31-9「静寂にひそむ連鎖」
思考の切り替えができないまま、キッシュを食べ終えた。
それにしても静かだ。サノスとロザンナの二人がいないだけで、この店はこれほどまでに静かだったのかと、改めて思う。
食べ終わった洗い物を台所の流しへ運び、順に洗っていく。シチュー皿とフォークを洗いながら、先ほどの思考を整理しようとしたとき、あることに気が付いた。
そもそも、なぜ俺はイル・デ・パンとの話を整理しているのだろうか?
奪われた伝令のこと、俺への懲罰が記された伝令、その行方や内容が気になるからか?
母さんから懲罰を課されることに、羞恥心を抱くからか?
違う。そんなことではない。
原点に帰ろう。
イル・デ・パンの話を整理しようと思い立ったきっかけは、一体何だったのか?
そもそもイル・デ・パンと話すことになったのは、店の向かいの交番所に立つイサベルさんに知らされたからだ。
それは昨日も同じだ。二日続けてイサベルさんに知らされた、というより促されて交番所に向かったのだ。
思い出したぞ!
ハッキリと思い出した!
昨日はイサベルさんの口から出た『副長の指令』の言葉に動かされ、イル・デ・パンが来ていると信じて交番所へ向かったのだ。
結果的に、昨日は『班長』から事情聴取を受けた。
あの捕らえられた元魔道具屋の主が、俺が『魔石の転売』に関わっていると口にしたことで、聴取を受けたのだ。
あの時点で『魔石の転売』に関する疑いは晴れたはずだ。
しかし俺は、街兵士たちがこの王国の法、ウィリアム領の法で禁止されていない『魔石の転売』を調査する理由に引っ掛かりを覚えた。
おそらくその背後には、『魔石シンジケート』への取り締まりを目的とした捜査があるのだろう。
この流れから考えると、アイザックを襲撃したのは、『魔石シンジケート』か、あるいはそれに関わる何者かの可能性がある。
つまり『魔石シンジケート』は、何らかの理由で俺と母さんの間でやり取りされる伝令に目を付けているということだ。
そしてイル・デ・パンは、この可能性を考慮して、奪われた伝令の中身を母さんに問い掛けた。
だが母さんからは明確な答えが得られなかった。
そこでイル・デ・パンは、奪われた伝令の受け取り手である俺に問い掛けに来たのだ。
洗い物を終えたあと、俺は台所で『湯出しの魔法円』を使い、御茶を淹れた。
一瞬、ティーポットを使おうかと迷ったが、俺が飲むのは一杯分の御茶だけだ。マグカップに茶葉を入れ、『湯出しの魔法円』の中央に置き、湯を注ぐ。それを手に取り作業場へ戻り、椅子に腰を下ろした。
サノスとロザンナが店にいないため、作業場は異様に静かだ。
一口含んだ御茶の苦味が、散らばっていた思考を静かに一つに結び直してくれる気がした。
昨日、交番所で『班長』から事情聴取を受けた際、『魔石の転売』という言葉が出た。
法的には禁止されていない行為だが、街兵士たちはそれを問題視していた。その背景には裏社会組織『魔石シンジケート』の存在があると考えられる。
この組織は、出所の怪しい魔石を扱い、正規流通に介入している可能性がある。
街兵士は直接的には言及しないが、調査の動きがあり、俺への聴取もその一環だったと判断できる。
街兵士は『魔石シンジケート』の動きが秩序の崩壊につながる可能性を見逃さないよう、事前に情報を探っているのだろう。
今日、イル・デ・パンと話した際も、そのような姿勢が見受けられた。
直接的な発言はなかったが、俺の説明を受けつつ、状況の背景を読み取ろうとしているようだった。
街兵士の副長という立場にある者として、街の安全と治安に関心を持っているのだろう。
アイザックが襲撃され、俺と母さんの間でやり取りされる伝令が奪われる行為は、明らかに非合法だ。
この行為は、領主代行である母さんから出される情報に干渉するものであり、秩序を破壊する。
こうした事件に対し、街兵士の一部は対応を強めようとしている気がする。
その意味でも、イル・デ・パンは今回のアイザック襲撃事件で、状況を慎重に観察しながら行動しているように思えた。
自分で淹れた茶をもう一口飲む。
その苦味が、近い将来、この街で起きる問題の兆しを示しているように感じられた。
カランコロン
店の出入口の鐘が来客を知らせる。
入口には閉店の札が出ていたはずだ。
それでも入ってくるのは、今日、店に来ると約束しているシーラくらいだろうか。
そんなことを思いながら壁の時計に目をやると、もう2時を過ぎようとしていた。
店舗へ向かうと、街娘風の装いをした二人の女性が店内を見渡していた。
思わず目を引かれるほど、豊かな胸元が印象的だった。
「イチノスさん、今日は休みでしたか?」
「⋯⋯」
いやいや、何でサカキシルのリリアとシンシアが、二人そろって俺の店に来ているんだ?
「二人で来るとは珍しいな。今日はどうしたんだ?」
「シンシアが、まだイチノスさんの店に来たことがないから連れて来たんですよ」
「コクコク」
そうか。姉のリリアは以前、ブライアンの紹介で店に来たが、妹のシンシアはまだ来たことがなかったのか。
「そうでしたね。リリアさん、シンシアさん、魔導師のイチノス・タハ・ケユールです。今後は気軽に『イチノス』と呼んでください」
俺は改めて、二人に名乗りの挨拶を告げた。




