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おじさんと小学生ぐらいの未来の自分

作者: 抹茶珈琲

「あの……これから死ぬつもりですよね?」

僕はぎょっと目を見開いた。

小学校に入学したばかりといった年齢の男の子が、絶望に染まり切った僕のスーツの袖口を引っ張っていた。

不意に、一人の男の子に声をかけられたから驚いたというのもある。だが、それ以上に驚いた理由は、自分の心の中を読まれたと思ったからだ。

男の子の言葉は、まさに僕が今、考えていたことそのものだった。

僕は、今日、これから自分を自分で殺す予定で、生まれ変わって、新しい人生を始めようと決断していた。今よりも少しでいいからましな人生を。

「えっと、聞こえてますか?」

それにしても、会社からクビを宣告され、就職活動真っ只中の四十のおじさんで、妻がいないどころか、今までに彼女もできたことはなく、先日は投資詐欺にあい、全財産を持っていかれた僕に、なんで声をかけてきたんだろうか。頭の中にクエスチョンマークが飛び交う。

「聞こえてますか?」

「……え、ああ、聞こえてるけど」

「じゃあ、返事は?」

言葉だけだと圧を強く感じる。だが、実際は違う。男の子は眉を八の字にして、ひどく不安そうな怯えた表情をしていた。

僕は答えに窮した。まさか本当のことを口にするわけにはいかない。これから死ぬなんて言って、本当に死んでしまったら、この子は悔いるだろう。どうして止められなかったと。

いくらこれから死ぬ身だと言っても、それは避けたい。僕は僕の人生に絶望し、この国、いやこの世界のことは壊れてしまえばいいと思う程嫌いだ。だからといって、この子に恨みがあるわけではない。

僕とは違い、この子には将来があり、希望がある。その希望を絶望に染まり切った人間が踏みにじってはいけない。さすがにそれぐらいの分別はある。

しかし、どう答えたものか。適当にあしらったり、無視したりもできなくはない。だが、それは無意味に思えた。

恐らく、この子は確信している。僕がこれから死ぬことをはっきりわかっている。

それは、かけられた言葉から推察ができる。

死ぬつもりですか? といった懐疑的な表現ではなく、死ぬつもりですよね? といった断言に近い表現をしてきている。

つまり、適当なことを言えば嘘だとばれる。

僕は何度も言葉を選び、返事をしようとする。けれど、どれも男の子を満足させるものではないことはわかった。なので、動物園の食事中のカピバラかのように口をもごもごとさせるばかりだった。

男の子は、僕からの返答を、スーツの袖口を握りしめ、目をじっと見つめたまま待っていた。

僕は自虐的な笑みを漏らした。そして、諦めた。僕が物をうまく言おうなど、おこがましい。それができるなら、今のような人間にはなっていないだろう。

「どうして僕が死のうと思っているって思ったの?」

素直に疑問をぶつけてみることにした。

「えっと、思ったっていうよりかは、知ってるから、かな」

「知ってる? どういうこと?」

「僕は、あなたの未来だから」

「……どういうこと?」

頭の中をクエスチョンマークが埋め尽くす。

もしも僕の未来だとすれば、この子は僕の未来の姿ということになる。でも、それだと白髪……はちょっと望めないだろうけど、しわくちゃのおじいちゃんになっているはずだ。まあ、これから死ぬのだから、未来もへったくれもないだろうけど。

今度はその子が言いよどむ番だった。言葉が出てこないというよりかは、どこまで伝えていいのか、と悩んでいるようだった。

僕はしばらく待つことにした。どうせ死ぬんだ。この後の時間は僕の手中にある。将来のことを考える必要がない。

「……僕、あなたの生まれ変わりなんです。だから、あなたの未来。だけど、もしもあなたがここで死んでしまうと、困るんです」

「困る? 何で?」

「あなたはきっと、生まれ変われれば、今よりも少しはましな人生を送れるだろう、とか思っていませんか」

……思っている。

沈黙を肯定と受け取った男の子が言葉を続ける。

「それは間違いです。断言します。全ては過去の積み重ねです。たとえ生まれ変わったとしても、生まれ変わる前から続く過去がリセットされるわけではありません」

「つまり、今の人生が繰り返されるだけってこと?」

だとすれば、地獄だ。この人生が繰り返される。それも、生まれ変わっても永遠に繰り返される。

絶望しかない。絶望的なこの状況よりも絶望的な状況なんてなくて、死んで生まれ変われば、よりましな人生を送れると思っていた。

けれど、それは僕の願望でしかない。

「それは、本当なの?」

声が震える。男の子が冗談を言っているのだと、言って欲しかった。哀れなおじさんをからかって遊んでいると言って欲しかった。

「はい、本当です」

何も証拠はない。ただ、目の前の男の子が言っているだけのことだ。それなのに、男の子の言葉を信じている自分がいた。

一笑に付したかった。でも、僕にそれはできない。そうできるだけの自信が、自分にはない。

僕は顔面を両手で覆った。絶望に壊れてしまいそうだった。絶望が全身を染め上げていく。

とっくに絶望が全身を染め上げていたと思っていた。でも、それは違った。僕は絶望に染まっていたが、全てが絶望に染まっているわけではなかった。

絶望の先に待ち受けている絶望。

真の絶望とでも呼べる怪物だ。

僕はこの真の絶望に対処する術をもたない。死んで生まれ変わっても絶望が待っている。そして、それが永遠に続く。未来永劫、続く。

頭がおかしくなりそうだ。いや、いっそおかしくなって欲しい。そうすれば、絶望を感じなくなるかもしれないから。

「……あの、絶望でうめいているところいいでしょうか?」

僕はもう男の子の言葉に反応できなかった。死んでも続く絶望という恐怖に震えあがってしまった。

その刹那、僕の目は点になっていた。

僕の頬は男の子によって、思い切り、叩かれていた。

「……僕の声、聞こえますか? だったら、僕の話を聞いてください」

ネクタイをつかまれ、顔をぐいと近づけさせられる。

僕の瞳には男の子の瞳しか映し出されていなかった。

「僕は、僕の人生をあなたのせいで無駄にしたくない。あなたが無駄な人生を生きれば、そのツケは僕に回ってくる。僕はそれが許せない。僕自身が変わることは簡単にできる。だけど、その時間が惜しい。僕は僕の願いを叶えるために、自分の人生を全て使いたい。だから、あなたにお願いしたい。いや、お願いではありません。これは命令です。やりなさい。どうせ死ぬことを選び取るような人生なんだから、構わないですよね? 僕のために、あなたの残りの時間を捧げてください!」

目がますます点になる。それを見て、男の子はさらに畳みかけてくる。

「あなたはいずれ死ぬ。だけど、それは今じゃない。今死なれてしまっては、僕の人生に悪影響しかありません。だから、僕の人生を豊かにするために、残りの人生を死ぬ気になって生きてください。これだと言葉足らずですね」

男の子はわざとらしく咳払いをした。


「あなたの人生を、あなたが幸せだと感じる人生に変えて生きてください」


「そうすれば、間接的に僕の人生が豊かになります。だから、自分が幸せだと感じる人生を、死ぬ気で生きてください。手なんか抜かないでください。本気で全身全霊で生きてください。死ぬ、なんて何よりも苦痛を伴うことをする予定だったんですから、幸せになるために生きるなんて、死ぬよりも辛くないですよね? そうですよね?」

勢いに押されるように首肯する。首肯以外の選択肢はもうなかった。

だって、生きても地獄。死んで生まれ変わっても地獄。だったら、変わるしかない。僕自身が変わる以外に絶望を払しょくする方法がない。

男の子は、強烈で、僕のこの先の道標となる言葉をくれた。


「あなたが終止符を打ってください。生まれ変わる前から連綿と続く、全てのあなたの過去に」


「……僕が、全ての過去に終止符を打つ」

「そして、この先のあなたの未来を絶望から救い、希望で満たしてください」

俺が、俺がやらないといけない。そうしなければ、生まれ変わっても、何も変わらない。ただただ苦しむだけだ。ただただ絶望に染まる日々を送るだけだ。

そんなの、嫌だ。嫌に決まっている!

僕は未来の僕の手を強く握りしめた。

「約束する。僕は僕の人生を幸せにしてみせる! だから、未来で楽しみに待っていて欲しい」

男の子は子供らしい笑みを見せてくれた。

「ええ、楽しみにしています」

その言葉を聞くと同時に瞬きをした。もう、男の子の姿はそこにはなかった。

一連の出来事が、夢だったのか、幻だったのか、それよも霊的な何かだったのか、何もわからない。

でも、それは些細なことだ。

僕は自分の人生を幸せにする。自分の、過去の全ての自分の過去に終止符を打ち、幸せになる。

そのために僕は全身全霊をかけて生きる。

それが未来へと繋がっていくから。


~FIN~


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