベルナード様がケビンから紙袋を受け取る。
私に荷物を持たせないところは、本当に紳士的だ。
「ベルナード様は優しいですね」
「えっ、いや。そう、なのか?」
「フィリップ様が私の荷物を持ってくださったことはありません」
「やはりあいつには、何かし返さないと気がすまないな」
「それでしたら、新薬の脱毛薬がありますよ。母が毛生え薬を作る過程でうっかり作ってしまったんです」
ケビンがとんでもない物を売り込んできた。
なぜうっかり真逆なものができたのか、謎でしかない。
ケビンのお母さんには調薬のセンスがないので、いつも不思議なものを作っていた。
ベルナード様は紙袋を抱え直しながら、それとなく私に問いかけてくる。
「ケビンには母親がいるのか。では、さっき抱っこされたと言っていたのは、もしかして」
「はい、ケビンのお母さんにです。ちょっと癖のある面白い人ですよ」
恰幅の良い肝っ玉母さんという雰囲気の女性で、面倒見がいい。
にこにこと微笑む私の前で、ベルナード様が息を吐く。
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもない。それで次に来るのはこの薬草を収穫したときか?」
「はい。二ヶ月後ぐらいになると思います」
帰ったら、さっそく薬草を植えなくては。
広い庭を自由に使えると考えただけで、楽しくなってくる。
「ラシュレ、いい人に出会えてよかったな」
ケビンが帰り際に声をかけてくれる。
それに私は笑顔で頷き、店を出たのだった。
13歳でも栄養不足で8~9歳ぐらいの身長です。ケビンの母がいろいろ気遣ってくれ、以後身長が伸びました。