あか里の宣言
次の日の朝。聰は、玄関のチャイムの音で目を覚ました。
「ごめんくださーい!」
明るい声が、玄関の方から聞こえてくる。寝ぼけた頭で、聞き覚えのある声だな、とぼんやりと考えていた。一階から、少しの話し声がした後、
「聰、起きてるー?」
という母の声が聞こえた。その声に、慌てて脳が覚醒する。
(いっけね!あか里との約束!)
腕時計を見ると午前10時を回ったところだった。深夜にあんな事があったからなのか、妙に深い眠りについて、ひどく寝過ごしてしまったようだ。
「うっわ、寝すぎた」
「聰ー?」
母の声が部屋の前で聴こえる。聰はちゃんと起きてますよという雰囲気を出して返事をした。
「起きてるよー。今降りる」
寝癖気味の髪を手ぐしでサッととかして、一階へと降りていった。すると、玄関には笑顔のあか里が待っていた。
「さとくん、ちゃんといたんだね。何回も連絡したけど、反応無いからどっか行っちゃってるのかと思ったよ」
「ごめんごめん。布団と一体化しててさ」
「何バカ言ってんのー。ごめんね、あか里ちゃん。ホント聰はだらしないんだから」
「いえ、良いんです。おばさん。私が勝手に来ただけなので」
そう言うとあか里はニッコリと笑った。その顔につられて小百合も笑顔になる。
「ふふ、ありがとうね。それにしても、あか里ちゃんに久しぶりに会えて嬉しいわ。元気そうで良かった」
「はい、元気です!こちらこそ会えて嬉しいです」
幼なじみが自分の母親と仲良さそうに話している。こういう時、なんとなく気恥ずかしさを覚えてしまう。それは聰も例外では無かった。それを打ち消すように、話題を変えた
「今日はあか里と約束してたから今から外出してくるよ」
「あら、そうなの?あなたも隅に置けないわね〜」
「そうなんです。意外と隅に置けない男なんですよ〜」
あか里もふざけて乗っかる。こういう時妙に仲が良くなるのは女性の連帯感なのだろうか。
「そういうんじゃないから!…ほら、あか里行くぞ!」
これ以上は収拾がつかなくなりそうだったので、早々に切り上げるよう、あか里を促す。
「はいはい、仕方ないですねぇ〜」
あか里の返事には心が無かったが、素直に付いてきた。
「あか里さ、ここに来て2週間くらい経つんだよな?」
「あー、うん、そうだね」
「ここ最近、この辺りで変質者が出るとかいう噂聞いたことある?」
「変質者~?いや、無いけど」
「そうかぁ、じゃあやっぱり気のせいだったかなぁ」
「何かあったの?」
「うん、実はさ…」
聰は、昨夜見た人影の話を始めた。「もしかしたら、気のせいだったのかもしれないけど…」と前置きしながらも、その時の様子を詳しく説明していく。あか里は、時折、驚きの声を上げたり、真剣な表情で頷いたりしながら、聰の話に聞き入っていた。
「えー、なにそれ怖いね」
「だろー?でも、そういう噂も無いんじゃな。寝ぼけてたし、見間違えたのかも。…そういや、今日は行きたいところがあるんだけど、車出してくれないか?」
アレがなんだったのかハッキリとわからない以上、いつまでもこの事を引きずっても仕方がない。それに、今日は行きたい場所がある。
「うん、良いよー。どこ行きたいの?」
「駅。町おこしで新築したらしいじゃん」
「あー、そうそう。ビックリしたよー。計画は知ってたけど、降りたら全く別の駅になってるんだもん。間違って降りたのかと思っちゃったくらい。…あれ?でも、さとくんまだ見てないの?」
「あぁ、俺はまだ。自宅に帰ったらもう新しい駅になってるって言って……?!」
聰は話しながら、おかしなことに気付いた。
「…どうかした?」
「…ちょっと待て。あか里はもう見たのか?」
「駅のこと?うん、見たけど…」
「…俺は見てないんだよ。俺が駅に着いた時には昔の駅のまんまだったから。工事の足場すら出来てなかった…」
「え?!そんなはずないよ。私昨日、駅の近く通ったけど、ちゃんと新しくなってたよ」
昨日、 共通認識を共有したあか里が言うのなら実際にそうなのだろう。だが、聰は新しい駅舎など見てはいない。
「う~ん…。2週間前にこっちに帰ってきたあか里が見てるんなら、昨日帰った俺が見てないのはおかしい…よな?」
共通認識をしているはずの二人にズレが生じている。あか里がポツリと言った。
「あのさ、私たちは同時に移動したんじゃなくって、別々のタイミングで移動したってことじゃない…?」
「…なるほど、そういうことか。確かにそう考えたら辻褄が合う」
「でしょ?だから、私は2週間前で、さとくんは昨日こっちに来てしまった…」
「…ということは、二人とも帰省をしてきたタイミングってことか」
「異世界帰省ってやつ?」
「笑えねー」
二人は顔を見合わせて笑った。わからないことだらけの状況に共通した事実を見つけられたことは、二人の気持ちを少しだけ軽くした。小さなことでも積み上げていけば何かがわかるかもしれない。二人は車に乗り込み、新しい駅舎へと向かうことにした。
「さて、行きますよー。準備は良い?」
「あぁ、頼んだ」
車はゆっくりと走り出す。外は今日もカラッとした晴天だ。窓の外には、田園風景が広がっていて、植えられたばかりの稲穂が、風に揺れている。
「なんかさ、ツアーみたいだと思わない?」
「ツアー?」
「そうそう。異世界をツアーして回ってるみたいな。昨日はダムに行ったでしょ?」
言い得て妙だ。思い出の場所を巡るツアー。
「あー、言われてみれば確かにそうかもな」
「でしょー?でさ、今思ったんだけどね」
「うん、なんだ?」
「せっかく異世界?にいるんだったら、楽しまなきゃ損じゃん?」
「そんなこと言ってる場合かよ」
「場合だよ!だって、ウジウジしてても何も変わらないんだったら、少しでも楽しめるような状況にしちゃった方が良いじゃん!」
「…そりゃそうかもしんないけど」
「だからね、私、三枝あか里は宣言します!」
あか里は急にかしこまった物言いをして
「《異世界のいやしツアー》を開催する、と!」
などと、言い出した。