30-8「オリビアさんの工夫と婆さんの企み」
昨日の昼食、そして今日の昼食と、二日連続で同じ昼飯を食べる羽目になった。
だが、今日は昨日とは状況が違う。目の前に置かれたキッシュを作ったのが、オリビアさんなのだ。
俺は添えられたフォークを手にして、キッシュをひと口。
うん、まず、食感が全然違う。サクッとした昨日のとは違って、今日はしっとり系だ。味も、当然のように違う。これを比較するのは、失礼な感じがする。
「これ、あの店のより美味いんじゃないか?」
思ったままを言ってみたら、満面の笑みをオリビアさんが見せてきた。
「でしょ~ ちょっと工夫してみたのよ~」
照れと自慢が絶妙に混ざった表情を、オリビアさんが見せてくる。こんな表情のオリビアさんを、俺は初めて見た気がする。
「イチノス、紅茶なら出せるけど、飲むか?」
婆さんから、絶妙な提案がなされた。
確かに、このキッシュには紅茶が合いそうだ。
「ああ、これには、やっぱり紅茶が合うな」
「オリビア、イチノスに紅茶を出してあげて」
婆さんが、いつもより柔らかい声で、そう言った。
それを受けて、オリビアさんが、軽やかな足取りで厨房へ向かう。
う~ん、なんか引っかかる。
この違和感は、何だろう。
そうか。婆さんが、やたら優しいのだ。
これは、いつもの婆さんと違うな。
さっき、婆さんは俺の店に来るって言ってたよな?
だとすると、婆さんは魔導師である俺に、相談があるんじゃないのか?
「婆さん、俺に何か用なんだろ?」
「やっぱり、イチノスは勘がいいね。でも、今は食べることに集中しな」
はい、確定。
俺は昼食の代金を払おうと、ため息まじりに財布へ手を伸ばしたが、それを制するように、婆さんが言葉を続けた。
「イチノス、今日は私の奢りだよ。その代わりに、ちゃんと相談に乗っとくれ」
やっぱり、そういうことか。
まあ、婆さんには世話になってるし、それくらいの義理はあるな。
「わかった、遠慮なくご馳走になるよ」
◆
オリビアさんが持ってきてくれた紅茶と共に、昼食のキッシュを味わいながら、俺は周囲を見渡す。
店内の三つの長机には、数人の客が座っていて、どの客も、何処かで見掛けた顔ばかりだ。
俺の知る限り、この昼食の時間帯の大衆食堂は、もっと賑わいがあるはずだが⋯⋯
これは、やっぱり昨夜からの雨が原因なんだろうな。
それにしても、今日のこのキッシュは、昨日食べたものよりも、俺の好みに合っている気がする。
しっとりとした口当たりは、生クリームが多めに使われているからだろうか。
昨日、シーラと一緒にカフェで食べたキッシュは美味かったが、どこかパサついた印象があって、紅茶が進んだ記憶がある。
それに比べて、今日のオリビアさん特製キッシュは、しっとりとしていて、ずっと食べやすい。
それでも紅茶が進むのは、絶妙に味付けがしっかりしているからか?
いや、使われているオークベーコンの塩味が、いい具合に全体を引き締めていて、その塩気が紅茶を求めるのかもしれない。
そんなことを考えていると、一組の客が婆さんに挨拶をして、店を出ていった。
店内の客が残り二組になったところで、厨房からオリビアさんが出てきた。
そして婆さんと何かを話すと、オリビアさんは先ほど出ていった客の洗い物を片付けに向かい、婆さんが俺の向かい側に座ってきた。
俺は、キッシュの残りの一切れを口に入れ、紅茶で流し込んで婆さんに問い掛ける。
「婆さん、相談というのは?」
「サノスが持ってる、氷を作るやつがあるだろ?」
婆さんが言っているのは、俺が試作で作ってサノスとロザンナに貸し出した『製氷の魔法円』のことだな。
「あの氷を作るのがあれば良いかなと思ったんだよ。いろいろと考えて、まずは店で使うのと、連中に使わせるのがあれば良い気がしたんだよ」
店で使うのは理解できる。婆さんやオリビアさんが厨房で使うのだろう。
それならば、今のサノスが描いている『神への感謝』付きのものを渡せば良い気がしてきた。
もう一つの『連中に使わせる』が気になる。婆さんの言う連中とは、もしかして冒険者たちのことか?
「二つ欲しいのか? 店で使うのは理解できる。婆さんやオリビアさんが使うんだよな?」
「そうだね」
「もう一つの、連中に使わせるっていうのは?」
「これからの季節は、連中が冷えたエールを欲しがるんだよ。それで、サノスが使ってる奴で氷が作れるなら貸し出そうと思うんだよ」
そこまで婆さんが告げた時、オリビアさんが小走りで厨房から出てきて、婆さんの隣に座った。
「いよいよ、氷を作る奴を買うんですね」
「オリビアも、あれがあれば助かるだろ?」
「あれがあれば、これからの季節、エールを好きに冷せますから便利ですよね」
そんな二人の会話から、ようやく婆さんの言いたいことがわかってきた。
確かに、これからの暑い季節は、それなりに冷えたエールが欲しくなる。
そこで携帯用の『製氷の魔法円』を入手して、この大衆食堂で客に使わせて、自分たちで冷してもらう考えなのだ。
「サノスやオリビアから聞いたんだが、連中は普段からイチノスのを使ってるんだろ?」
「まあ、そうだな」
「それなら、私やオリビアが使えなくても、連中なら使えるんだろ?」
やはり、俺の考えたとおりだ。
婆さんは冒険者連中に貸し出して、使わせるつもりなのだ。
「それって、もしかしてサノスが持ってる奴と同じのを、店として貸し出すのか?」
「そうだね。銅貨1枚でも取って貸し出そうかと思ってるんだよ」
これは面白い考えだ。
冒険者の連中が使うなら、店として『魔石』を用意する必要もない。冒険者たちが身に付けている『魔石』で、自分たちで勝手に使えば済むのだ。
一回の貸し出しで銅貨1枚で元が取れるのか?
いや、その付近の算段は、既に婆さんがサノスやオリビアさんから聞いた話で考えているのだろう。これ以上は、俺が口出しする話じゃないが⋯
「うーん、婆さん。それって、店で使う奴でエールを冷やして出せば済むんじゃ無いのか?」
「面倒臭いんだよ」
「うんうん」
キッパリと言われた。しかも、オリビアさんまで頷いている。
確かにその手間を想像してみれば、なるほどと思えてしまう。
エールの注文をされるたびに二人が冷やしていたら、厨房はその分だけ負担になるだろう。
それなら、エールの樽全体を冷やす方法もあるとは思うのだが⋯
「婆さん。この店のエールは樽で仕入れてるんだろ?」
「そうだね」
「その樽ごと冷やすのではダメなのか?」
「エールの樽ごと冷やすのかい。う~ん、確かにその方法もあるね」
「けど、それだと同じじゃないですか?」
オリビアさんが絶妙な意見で割り込んできた。
「冒険者の人達は『まだ温い』とか、とにかく自分勝手なことを言いますよね」
「そうだね。暑い日が続くと決まって、言い出す奴らが増えてくるね」
「うんうん」
これは、婆さんやオリビアさんの言うことが正しい気がしてきたぞ。




