30-9「魔素とキッシュと無料貸出」
昼飯を終えて、婆さんとオリビアさん、そして俺の3人で、大衆食堂の長机に座って『製氷の魔法円』についての話を続けた。
まずは、大衆食堂の厨房で使う予定の『神への感謝』を備えた『製氷の魔法円』については、今のところ、サノスが描いている物をそのまま渡すということで合意が取れた。
サノスが描いている物を渡すことを重ねて伝え、さらに俺が最終確認を行うと添えたことで、婆さんもオリビアさんも問題を感じることはなかった。
だが、その話し合いの中で少し引っかかることがあった。
サノスがこれまでに何枚の『魔法円』を描いてきたかについて、サノスの母親であるオリビアさんが詳しく把握していないことがわかったのだ。
そうなると、サノスは自分の描いた『魔法円』が売れる度に金貨1枚の製作者利益を得ているという事実を、母親であるオリビアさんに伝えていない可能性があるのだ。
サノスは来年には成人を迎える年齢だが、今はまだ未成年だ。
そんな未成年がこれまで製作者利益の金貨を何枚か受け取っていながら、保護者であるオリビアさんに話していないというのはどうしても気にかかった。
確かに、未成年のサノスに金貨を渡している俺にも問題があるだろう。
そうしたことを含めて、今ここで俺がオリビアさんに伝えるべきなのか。俺は一瞬だけ迷った。
けれど結局、俺はその件に触れることはしなかった。だが、近いうちに、サノスには話す必要があるだろう。
俺の口から伝えるのではなく、サノス自身がオリビアさんにどう話すかを決めた方がいい。そう考えたのだ。
それでいいのかどうかは分からない。でも、今はそうすることにしたのだ。
そして3人での話し合いは、婆さんが店に来た客に貸し出しを考えている『神への感謝』を備えていない『製氷の魔法円』に進んだ。
「それで、もう一つの、婆さんが客の冒険者達に貸し出しを考えている方は、ちょっと気になる事があるんだ」
「気になること?」
「⋯⋯」
「あれはまだ試作品で、サノスとロザンナ、それに一部の街兵士に渡して、使い勝手を試してもらってるんだよ」
「イチノス、それは試作品だから直ぐには売れないことを言いたいのかい?」
婆さんは俺の話を否定的に捉えた可能性があるな。
今のこの場は一種の商談の場と気持ちを切り替えて、出来る限り言葉を選んで、そうした考えが湧かないように丁寧に進めるべきだな。
「いや婆さん、そうじゃないんだ。今の大きさとかで問題がないかとか、使い勝手を含めて確認してもらってるんだよ」
「「⋯⋯」」
「もしサノスが使っているのと同じ物で良ければ、今日の夕方⋯ いや、明日の夕方にでもサノスに持たせて届けることは出来るんだが⋯」
「「出来るんだが?」」
お?! よい感じで婆さんとオリビアさんが食いついてくれた気がする。
ここで本題に切り込もう。
「前にも話したけど、あれを使える人は絞られるんですよ。自分で意図して魔素を扱える人にしか使えないんですよ」
「マソを扱える⋯」
「⋯⋯」
婆さんは俺の言葉を繰り返し、オリビアさんは無言になった。これは実際に人の名を出した方が理解しやすいのか?
「サノスはともかく、ワイアットのような冒険者の人達、もしくは街兵士のように騎士学校で魔素の操作を学んでいる人達しか使えないんですよ。逆に言えば、日常で魔素を使わない人達には難しいんです」
「あぁ、その話ね」
「⋯⋯」
今度はオリビアさんが頷きと共に声を出し、婆さんは何処か思案を滲ませた顔になった。
それでも婆さんは直ぐに口を開いた。
「けど、今、イチノスが口にした人達や街兵士は、その『マソ』が使えるから、イチノスの店で売ってるのを使えるんだろ?」
「そうです、そのとおりです。そこで店で売る時には、魔素を扱えない方々の購入は断ってるんですよ」
なんだろう。なぜか微妙に自分の口調が丁寧になっているのがわかる。これは1つの商談なのだと思考を切り換えたからか?(笑
「それは、あれかい? イチノスが言いたいのは、『マソ』とやらを扱えない連中には使えないとイチノスがきちんと伝えてるって言うのかい?」
「そうです。そこで気になったのは、この店でお客さんに貸し出すとなると、そうした制限と言うか説明は難しいですよね?」
「「⋯⋯」」
「一番面倒臭いのは、エールが冷えないとか、文句を言い出す奴が出てくることです。こんなの使えないとか言い出す奴が出てくる可能性があると思いませんか? そうした文句を言われた時に⋯」
「イチノス、そこは気にしなくていいよ」
婆さんがバッサリと切り捨てるように返してきた。
「そう言う連中は、イチノスの店で売ってるのも使えないんだろ? それなら文句を言っても、こっちは相手にしないから」
「婆さん、それで良いのか?」
婆さんの返事に思わず返してしまった。
「いいんだよ。そうした文句を言ってくる奴らは店から追い出して出禁にするし、いざとなったら巡回の街兵士に来てもらうよ」
婆さんの言葉に、俺は頷きそうになってしまった。多分だが、そうした文句を言って来る奴らは、普段からそれなりにいる気がしてきた。
「それに、さっきイチノスは、街兵士なら使えると言ったろ?」
「「⋯⋯」」
婆さんからの急な展開に、思わずオリビアさんと揃って次の言葉を待ってしまった。
「いざとなったら、巡回の街兵士に目の前で使ってもらえば、因縁つけてるだけだって、その場でわかるだろ?」
なるほど。婆さんとしては俺が貸し出してると伝えた街兵士に協力を得て、文句を言う奴を黙らせたり揉め事を納める考えなんだな。
「オリビアはどうだい? 気になるかい?」
「いえ、私もそれで良いと思います。それに、ここで騒ぎになったら、街兵士を呼ばなくても、冒険者の人達が目の前で使えるかどうかを見せてみると思いますよ」
うん、さすがはワイアットの嫁さんだ。冒険者の気質を知ってるな。この言葉は実に現実的な言葉に感じてきたぞ。
俺は二人の意見を聞いて、腹を括ることにした。
婆さんがそこまで考え、オリビアさんも同意してるなら、これ以上は俺が何かの意見を口にする必要も無い気がしてきた。
「わかった。じゃあ明日の夕方にサノスに届けさせるよ。まずは使えそうな連中で試してくれないか?」
「そうだね、そうするよ。それにしてもイチノスは本当に色々考えてるんだね」
「一応な(笑」
「今だってイチノスは、アタシやオリビアが変な客に絡まれないかと心配してくれたんだろ?」
「ウンウン」
「⋯⋯」
婆さんの言葉とオリビアさんの頷きに、俺は思わず声を失ってしまった。
「イチノス、支払いはどうすれば良いんだい?」
婆さんが何かを察したのか、風向きを微調整してくれたぞ。
「支払いは厨房で使うのを納品した時でいいよ。それまではサノスが使ってるのと同じのは無料で貸し出すから、それでどうかな?」
「無料で貸し出す? イチノスはそれでいいのかい?」
今、婆さんの目が光らなかったか?(笑
まあ無料の言葉に食い付いたと思おう。
「別に構わないさ。今もサノスやロザンナ、それに街兵士に貸し出してるのが1つ増えるだけだから大差ないよ(笑」
「わかったよ。イチノスがそう言うなら、それで頼むよ。そうだイチノス」
「ん?」
「オリビア特製のキッシュだけど、持って帰るか?」
「えっ?」
「オリビア、直ぐに焼けるんだろ?」
「はい。イチノスさん、1つでいい? それとも2つ?」
「ひ、1つで充分です」
これはこの場の流れでは断わりづらい。
そして俺は、今夜の夕食が、昼食と同じになることを悟った。




