L
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「女帝の涙」なる101カラットのダイヤモンドが盗まれたとの記事を朝刊で見つけた。101カラットという数字がどれだけ立派で厳かなのかはわからないし、末端での価格もどの程度になるのか見当もつかないが、どうやら持ち主の個人が自身が所有する美術館においてそれはもう誇らしげに自慢げに、ひけらかすように展示していたらしい。警備員は日中は二人いて――ここから先は少しネットで調べてみたのだが、夜間は無人らしい。その代わり、ダイヤまで続く通路は警備用レーザーでぬかりなく保護されていたとのこと。常時警備員をつけていればよかったのにと思わなくもないが、機械に委ねる方が人任せにするよりも安全な場合もあるだろう。だが、そのレーザーが可視なのはよくなかったのではないか――否、たとえ目に見えたとしても、かわしつつ進むことなんて無理だろう。レーザーは四方八方から照射され、その動きもランダムだというのだから。
だったら、どうやって盗んだ?
不可能な仕事を、どうやってやり遂げた?
私は奴さんに興味を持った。
奴さん――「L」と名乗っている。
なにかの略称なのかそうではないのか、現状、わかるはずもない。
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Lを追うことにした。私はフリーのジャーナリストだが、それなりにコネはある。まずどうしようかと考え、結果、「角崎がLを追っている」という情報を流してもらった。広範囲に、だ。エサに魚が釣られやしないかと、私はじっと待った。L。男か女かはわからないが、きっと魅力的な人物であるはずだ。大きな仕事をやってのけるニンゲンは総じてそういうものだ。
――エサにかかった。辛抱強く待った甲斐があったというものだ。普段の仕事をこなしていても、Lのことは気になっていた。古い仲間からの連絡だった。しかし、最初は本人だろうかどうかと疑った。それはそうだ。大きな盗みを働いた人物が堂々と接触してくる理由がない。私自身がエサで私に会っている最中に警察に外を囲まれてしまったらどうしようもない――そんなことは百も承知だろう。それでも「会ってもいい」と言うわけだ。否が応でも胸を高鳴らせるしかない。Lから指示されたとおり、高級ホテルの一室へと向かった。
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Lは美しい女性だった。背が高く、女性的な凹凸が顕著。漆黒のロングヘアは豊かで、エナメル質の黒いロングドレスは白い肌によく映えた。若いだろう。二十代の後半くらいだろうか。冴えない中年男性にすぎない私から見ると華やかすぎて目の毒だ――その一方で可愛らしいなと思うあたり、私も年を食ったのだろう。
私は背もたれの高い木製の椅子に座った。小さな丸いテーブルを挟んで、Lと向き合った。
「L、L、L……。ほんとうに間違いありませんか?」
そう訊ねたところ、ふわりと微笑んでみせ。
「あなたが角崎さん?」
私は単刀直入に、「『女帝の涙』を盗んだのはあなたですか?」と訊いた。するとLは「はい」と答え、蠱惑的に笑んだ。無暗に滔々と語るタイプではなさそうだ。結論だけを述べるシンプルかつスマートな人物にも見える。
「二つ、質問があります。一つ目、どうやって盗んだのか。二つ目、なぜLの仕業だという痕跡を残したのか」
Lはクスクスとおかしそうに笑い、それからゆったりと脚を組み直し、小悪魔的に小首をかしげてみせた。
「二つ目の質問からお答えしましょう」
「ええ、お願いします。どうして自らが成したと謳ったんですか?」
「お遊びです」
「遊び?」
「誰が盗み、誰に盗まれたのか、その旨を強調すると、より大きな爽快感が得られます。みなが私を追うのに、私を捕まえることはできない。ねぇ、それはすばらしいことでしょう?」
「私にはわかりません。なにせ、盗人ではないので」
「私はただの盗人ではありません。大泥棒ですよ」
自画自賛ですか?
そう問う前に、気になることがあった――訊いてみようと思う。
「『女帝の涙』が初めてではありませんよね?」
「当然、そうです」Lは目を閉じ、小さくゆっくりうなずいた。「それがなにか?」
「いえ。だとすれば、どうしていままで、あなたの名は伏せられていたのかと思いましてね」
「それは私が知るところではありません。警察にもなんらかの事情があるのでしょう」
「どれだけ隠そうとも、マスコミにはいずれ漏れます」
「それも私が知らなければならないことではありません」
「そのとおりですね」
「でしょう?」
沽券、メンツ。そんな言葉が頭をよぎる。どれだけ追いかけても捕まえられないわけだ。警察からすれば一般市民には極力知られたくない事実であることは間違いない。今回、大々的に全国紙で報じられたのは、「女帝の涙」の所有者が盗まれた旨を声高に訴えたからだろう。それでいよいよ表沙汰になった、といったところではないか。にしても、盗人、否、噂の大泥棒がこれほどの淑女だとは。むろん、本物である確証はいまだないのだが。
つい懐に手が伸びた。「御煙草ですか?」と相手は目敏い。私はかぶりを振り、「今時のホテルに灰皿があるはずがない」と肩をすくめた。「一つ目の質問にお答え願えますか? 警備用のレーザーが張りめぐらされた通路をどうやって攻略したのか」
「ご興味が?」
「もちろんです。むしろ、その点が一番重要だと言っても差支えはない」
「明日、似たようなシチュエーションで、似たような物を盗みます」
「それは?」
「『時の輝き』です。エメラルドです。赤ん坊の手のひらほどもあります」
私は眉をひそめた。
『時の輝き』は知っている。
「女帝の涙」のことがあって、調べた。
やはり個人の美術館にて展示されているはずだが……。
「昨日の今日だとは言いませんが、『女帝の涙』という巨大なダイヤが盗まれたわけです。であれば、『時の輝き』に関する警備だってより厳重なものとなるのでは?」
「いよいよ整い小慣れてしまっては、どう考えても不利でしょう? むしろ早いほうがよいのです」
なるほど。
それは一理ある。
「だが、いざ決行当日に、間が悪く、24時間、ヒトを立たせるようになるかもしれない」
「そのときはひとまずとんずらをこきます。そのうえで、また考えます」
「逃げ切れると?」
「当然」女はいとも簡単に言ってのけた――ように見えたのだが、見つめていると、やがて少し表情を曇らせた。「いまは自信を持っていますが、むかしは全然ダメでした。逃げ足も遅かった」
余裕綽々だったLの雰囲気に急な変化が認められたので、私は眉をひそめ、「どういうことですか?」と訊いた。すると、Lは物憂げな顔をして――。
「むかしは三流もいいところでした。調子に乗ることだけは立派だった。あいだを端折って言うと、羽振りのいいやくざの資金を狙って事務所に忍び込み、捕まってしまい、それはもうさんざん酷い目に遭わされたものです」
「よく殺されませんでしたね」
「相手は殺したつもりだったんでしょうね」
「というと?」
「私は路地裏のごみ捨て場に放置されていたそうです。私には身寄りがありませんから、引き取り手なんておらず、結果、火葬場に直行だった。そして、いざ燃される際、窯に入れられる段になって、私は目を覚ましたんです。生き返ったんです」
私は「まさか」と疑いの声を漏らした。ただ、Lは嘘をついているようには見えなかった。嘘を言う理由も見当たらなかった。
「幼稚な話かもしれませんが、ルパン三世の『L』かと思っていました。違うんですね?」
「ええ、違います。リッチの『L』です。いまの私は文字通り、生きる屍、アンデッドです。だからこそ、怖いものなんてなにもないんです」
「あなたのような美しい女性が投げやりになるのはよくない」
「優しいことをおっしゃるのね。ですけど、投げやりなわけではありませんよ? 私はいまの仕事を愛していますから」
「わかりました」と言い、私は腰を上げた。「また会っていただけますか? たとえば、『時の輝き』を首尾よく盗めたあとにでも」
「連絡先をお教えいただけますか?」
私は懐からカードケースを取り出し、名刺を手渡した。
「明後日の夜に連絡します」
「やはり明日、盗むと?」
「はい」
「いい仕事ができるよう、祈ってますよ」
「ありがとう」
私は辞去した。
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約束の夜、20時きっかりにケータイに連絡が入った。聞き覚えのある声、口調。間違いなくLだ。住所を知らされ、あれ? と首をかしげそうになった。下町だったからだ。さらに「あけぼの荘」なるアパートの二階の一室だという。地下鉄とJRを乗り継いで現地に向かった。
ほんとうに二階建てのアパートだった。木造の建物はいかにもぼろだ、古ぼけている。どうしてここが待ち合わせの場所なんだ? 幾分訝しむ思いを抱きつつ、問題の一室のインターホンのボタンを押した――なにも鳴らない。しかたなく戸をノックした。「どうぞ!」と大きな返答があった。不思議と警戒心は芽生えない。戸を開ける。なにやらいい匂いがする。短い廊下を進み、狭いリビングに入る。座卓の上、カセットコンロに鍋料理。「すき焼きです」とLは声を弾ませた。「どうぞお座りになってください」と勧められた。私はLの向かいに腰を下ろした。生卵が入った小鉢がすでにセッティングされている。
「今日はまた、先日とは違った趣、色っぽさがありますね」
Lは黒いタンクトップにだぼっとした黒いパンツ姿。女性らしいラインはやはりメリハリがあって美しく、だから目のやり場に困ってしまう――ほど、うぶではないつもりだ。
「うまく行ったんですか?」
「まずは食べましょう。おねぎがおいしいですよ?」
それは知っている。肉よりねぎのほうが尊いと思っているくらいだ。専用のグラスではなく、安い居酒屋にあるような小さなコップに赤ワインが注がれていて、それを一口飲んだ。安っぽい味。しかしLは「おいしいですね」と言って、ころころと笑う。
箸は進み、やがてあらためて「うまく行ったんですか?」と訊ねた。Lは右の太ももについている大きなポケットから、それを取り出した。手を伸ばして「はい」と簡単に渡してきた。ほんとうに赤ん坊の手のひらほどもある大きな緑色の石、エメラルド。つい目を奪われ、気づけば「これが、『時の輝き』……」と呟いていた。
まあ、きれいですよね。
そう言ってにこりと微笑むLに「時の輝き」を返し、すると彼女はそれを座卓に無造作にごとりと置いた。盗んだことに意味があって、盗んだ物にはあまり意味がない。そういうことなのだろうか。
「でも実際、どういう手段で盗んだんですか?」
「気になりますか?」
「なりますよ、どうしたって」
Lは生卵に浸した牛肉をふーふーしてから食べた。口をもぐもぐと動かしながら、にこにこ笑う。とても幼く映る、愛らしい表情だ。
「たいていの場合、内部に忍び込めた時点で、私の勝ちです」
「警備用のレーザー設備のやりすごし方は?」
Lは小鉢を置くと、右手を畳の上に置き、そのまま片手だけでピンと逆立ちしてみせた。そのうち、小指だけで身体を支えた。「信じられない」と驚き、私は思わず拍手を送った。
Lはすたんと元の位置であぐらをかくと、新しい卵を小鉢に入れた。ねぎを食べ、肉も食べる。ワインをごくごく飲むと、手酌した。
「どういうことか、おわかりですか?」
「恐らくですが、真正面から真正直にくぐり抜けた。その恐ろしいまでの運動能力を駆使して」
「ビンゴ」Lは悪戯っぽく微笑んだ。「レーザーはどうしたって見えてしまう。いまのスコープは軽量で優秀です」
「凄いな。ああ、まったくもって、そうとしか言いようがない」
「見直しましたか?」
「見直すもなにも、見損なったことがありませんよ」
Lは「光栄です」と笑むと、肉を鍋にごっそり入れ、ボトルの割下をどぼどぼ注いだ。乱暴なことだが、味は決して悪くない。
「ただ、盗む物には制限があります」
「わかります。大きな物は盗めないんでしょう?」
「そのとおりです」
私は「なにか、将来の夢はないですか?」と訊いた。するとLは意外そうな顔をして驚いたように「えっ」と発した。私は「たとえば、南の国で悠々自適の日々を送るとか」と続けた。「ああ、それは考えもしなかったなぁ」と、どこかあっけらかんとした感じでLは言ったのだった。
「生涯現役?」
「身体が動くうちはやりたいです」
「いつか捕まるかもしれない」
「捕まりません。私は二度とドジは踏みません」
それは力強い目だった。
だが、すぐにその目を穏やかに細め。
「出国しようとは思っています」
「海外を拠点に?」
「世界をめぐるつもりでいます。これからも大きな盗みはしたいので」
「なるほど。ということは、あなたと会えるのは、今夜限りだというわけだ」
「その限りではないかもしれませんよ? 私はあなたのケータイの番号を知っていますから」
「そうですね」と言い、私は少し笑った。「あなたのような美人に会えるなら、どこにでも行きますよ。それこそ海外にだって」
小首をかしげたLは、「一つ、お願いがあります」と言った。
「わかっています。あなたの記事は書かない。誓います」
「逆です」
「逆?」
「ええ。私という泥棒がいるという事実を世間に、この国に広めてください」
「どうして、また?」
「夢があるでしょう?」
「夢?」
「はい。大泥棒は夢の塊です」
私は二度三度とうなずいた。
たしかにそのとおりだな、と思った。
「洗い物は? 手伝ったほうが?」
「かまいません。置いていってください」
私は腰を上げ、それから「次は私がなにか奢りますよ」と伝えた。するとLはうっとりとした表情を浮かべ、「あなたはもう大切な友人です。素直で素敵な思考の持ち主ですから」と評価してくれた。
立ち去る際、一度、振り返った。
Lは無邪気にバイバイと大きく手を振ってくれた。
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Lについて知っていることを包み隠さずしたためた。それを持ち込んだ先は大きな出版社で、週刊誌で大々的に取り上げてくれた。思いの外、部数も伸び、稼ぎはともかく、私としては鼻高々だった。自らが書き上げたものがメディアに掲載されるのはいついかなるときも嬉しいものだが、今回は特に格別のものがあった。
その日、帰宅すると、八つになったばかりの娘が、ダイニングテーブルに週刊誌を広げ、くだんの記事を読んでいた。大人の週刊誌を子どもに見せるのはどうかと思い、しきりにその旨、主張してはいるのだが、妻は「せっかくあなたが書いたんだから」と気に留める様子がない。「漢字の勉強にもなるでしょう?」というのは、たしかにそのとおりかもしれない。
私に「おかえり」を言わないくらい真剣に記事に目を通していた娘が、ついに私のほうへと顔を向けた。にこっと笑った。
「Lって凄いね! パパはほんとうにLに会ったの?」
「会ったよ。記事にあるとおりだ。とっても美人だった」
「わたしもLみたいになりたい!」
「美人になりたいってこと?」
「ううん! 大泥棒になりたいの!」
それは正直、ちょっと困るなと思い、私は苦笑したのだった。