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天の川 あさせ白波 たどりつつ
寛平の御時なぬかの夜、「うへにさぶらふおのこども歌たてまつれ」と御馳せられる時に人にかはりてよめる
とものり
※紀友則
天の川 あさせ白波 たどりつつ わたりはてねば あけぞしにける
(秋歌上 177)
宇多天皇の御代、七月七日の夜に、「殿上人は歌を奉るように」と、天皇が仰せれたので、殿上人に代わって詠んだ。
天の川の浅瀬など知らなくて、白波が立つところを選んで渡っていたら、とうとう渡り切ることができずに、夜が明けてしまいました。
「あさせ白波」
「浅瀬を知らない」と「だから白波ふが立つところをたどる」
「結局、渡り切れない、」
と、ほぼ、その場を楽しくする冗談のような歌。
紀友則が有名な歌人であるからこそ、このような歌もゆるされたのだろう。