30-12「気遣いと魔法円の午後」
1階の作業場へ降りて、サノスとロザンナの3人でお茶の時間となった。
今日の作業机にはお茶の仕度しかなく、以前のように和菓子があるわけではない。少し寂しい気もするが、まあこうした感じが本来なのだ。
そんなことを思いつつ、俺は御茶を楽しみながら、それとなくお土産で持って帰ったキッシュの件を聞いてみた。
「サノスもロザンナも、キッシュは飽きたか?」
「「⋯⋯」」
二人は目をそらし合うようにして沈黙した。お互いに答えたくなさそうな表情だ。
うん。この反応で決まりだな。今日の二人の昼食は、店に来る前にサノスが大衆食堂で手に入れた、オリビアさん特製のキッシュに違いない。
そう思った時に、ロザンナが口を開いた。
「イチノスさん、実は、昨日、帰る時に、センパイから、今日のお昼はキッシュだって、言われて⋯」
これは俺がお土産で持って帰ったキッシュが、このお茶の機会にテーブルに置かれていないことを、ロザンナなりに気遣った言葉だな。
「ロザンナ、そんなに気にするな。あれは俺の夕食か明日の昼食になるだけだから(笑」
「そうですか。それなら良かったです(笑」
ロザンナの顔に少しの安堵が見えた気がした。これなら『製氷の魔法円』の注文を受けた話しに寄せても良い気がするが、もう少しだけ踏み込んでおこう。
「サノスは、昼食のキッシュを手に入れるために、朝一で大衆食堂に寄ったのか?」
「はい。母さんに、『お昼用にキッシュを焼くから持ってけ』と言われて寄りました」
はい、これで二人の昼食が、大衆食堂のオリビアさん特製のキッシュだったと確定しました。
「そうか、その時に給仕頭の婆さんに、何か言われたか?」
そうした言葉で、俺は少しずつ大衆食堂の婆さんから受けた『製氷の魔法円』の注文の話へと寄せて行く。
「そう言えば聞かれました。師匠が店にいるかを聞かれて、『今日は何もないから、いると思います』って答えましたけど⋯ それも師匠に話した方が良かったですか?」
「いや、そこまで気にしなくて良いぞ。実はな⋯」
そこで言葉を区切ったことで、サノスもロザンナもぴたりと動きを止め、そろって俺の顔をじっと見つめてきた。静けさが作業場を包み、次の一言を待つ気配が肌に伝わってくるようだった。
「昼食で大衆食堂に行っただろ。そこで正式に、製氷の『魔法円』の注文を受けたんだよ」
「!!」
「やった~!」
ロザンナが驚きを顔に見せ、サノスが歓喜の声をあげた。
「センパイ、やりましたね!」
「ロザンナ、ありがとう。次はロザンナの番だよ」
ロザンナの番?
あれ? 俺は何かを忘れているのか?
「はい。もう少しですから、是非ともヘルヤさんのお仲間さんに喜んでもらえるように仕上げます」
そんなロザンナの言葉で、ハッキリと思い出した。
二人にヘルヤさんの接客を任せた時に、『水出しの魔法円』の注文を受けていたんだ。
さっきまで、サノスだけが製作者利益を受け取るような事を考えていたが、ロザンナの描いている『水出しの魔法円』も、ヘルヤさんに引き渡しが待っていたんだ。
これなら、先程のサノスだけが製作者利益を受け取ることへの心配は、不要な気がしてきたぞ。
そうなると、残るは、サノスが製作者利益を受け取っているのを、オリビアさんに伝えていない件だけだな。
「イチノスさん」
「ん?」
「この後に、ヘルヤさんに、ヘルヤさんのお仲間さんにお渡しする水出しに、魔素を流してみたいんですが、見てもらえますか?」
「そうか。もう、その段階なんだな?」
「はい。多分、大丈夫です」
なかなか強い自信だな。ロザンナの顔付きにも、自信が見てとれる。
「わかった。御茶が終わったら、さっそく流してみよう」
「はい。ありがとうございます」
そんなやり取りを終えた俺は、改めてサノスとロザンナの顔を見て問い掛けた。
「二人とも、ヘルヤさんの他に予約を受けてるのってあるのか?」
「「??」」
なんで、そこで二人とも変な顔で俺を見るんだ?
「言い訳に聞こえるかもしれないが、ヘルヤさんの接客は二人に任せただろ?」
「まあ⋯」
「そうでしたね⋯」
「そのせいか、確実に覚えていなかったんだよ。それに、俺が不在の時に二人に店番を頼んでるだろ? そうした時に予約を受けたのがあれば、ここで整理して、皆で確認をしておこうと思ったんだよ」
そこまで告げた俺に、サノスとロザンナが変な顔で、思わぬ言葉を返してきた。
「師匠、大丈夫ですか?」
「イチノスさん、大丈夫ですか?」
心配そうな顔になり、身を乗り出した二人の言葉を、やんわりと遮って、俺は言葉を続けた。
「他に注文を受けてるというか、予約は受けてないよな?」
「「う~ん⋯⋯」」
二人が揃って宙をみると、サノスがロザンナに問い掛けた。
「無いよね?」
「私は、ヘルヤさんの水出しだけは覚えてますけど⋯ 他には来ていないと思います」
サノスとロザンナが顔を見合せ、他に予約は受けていないことを告げてきた。
二人の様子から、これは予約帳か何かを作って管理した方が良さそうだと感じた。
◆
3時のお茶は早々にお開きとなった。
作業机の上は、サノスとロザンナが協力して素晴らしい早さで片付けられ、今はロザンナが描いた『水出しの魔法円』が静かに置かれている。
サノスとロザンナは、自分達の席にすわり、口を開くこと無く、今か今かと焦れるように待っている。
そんな二人を前にして、俺からロザンナに問い掛けた。
「魔素を流す前に、まずはロザンナに確認がある」
「はい、何でしょう」
「ロザンナは、この『水出しの魔法円』の魔素注入口に触れて、魔素を流した記憶はあるか?」
「無いです。センパイから、イチノスさんが不在の時に未完成の『魔法円』に魔素を流しちゃダメだと聞かされてたので、そこには触れないようにしてきました」
「ウンウン」
ロザンナがハッキリと答え、その横で少し誇らしげにサノスが頷く。
「ロザンナ、よくぞ我慢したな。サノスも、きちんと伝えたことは素晴らしいことだぞ」
「「はい、ありがとうございます」」
「じゃあ、始めようか」
「「よろしくお願いします」」
俺は二人の声を聞きながら、胸元の『エルフの魔石』から魔素を取り出して指先に纏わせた。




