31-6「返り討ちの伝令」
「イチノス殿は、昨日の夕刻に起きた事件をご存じですか?」
「昨日の夕刻?」
「えぇ、昨日の夕刻に、何処ぞのならず者の左手首から先が切り落とされたんですよ」
イル・デ・パンが自分の左手を突き出し、その手首を右手でトントンと叩いてみせた。
そんな事件があったと示したいのだろう。だが、それを俺に伝えてきた理由は何だ?
いや、落ち着いて考えろ。
なぜイル・デ・パンはそんな事件の話を俺にするんだ?
その事件が俺に関係しているから話しているんだよな?
俺は、その事件の話を詳しく聞くべきなのか?
イル・デ・パンの表情を観察してみると、俺の反応を待っているように思えた。
「その事件の話を、私にされるということは、私に関わりがあるということですか?」
「はい、イチノス殿に関わりがあります」
おいおい。ハッキリと言うじゃないか。
「イル副長殿、私が理解できるように、詳しくお話しを聞かせていただけますでしょうか?」
「それであれば、昨日の事件について、イチノス殿との関わりを中心にお話しするべきですよね?」
「そうですね。そうしていただければ助かります」
「まずは左手首を切り落とした者、これが襲撃を受けた側なのです」
俺は一瞬、イル・デ・パンの話が理解できなかった。それが表情に出たのか、イル・デ・パンの口許が笑った気がした。
「襲われた側が被害にあったわけではなく、襲われた側が切り落としたと言うことは、返り討ちにされたと言うことですか?」
「はい。おっしゃるとおりに、返り討ちですね(笑」
なるほど、それなら理解できる。襲撃した側がやられたのなら、自業自得だ。
「その事件の、どこが私と関わりがあるのでしょうか?」
「襲撃を受けた者、いわば返り討ちにしたのが、実はフェリス様の護衛騎士であるアイザック殿なのです」
イル・デ・パンの言葉に俺は絶句した。
「結果的に、アイザック殿に怪我はなく、返り討ちにあった襲撃者の一人が左手首から先を切り落とされました」
「そ、そうですか」
どれほどの修羅場だったのか。
血の匂い、鋭く閃いた刃の軌道が脳裏をかすめた。
「ここからが、イチノス殿と関わる部分となります。話を続けてもよろしいでしょうか?」
「はい。お願いします」
「まずは結論ですが、今後、フェリス様からイチノス殿への伝令については、我々、街兵士が配送を担当することになりました」
一瞬、イル・デ・パンが、何を言っているのか直ぐに理解できなかった。
ここまでの会話を寄せ集めて、思考を整えて行く。
イル・デ・パンの言葉から考えられるのは、アイザックは、母さんから俺に宛てた伝令を届けようとしていた。その途中で、何者かに襲われた。
アイザックは襲撃者を返り討ちにして、左手首から先を切り落とした、と言うことだよな?
よし、一旦、整理がついたぞ。
それはつまり母さんから俺に宛てた伝令は、アイザックを襲うほどに、何かの価値があったということか?
まてよ。
その伝令、俺への「懲罰」に関する伝令な気がしてきたぞ。
そう思った時に、胸の奥を、ざわめきがよぎった。
ゆっくり息を吸い、落ち着きを取り戻そうとすると、イル・デ・パンが口を開いた。
「そこでイチノス殿にお聞きしたいのですが⋯」
「はい。何でしょうか?」
「フェリス様がイチノス殿に宛てた伝令の中身について、何か思い当たることはありませんか?」
やはり、その話になるよな。
そしてイル・デ・パンは、中身を知らないということか。
「フェリス様がイチノス殿に⋯」
俺は右手を軽く上げて、イル・デ・パンの言葉を制した。
さっきイル・デ・パンは、今後は街兵士が配送すると告げたよな?
ということは、アイザックが運んでいた伝令には、やはり襲った側には何らかの意味があったということになる。
「イル副長殿」
「はい、なんでしょう?」
「確認のために、お聞きします。アイザックは、私に届ける伝令を奪われてしまったのですね?」
イル・デ・パンの口元がわずかに吊り上がった。その笑みが、答えのすべてを語っていた。
「さすがはイチノス殿です。私はあえて、事の経緯を絞ってお伝えしましたが、そこまで察したのですね」
イル・デ・パンの視線の奥に、静かな光が宿っていた。
沈黙が落ちる。目に見えない何かが、確かに動き出している気がした。
「イル副長殿、昨日の夕刻に起きたというアイザック襲撃事件については承知しました。私としては、母からの伝令を受け取れなかったと言う事実はありますが、それ以外となると、どうにも言葉がありませんね」
「なるほど。イチノス殿はフェリス様が出された伝令には、心当たりが無いと言うことでよろしいですか?」
イル・デ・パンの口調が妙に粘っこくて、どうにも引っかかるものがある。
風呂屋で交わした口調でもなく、大衆食堂でエールを交わした際の口調でもない。ましてやロザンナの面接に来た時とも違うな。
どちらかと言えば、西町幹部駐兵署に赴いた際の口調に近い気がする。
これは明らかに『街兵士の幹部』としてイル・デ・パンが俺に向き合っているという現れだろう。
「イル副長殿、もしかして今日の私へのお話しと言うのは、アイザックが襲われた事件についての事情聴取か何かでしょうか?」
俺は思い切って、詰め寄るようにイル・デ・パンに問い掛けた。
「いやいや、これは失礼しました。連日の事情聴取をイチノス殿にお願いしては失礼ですよね。イチノス殿は何も関わっていないのですから」
そう答えたイル・デ・パンの言葉にも、含みを感じるのは何故だろうか。
明らかにイル・デ・パンが話せないことを隠しているからか?
そうなると、俺から掘り下げないとイル・デ・パンは口を割らない気がしてきたぞ。
それにしても、先程から感じ続けているこの空腹が、どうにも意識の端を曇らせて仕方がない。
俺はイル・デ・パンの顔を一度だけ見つめ、それからそっと視線を建物の壁へと移した。
柔らかい光の中で、壁に掛かった掛け時計の針が十一時を静かに指していた。
イル・デ・パンは俺の視線の動きを見逃さなかったのか、わずかに視線を動かし、目線を揃えてきたように感じた。
いや違うな。
イル・デ・パンの目線は建物の外、俺の背後に向いている気がする。
「イル副長、お話し中失礼します!」
急に掛けられた声に俺は小さく肩を震わせて振り返った。
そこには昨日の事情聴取に参加していた青年街兵士が、王国式の敬礼を繰り出す姿で立っていた。




