31-8「キッシュと伝令」
─
イル・デ・パン殿から言伝を聞きました。
近日中に顔を出します。
都合の良い日時をお知らせください。
─
いろいろと考えたが、アイザックが襲われたといういまの状況で、細かいことを書き記した伝令を出すよりは、この内容で行こうと決めて、母さんへの手紙を書き終えた。
手紙を書き終えると共に、俺の空腹も限界を迎えていた。
階下の足音が増えたような気がして時計に目をやると、十二時になろうとしている。
サノスとロザンナの様子を確かめるために書斎を出て一階へ降りて行くと、台所から二人の会話が耳に入ってきた。
「センパイ、タチアナさんがギルドの水出しと湯沸かしを出してくれるんですよね?」
「うん、タチアナさんがどっちも出すって言ってたよ」
「じゃあ、製氷だけで良いんですよね?」
そこまで二人の会話を聞いたところで、俺から声をかけた。
「今日の試飲会では、ギルドの水出しや湯沸かしを貸し出すのか?」
「あっ! イチノスさん!」
「師匠!」
サノスとロザンナが俺に気付き、驚きの声を重ねた。
「師匠、製氷をお借りしますね」
すぐさまサノスが、『製氷の魔法円』を見せながら、貸し出しの許可を確認してきた。
「いいぞ、『魔石』もそこにあるのなら貸し出すぞ(笑」
俺がロザンナの前にある普段使いの『魔石』を指差して貸し出しを許可すると、ロザンナが何かに気付いた声を出した。
「あっ! そうですね。センパイ、お借りしましょう」
「師匠、すっかり忘れてました。ありがとうございます」
ククク、どうやら二人は『魔石』の件はすっかり忘れていたようだ。これは二人が『魔石』の件を忘れてしまうぐらい、慣れて来ている証拠だな。
「すまんが俺はこれから食事にするんだが、二人には今日の分の日当を払うぞ」
それだけ告げて作業場に入ると、作業机の上は綺麗に片付けられていた。
俺は売上を入れているカゴを手にして自分の席に座ると、すぐにサノスとロザンナも入ってきた。
サノスは『製氷の魔法円』を手にしており、ロザンナは普段使いの『魔石』を手にしていた。
サノスとロザンナに、半日分の日当を渡し、『製氷の魔法円』や『魔石』を運べるように、店で使っている紙袋も渡した。二人は、それらを紙袋にきちんと収めて手にした。
「じゃあ、いってきま~す」
「イチノスさん、お先に失礼します」
カランコロン
意気揚々と店を出て行くサノスとロザンナを、俺は店舗に出て見送った。店の出入口の扉には、『閉店』の看板が揺れている。
特に出入口の扉に鍵は掛けていないので、この後に来るであろうシーラには遠慮せずに入って来てもらおう。
さて、サノスとロザンナも出発したから腹拵えだ。
そう決めて台所に行き、氷冷蔵庫を開けると、そこには昨日の昼食でも食べたオリビアさん特製のキッシュが、シチュー皿に乗せて置かれていた。
俺は、それを皿ごと取り出して、台所の天板に置き、少し考える。
温めて食べた方が良いよな?
すぐに収納棚を開けて、『温めの魔法円』を探すが見当たらない。
そうか。使うことは無いだろうと判断して、物置にしている隣の空き家、あそこの魔法円を置いている棚に運んだままだ。
思い返してみれば、店を開いてから『温めの魔法円』を使った記憶が無い。サノスやロザンナに、昼食の買い出しを頼んでも、シチューやスープ類を両手鍋で持って帰って来るから、湯沸かしを使えば十分だった。
それに、このキッシュを乗せたシチュー皿が、あの『温めの魔法円』で使えるとも思えない。
そうだよ。そうしたことを総合的に考えて、俺は『温めの魔法円』を使わないと判断して、物置に放り込んだんだ。
どうする?
魔法で温めるか?
それとも、湯沸かしで蒸すように温めるか?
そんなことを考えながらも、俺は胸元のエルフの『魔石』から魔素を取り出し、両手の表面に纏わせ、『温めの魔法』その原理を、頭の中から引き出していた。
◆
うん、やっぱり、このキッシュは良い味だ。
温めて食べると、昨日の大衆食堂での味が甦った気がする。とはいえ、昨日は、大衆食堂で夕食はキッシュだと聞いて、思わず串肉を追加して逃げたんだよな(笑
今日の夕食は、なんだろうか?
再び、給仕頭の婆さんからキッシュだと言われたら、また串肉に逃げるのか?(笑
そういえば、古代遺跡の件で絡んできた連中は、キッシュをつまみながらエールを重ねていたな。確かに、この味ならエールにも合うな。
まあ、あの連中のことは置いておいて、その付近は、日が暮れて風呂屋へ行ってから考えよう。
さて、腹も満たされ始めててきた。
今ならば、空腹に気を取られることなく、イル・デ・パンと交番所で交わした会話を整理できるだろう。
イル・デ・パンはまだ伝令の中身には辿り着けていないが、断片的な情報を少しずつ掴み始めているようだった。
だから俺のところに来たのかもしれない。そう考えると、イル・デ・パンが俺に会いに来た理由にも筋が通る。
街兵士の副長であるイル・デ・パンでも、領主代行に就任した母さんに伝令の中身は何だったのかまでを問い質すように聞き出すことは出来なかったのだろう。
確たる根拠はないが、今の母さんが俺に出す伝令だとすれば、その中身は俺に課す懲罰に関するものだと考えるしかない。
領主であるウィリアム叔父さんの命令に背いて、あの黒っぽい石の入った瓦礫を古代遺跡から持ち帰ったことに対する懲罰だ。
そんな俺に課す懲罰が記された伝令が、本当に襲撃してまで奪われる価値があるのか半信半疑だ。
しかし、襲撃の事実から何か重要な意味があるのは間違いないと思わざるを得ない。
今回は、アイザックの反撃に合って襲撃した側は返り討ちで左手首を切り落とされた。騎士を襲撃すれば、返り討ちに合うことも容易に想像できただろうに。
それでも伝令を奪うために襲撃した。
襲撃した側は、母さんが俺に出す伝令に何らかの価値を見出しているのだろう。中身の詳細は知らないかもしれないが、伝令そのものに重要な意味があると判断していたのだろう。
実際に伝令を運んでいたアイザックは伝令の中身を知らない。
アイザックの役割は俺に伝令を届けることであり、その内容に立ち入ることはなかったはずだ。
コンラッドやエルミアは母さんの側近として伝令の中身に関わっている可能性はあるな。
伝令の中身を知っているかどうかは分からないが、あの二人なら、何かしらの情報を掴んでいる可能性はある。
だが、それがアイザックを襲撃して母さんからの伝令を奪うことと、どんな関係があるんだ?
ダメだ。
この思考方法、今の俺の思考の流れでは、何も結論が導けない。
どこかで考え方を変えないと、無駄に思考を巡らせるだけだ。




