月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ
五条の后宮の西の対にすみける人に、ほいにはあらでもの言ひわたりけるを、正月の十日あまりになむ、ほかへかくれにける。あり所は聞きけれど、えものも言はで、又の年の春、梅の花さかりに、月のおもしろかりける夜、去年を恋ひてかの西の対に行きて、月のかたぶくまであばらなる板敷にふせりてよめる。
在原業平朝臣
月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして
(恋歌五747)
五条の后(仁明天皇の后、藤原順子)の西の対の部屋に住んでいた女性(順子の姪、藤原高子)に、人目を忍び、通い続けていたところ、彼女が、一月十日過ぎに他の場所へ身を隠してしまったのです。
私は、彼女が何処にいるのかは聞いていたのですが、便りを交わすことまでには至りませんでした。
翌年の春、梅の花が盛んに咲いている時期で、月が趣深く出ていた夜に、去年のことを思い出し、恋しくなってその西の対に行き、月が傾くまで崩れかけた家の、板敷に姿勢を低くして隠れながら詠んだ歌になります。
あの美しい月は、昔の月とは異なるのでしょうか。
この春もかつての春とは異なるのでしょうか。
我が身一つだけが、昔のままなのですが。
逢えなくなってしまった女性に何とかして逢いたい。
あばら家からも、のぞく業平(希代の好き者)も、そこまでして、逢いたいとの気持ちから。
しかし、逢えないことは変わらない。
なかなか、恋の苦しみの名歌と思うけれど、仮名序には、「その心あまりて、言葉たらず」と評されている。




