31-7「言伝(ことづて)」
「イル副長、お話し中失礼します!」
急に掛けられた声に俺は小さく肩を震わせて振り返った。
そこには昨日の事情聴取に参加していた青年街兵士が、王国式の敬礼を繰り出す姿で立っていた。
「どうした。何かあったか?」
すぐにイル・デ・パンの落ち着いた声が返るのが聞こえる。
「迎えの馬車が到着しております。すぐに向かわれますか?」
「もう、そんな時間か。わかった、すぐに行く」
「はっ!」
青年街兵士が再びイル・デ・パンに向かって敬礼をすると、すぐに振り返って交番所敷地の入口へと小走りに向かった。
その背中を見届けてから振り返ると、そこには既に椅子から立ち上がり、制服の皺を伸ばすイル・デ・パンの姿があった。
「イチノス殿、本日はお時間をいただき、ありがとうございました」
イル・デ・パンの丁寧な礼に、思わず俺も席を立ち上がった。
「いえ、貴重なお話しをありがとうございます」
「私の方から時間を願っておきながら、慌ただしく申し訳ありません」
そう告げて動き出そうとしたイル・デ・パンに、俺から問い掛ける。
「イル副長殿、アイザックが襲われた件、私からフェリス様に問い合わせても問題ないでしょうか?」
「はい、問題ありません。おっと、そうでした。大事なことを失念していました」
「??」
「フェリス様に今回の件をイチノス殿に伝える話をしましたら、逆にフェリス様から言伝を頼まれておりました」
「言伝?」
「『近日中に顔を見せなさい』とのことです(笑」
「そ、そうですか(笑」
「それでは、フェリス様からの言伝もイチノス殿に伝えましたので、私はここで失礼します」
そう告げたイル・デ・パンが軽めの敬礼を出してきたので、俺もそれに軽い敬礼で応えた。
互いに敬礼を解くと、イル・デ・パンは振り返る素振りを見せることもなく、真っ直ぐに交番所の敷地の外へと向かう。俺は、その後ろ姿を交番所の建物から出て、無言で見送った。
そういえば、アイザックが襲われ、母さんの伝令が奪われた話に気を取られて、元魔道具屋の主に関わる話を聞き出せなかった。
いや、聞き出せなかったと言うより、そもそもイル・デ・パンは、俺に元魔道具屋の話をする気があったのだろうか?
そこも俺はイル・デ・パンの策に嵌まっていたのだろうか。
それにしても腹が減ったな⋯いかんな。空腹が思考の邪魔をし始めている。
店に戻ったら、昨日、大衆食堂の婆さんにもらったオリビアさん特製のキッシュで腹を満たそう。今回のイル・デ・パンの話の整理は、それからだ。
そう思いながら交番所敷地の出口へ行くと、女性街兵士二人が王国式の敬礼で黒塗りの馬車を見送っていた。運良くすぐに敬礼を解いてくれたので、俺からイサベルさんに問い掛ける。
「イサベルさん、お疲れ様です」
「!! い、イチノスさん、お、お疲れ様です」
「急に交番の中をお借りして、すいませんでした」
「いえいえ、どうぞ、気にしないでください」
ミャアミャア
不意に、女性街兵士二人の足元に置かれた編みカゴから子猫の鳴き声がした。
「じゃあ、私は店に戻りますんで」
「「はいっ、お疲れ様です」」
ミャアミャア
ククク もう既にあの子猫は交番所勤務だな(笑
カランコロン
「は~い、いらっしゃいませ~」
道を渡って店の扉を開けると、ロザンナの声が俺を迎えてくれた。
「戻ったぞぉ~」
「イチノスさん、おかえりなさ~い」
作業場から飛び出してきたのは、やはりロザンナだった。
「おう、ロザンナ。すまんな、店番を任せて」
「いえいえ、気にしないでください。それより猫ちゃんいました?」
ん? 何でロザンナは子猫の件を知ってるんだ?あぁ、イサベルさんが店に俺を呼びに来た時に聞いたんだな。
「可愛かったぞ。ロザンナは今から見に行きたいのか?(笑」
「お昼になって、ギルドへ行く前にセンパイと一緒に見に行きます(笑」
そう言い残して作業場に戻るロザンナに続いて行くと、サノスは自分の席で魔素ペンを手にしながら『魔法円』に取り組んでいた。
そんなサノスの隣、ロザンナの席の前には『魔法円』の上に銀色の金属製の皿が置かれていた。どうやら、水出しの調整中のようだ。
う~ん⋯ この二人の目の前で食事を摂るのは無理だな。
俺が二人の目の前で食事なんか始めたら、二人の集中の邪魔になってしまう。二人は昼時からは休みだから、もう少し我慢して二人が店を出てから一人でゆっくりと食事にしよう。
そう思ったその時、ロザンナが俺に尋ねてきた。
「イチノスさん、作業に戻って良いですか?」
「あぁ、気にしないでくれ。二人とも昼からは休みなんだから、私に構わずにな」
そう告げて壁の時計に目をやると、ロザンナも、そして集中していたサノスまでもが顔を上げて、壁の時計へ視線を向けた。
すぐにサノスがちらりとこちらへ視線を向けた。そして魔素ペンを手にした右肩を軽く回しながら俺の戻りに応えてきた。
「師匠、おかえりなさい」
控えめな声。けれど、その響きには作業に集中しながらも、俺の帰りをちゃんと感じ取っていたことが滲んでいた。
「俺は2階にいるから、何かあったら声をかけてくれるか?」
「「は~い」」
俺は二人の返事を聞きながら、2階の書斎へ向かった。
2階への階段を一段ずつ踏みしめながら、もう1時間程度の我慢だと自分に言い聞かせる。
このまま書斎へ入ったとしても、先ほどの交番所でのイル・デ・パンとのやり取りを反芻する気には、どうしてもなれなかった。考えるべきことは多い。けれども、いま無理にそれに向かっても、空回りするだけだ。
階段を上がり切ったところで、ふと一つの考えが浮かんだ。そうだ。母さんに手紙を出しておこう。
〉『近日中に顔を見せなさい』
イル・デ・パンを通じて伝えられたその言伝が、頭の中に蘇る。
今日これからすぐにでも母さんに会いに行ければ良いのだが、昼過ぎからシーラが店を訪れる予定もある。俺自身が店を空けるのは得策ではない。
まずは母さんに手紙を出そう。今の自分にできるのは、それだ。
そうすれば、母さんに今の俺の状況は伝わるだろうし、顔を見て話せば、アイザックが襲撃された件への考えも整ってくるはずだ。
書斎の魔法鍵に魔素を流し込みながら、俺は母さんに出す手紙の文面を考え始めていた。




