31-2「背の高いお姉さんの名はイサベル」
魔法学校時代に俺の使っていた教本が、木箱に収めて届けられた。
木箱の中身の教本はサノスとロザンナが作業場の本棚に納め、今後は二人の知識の糧となるだろう。
教本を取り出し、空となった木箱は物置にしている隣の空き家へ俺がひとりで運ぶことにした。
その間にサノスとロザンナが朝の掃除を終えたので、店の作業場へ戻って三人で朝のお茶の時間になった。
朝のお茶を楽しみながら、サノスとロザンナの出してきた話題は、昨日の子猫の件だ。
「ロザンナ、子猫ちゃんはどうなったの? お姉さんと街兵士さんがローズマリー先生に診せに行くって言ってたよね?」
「昨日の子猫ですよね。家に帰ったら、もういなかったんです。けど、祖母が診たかぎりでは、健康体でノミもいなかったそうですよ」
ローズマリー先生は人間だけではなく子猫の診察までされるとは、なかなか大変だな(笑
「じゃあ、先生があの子猫を診察してくれたのか?」
俺は二人が交わす会話に、思わず口を挟んでしまった。
「はい。朝一番でイサベルさんに伝えたら、安心してました」
イサベル?
名前を聞いてもすぐには顔が浮かばないが、どこかで聞いたような気がする。もしかして⋯
そこでふと、サノスからの視線を感じた。
サノスに目をやると、手にしたマグカップを置いて問い掛けてきた。
「師匠、もしかしてですけど『イサベルさん』が、誰かわからなかったりします?(笑」
サノスの言葉があまりにも図星過ぎて、思わず視線をそらした。どうやら見抜かれていたようだ。
昨日の子猫が見つかった状況と二人の会話などから、『イサベルさん』は二人が『お姉さん』と呼ぶ向かいの交番所に立つ女性街兵士の名前だと推測できる。
向かいの交番所に立っているのは、昨日も今朝も同じ二人の女性街兵士だ。片方が中肉中背で、もう一方が細身で背が高めだ。これは2分の1の確率だな。
「『イサベルさん』は、確か細身で背が高い女性街兵士さんだろ?」
そう答えるとサノスは満足そうに頷いたのだが、今度は黙って聞いていたロザンナが踏み込んできた。
「イチノスさん、もしかしてですけど、イチノスさんは他のお姉さんの名前を聞いてなかったりします?」
その言葉に反応したサノスが少し呆れた顔でこちらを見ている。ロザンナも似たような顔をしていたが、何処か心配を含んだ表情に見えた。
「顔は覚えてるんだが、まだ名前と一致してないんだ。『イサベルさん』の名前も聞き齧っただけだしな。それに何より、まだ正式にお互いに名乗って無いんだよ(笑」
そう答えると、ロザンナは、眉をひそめてサノスに向けたのと同じ、けれどどこか心配そうな眼差しを俺に向け、隣のサノスは『やっぱりね』とでも言いたげな顔になって口を開いた。
「そう言えば、師匠はそういうところがありますよね(笑」
サノス、その言葉はなかなか突き刺さる言葉だぞ。
「もしかして、イチノスさんは人の名前を覚えるのが苦手なんですか?」
ロザンナ、それを追い討ちと言うんだぞ。
「まあ、世の中にはそういう人もいるんだと思ってくれないか? それよりサノスもロザンナも昼からお休みなんだろ?」
俺は向かいの交番所の女性街兵士の名前から話を逸らすように、昼過ぎからの二人の休みの話を持ち出してみた。
これには、二人が今日の昼からの休みを願ってきたときから感じていた、確認でもある。
サノスとロザンナは、冒険者ギルドで昼過ぎから開かれる紅茶の試飲会に参加するのではなかろうかと思えたのだ。
「実は、ギルドで紅茶の試飲会があるんです」
「タチアナさんから、その話を聞いて⋯」
俺がその話を持ち出すと、二人は正直に、それに参加するために昼過ぎからの休みを願ったと答えてきた。
「じゃあ、二人ともその為に昼から休みにしたのか?(笑」
「そうです」
「まずかったですか?」
サノスはハッキリと答え、ロザンナは心配そうな表情を見せる。
「いやいや、気にするな。そうした楽しみも大事だからな」
「ありがとうございます」
「師匠、それで美味しい紅茶だったら買っても良いんですよね?」
ロザンナは安心を顔に浮かべて礼を述べ、サノスはその紅茶の支払いを願う。まあ、店で飲む分には茶葉の代金は店で負担すると告げてあるから問題ないだろう。
「そこは任せるよ。高かったら⋯」
「じゃあ、師匠の緑茶より安かったら、買ってきますね」
おいおい、そこでサノスは皆で飲んでいるこの緑茶を比較に出すのか?
これでは否定できないだろう(笑
そう思った時にサノスが言葉を続けた。
「それとですね、師匠の許可が欲しいんです」
「許可が欲しい?」
「実はタチアナさんの話だと、その新しい紅茶はアイスティーにすると、とても美味しいらしいんです」
「うんうん」
サノスの言いたいことがわかってきた気がする。隣で頷いているロザンナも、どうやら同じ考えのようだ。
「それは、台所の『製氷の魔法円』を持って行って、今日の試飲会の場で使いたいということか?」
「はい、それとですね、お借りしている『製氷の魔法円』をみんなの前で使っても良いですか?」
両方か。これは、昨日の大衆食堂で婆さんに貰った注文と同じ状況だな。
これは、一種のお披露目の場になってきた気がする。
まさか『製氷の魔法円』が、紅茶を嗜む人々の目に触れる機会に至るとは、考えてもいなかった。
思い返せば、数日前からその兆しはあったのかもしれない。
それが思わぬ形で、今日の昼過ぎに訪れるということなのか。
『水出しの魔法円』で出した水が紅茶に合う話は、カレー屋の女将さんから特と聞かされた。シーラも、それに似た事を語っていた。
その話を聞いた時には、水出しの話に限ったことだと思っていた。
それが製氷にまで繋がるとは、思いもよらないことだ。
これにより、『製氷の魔法円』がどこまで広まるかは今はわからない。
それでも、目の前のサノスとロザンナの瞳からは、何かの期待が感じられる。その期待は製作者利益の金貨だろうな(笑
「わかった、今日の紅茶の試飲会で『製氷の魔法円』を使うのを認めよう」
「やった~!!」
「やりましたね、センパイ!」
「但し条件付きだな」
「えっ?!」
「条件付き?」
「『神への感謝』が無い方、貸し出してる方については扱いに気を付けるのは、二人とも知ってるよな?」
「「うんうん」」
「二人ともわかっていると思うが、あれは魔素が扱えないと機能しないし、魔石を持たずに使うのは危険だから、その付近はきちんとした説明が必要になる」
「はい、それは任せてください」
「大丈夫です」
「そして本題の条件だが⋯」
「「⋯⋯」」
「もしもだが、実際に注文が入ったとして、『製氷の魔法円』を描くのはサノスとロザンナだよな? 注文が重なっても、俺に手伝いを求めない約束をできるか?」
「「!!」」
「じゃあ、二階にいるから、何かあったら呼んでくれ」
俺はマグカップの御茶を飲み干してから二人に告げて作業場を後にした。
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●作者からのお詫び
登場人物の名前が似かよっていてすんません。
諸事情で人名が似かよってしまいました。どうかご容赦ください。
■イチノス
主人公です。
■イサベル
イチノスの店の向かいの交番所に勤務する背が高めなお姉さんです。
■イル・デ・パン(イルデパン)
ロザンナの祖父で街兵士のお偉いさんです。
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次の更新は9月8日(月)を予定しています。




