初めまして、実家
広い玄関をくぐると、下駄箱の上に母が生けたのであろうか、花瓶に綺麗な花が飾ってあった。そして、その横には似つかわしくない、鮭を咥えた木彫りの熊が置かれている。花瓶とのアンバランスさに、 熊が肩身を狭そうにしている。
しかし、聰はこれに覚えがあった。
以前、両親が北海道旅行に行った時にお土産に北海道らしい物をとリクエストし、買ってきた物がこれだった。
聰は北海道の食べ物を期待していたのに、似ても似つかない置き物を買ってこられたことにとてもガッカリしたことを覚えている。
そこで熊には申し訳ないが、仕方なく家の玄関を見張っていただくことにしたのだった。
「これ、まだあったんだね」
「ああ、これか?…捨てるのもなんだしな。…意外と番犬代わりになるかもしれん」
父は、そう言ってニヤリと笑った。
(引っ越しても玄関を見張らされるのか。…難儀だな)
「久しぶりに帰ってきたんだから、ご先祖様に挨拶しとけよ」
聰の実家は昔からそういった目に見えないモノに対して畏敬の念を抱いて大切にしていた。
聰自身は、特に信心深いわけではないが、実家にいる時は、両親に従い、倣うようにしている。
「あぁ、うん」
そう返事はしたものの、仏間がどこにあるのかわからない。この家には、まだ足を踏み入れたばかりなのだ。
「えーっと、仏間ってどこだったっけ…?」
「まったく、それも忘れたのか?突き当たって右奥の部屋だよ」
「ごめんごめん。…ほら、疲れてるからさ」
最早常套句になりそうだ。
サプライズに乗っかるのも大変だと、聰は思った。
父に教わった奥の部屋へと向かう。襖を開けると、ひんやりとした静寂が漂っていた。部屋の中央の奥には、古びた仏壇が鎮座している。長年使い込まれたことがわかる、黒ずんだ木目。微かに白檀の香りが漂う。聰はその前に座った。
目を閉じて、手を合わせ拝む。
(帰ってきました。色々と心配を掛けてしまってごめんなさい。
お休みを貰ったので、少しだけここでゆっくりしようと思ってます)
そんなことを心の中で報告した。目を開け、まじまじと仏壇を見てみる。すると、あることに気付いた。仏像の光背が、一部欠けているのだ。
「あぁ、これもそのままなのか」
見覚えがあった。あれは、まだ聰が小さかった頃。この仏壇の前でふざけていて、誤って仏像を落としてしまったのだ。その時に、欠けてしまった光背。
…しかし、それだけではない。あるはずのものが無いのだ。
「あれ? 遺影が見当たらないな…」
仏壇の中や部屋の中をくまなく見まわしてみたが、祖父母の遺影が無い。
祖母は10年ほど前、病気に掛かり亡くなった。
祖父はと言えば、祖母に先立たれたことでみるみると弱ってしまい、それから2年と経たず、後を追うように亡くなった。
祖父母っ子だった聰は、二人を相次いで亡くし、ひどく落ち込んだ。その時のことを思い出すと、今でも胸が締め付けられる。
「どこにやったんだろ?飾ってないと寂しいもんだな…」
聰は仏間を出て声を掛けた。
「ねぇ、じいちゃんばあちゃんの遺影って無いの?」
父は訝しげな顔をして
「あるわけないだろう。何を言ってるんだ」
と、言い放った。
「あー、そうなんだ」
父の答えに疑問は感じたものの、はたと思い当たることがあった。確かこちらに帰省するという連絡をした時に、父が近々、祖父母の法事をすると言っていたのだ。祖父母は亡くなる年こそズレはあったものの、亡くなった季節は同じだったため、合わせて法事をすることがあった。その関係で今はどこかに保管しているのかもしれない。
(そう言えばそうだったっけ)
父の口ぶりは当然といったものだったので、それ以上は突っ込まないことにして、自分の部屋を覗いてみることにした。
しかし、この家で、自分の部屋がどこにあるのか、聡には、見当もつかなかった。
しばらく考えた後、聰は一つの妙案を思いついた。
「あぁ、そういえば、さっき外から俺の部屋を見たんだけど、窓ガラスが割れてたかも。
父さんか母さん、どっちでも良いんだけど、ちょっと一緒に見てくれない?」
「えー、本当に? 一昨日掃除した時は、全然気付かなかったのに」
「うん、悪いけど、ちょっと見に来てくれる?」
「わかった。行きましょ」
(…よっしゃ!)
聰は、心の中で小さくガッツポーズをした。
母の後をついて二階へと上がり、左奥の部屋へと歩いていく。
どうやらそこが自分の部屋のようだ。
聰はミッションを達成した気持ちになり、少しだけ嬉しくなった。
「あなた、何をニヤニヤしてるのよ?」
「あー、いや、俺がいない間も掃除してくれてたんでしょ? それが有難いなぁって思ってさ」
慌ててそんな言葉を発したが、嘘ではない。母の心遣いには頭が下がるばかりだ。
「おだてても何も出ないからね!」
そう言って母は足早にスタスタと歩いていく。どうやら照れ臭いようだ。
「…ねぇ、窓ガラス割れてないみたいよ。見間違いだったんじゃないの?」
突き当りの部屋から母の声がする。声を追い掛けるように聰も部屋の中へと入った。
「あ~、見間違いだったみたいだ。…ごめん」
「まぁ割れてないんなら良いわ。…じゃあ、ゆっくりしてなさい」
「うん、ありがとう。…あ、そうだ。もう一つ良い?」
「なに? 今度はどうしたの?」
「お父さんさ、スマホ買ったんだね」
「あぁ、うん。あの新しいやつね。それがどうかした?」
「うん、昨日お母さんと電話で話したじゃない? その時にさ…」
「昨日? 一昨日じゃなくって?」
母の言葉に、わずかな戸惑いが混じる。
「いや、昨日だよ。今日帰るって伝えたじゃない」
「そんなはずないわ。だって、一昨日の電話はお友達と約束してた日で、ちょうど外出中だったもの」
母は、きっぱりと否定した。その目に、嘘をついている様子はない。
「えぇ、嘘だろ?」
「嘘なもんですか」
「えぇっと、じゃあさ。お父さんが携帯電話を持ちたがらないから、同僚の人が困ってる~とか何とか言う話は…」
「そんなこと話してないわよ。だいたいお父さんは昔から携帯持ってるし」
母は、強い口調で言い返した。まるで、聰の記憶そのものを否定するかのように。
「いやいやいや! お父さん携帯持ってないから、いっつも家の電話で話してたじゃん」
「誰のことを言ってるの? あなた昨日お父さんの携帯に掛けてきてたのに。今日の電車の時間伝えてたんでしょう?」
(なんだって?!)
聰は言葉を失った。
自分の記憶とは明らかに違う。
まるで、 二人と自分は違う世界の住人のような気がしてきた。
「…ごめん。ちょっと一人にしてもらっても良いかな?」
「何よ。あなたが呼び止めたのに…。大丈夫? あなた今日ちょっと変よ」
「ごめん、多分大丈夫…。」
「そう?じゃあゆっくりなさいね」
小百合が下に降りるのを見届けると、聰は自分のスマホを開いた。通話の発信履歴を確認するためだ。自分の記憶が正しければ、昨日家の電話に掛けた履歴が残っているはずである。
「…は?!なんでだよ?!」
そんな言葉が口をついて出た。家の電話に掛けた形跡がない。直近の履歴では、一昨日が母の携帯。そして、昨日が父の携帯と記録されている。携帯を持っていないはずの父が登録されているのだ。直近の記録はそれ以外に無かった。
まるで覚えていない。
「はぁ…嘘だろ?」
両親の話と自分の記憶とが大きく違う。にわかには信じがたい。実家でゆっくりと休みたいだけだったのに自分の状態を思い知らされるようで泣きそうになった。積み木を高く積み上げたのに、土台が崩れていくような、そんな不安定な気持ちを覚える。
「仕方ないか…。そのために実家に帰ってきたんだし」
諦めにも近い気持ちで聰は呟いた。
「とりあえず、休むか…」
聰は部屋を見回してみた。
「ここが俺の部屋…」
広さは以前とさして変わらない。しかし、聰が暮らしていた実家とは明らかに違う。にも関わらず、部屋にある私物や家具の配置はほぼそのままの状態だった。まるで、 誰かが自分の記憶を盗み見て、この部屋を再現したかのような、そんな奇妙な感覚に襲われる。壁には、学生時代に好きだったバンドのポスター。本棚には、読みかけの漫画。机の上には、使い古したペン立て。全てが、見覚えのあるものばかりだ。
「驚いた。引っ越したってのに同じ場所に置いてくれたのか?」
手間と労力の掛け方に聰は驚きと同時に、得も言われぬ不気味さを感じた。
(普通そこまでするか…?)
部屋の状況をあらかた見終わってから、ふいに気になった机の引き出しを開けてみた。すると見覚えの無い箱が入っている。
「ん、なんだこれ?腕時計?」
知らない腕時計だった。自分で購入した覚えは無い。しかし、自室の机に入っていたということは聰の物なのだろう。
休むつもりでいたが、こうなったらわからないことは全部聞いていってやるという、探偵のような妙な気持ちが湧き上がってきた。
聰は再び一階へと降りていった。居間らしきところへと入ると、そこには両親がいた。
「あら?あなた一人になりたいんじゃ無かったの?」
「そうなんだけど、ちょっと気になることがあってさ」
「もう。今日は質問が多いのね」
母が言ったが、構わずに聞きたいことを投げ掛けた。
「これなんだけど、見覚えある?」
と、引き出しの中の腕時計を見せた。
「ん〜?見たことあるけど…なんだっけ?」
「もうしっかりしてよ」
(今の俺には言われたく無いだろうけど)
と聰は自嘲気味に考えた。すると、脇から覗き込んでいた父が言った。
「あぁ、これか。お前が成人式の時にじいちゃんとばあちゃんが記念でプレゼントしてくれた時計だろ?」
「プレゼント?じいちゃんとばあちゃんが?」