30-6「白に宿るもの」
「さて、イチノス殿。今日は、ありがとうございました」
班長の一声は、まるで頃合いを見計らっていたかのようだった。俺としても、程よい状況での終わりだと考えた。
「はい、こちらこそ。良い学びを得ることができました」
あらかじめ決まっていたのではと思うほどの言葉を、自分の口から告げた。
少しだけ気持ちを乗せて、軽い敬礼を添えてみる。
先に席を立っていた班長は、それまでの表情をどこかへ置いてきたように朗らかになり、軽めの敬礼で応えてくれた。
互いに敬礼を解いた、その瞬間のことだった。
「班長、これ、どうしましょうか?」
「ミヤア ミヤア」
そんな声と一緒に駆け込んできたのは、青年街兵士と、その腕に収まった一匹の白い子猫。
猫っていうのは、まあ、世の中にそれなりにいる生き物だけど、今回のはちょっと違った。やたらと白かった。
ずいぶんと白いな。
俺の頭に最初に浮かんだのは、それだけだった。
青年街兵士の腕の中にある小さな塊は、ぬいぐるみかと思うくらい静かで、やけに軽そうだった。
毛並みは雪みたいに白くて、まるでどこかの画家が理想だけで塗ったかのようだった。
いや、よく見れば、所々に汚れや埃もついてはいる。
それでもなお、白さが強く印象に残るのは、きっとこの子猫自身が持つ清らかさのせいだろうか。
正直、俺は猫に詳しくない。けど、この白さだけはやけに印象に残った。
「それ、子猫だよな?」
班長がそんなふうに言うと、青年の兵士はこくりとうなずいた。
腕を少しだけ動かして、子猫が落ちないようにそっと位置を調整する。
それに合わせて、白い子猫が、ふにゃりと身体をずらした。
そのまま、兵士の胸元に小さな顔をうずめる。
⋯⋯反則だろ、それは。
なんとなく目を細めてしまった俺は、自分がちょっと甘くなってることに気づいていた。
真っ白な子猫なんて、これまで見たことがない。
毛の間からちらっと見える、ほんのりピンクの耳と肉球が、やけにやわらかそうだった。
すごく小さいくせに、ちゃんと生きてるって感じがして。静かで、やたらと綺麗で、それがどうにも気になってしまう。
「随分と愛らしい子猫ですね。何処にいたんですか?」
俺は先程の鳴き声を思い出し、思わず問い掛けてしまった。
「表に立つ二人が、イチノス殿の店の方から鳴き声が聞こえたらしくて調べたそうです。そうしたらイチノス殿の店の隣、あの空き家の床下で見つけたそうです」
そういえば、交番所へ入る直前、どこかで「ミヤア」と聞こえた気がした。あれはこの子猫だったのか。
「そうか、イチノス殿の⋯ 隣の空き家の床下か」
班長さん、その言い方と俺を見る目に含みがありますよ。
「班長殿、私や彼女達は寮住まいですので、この交番所で飼えないかと意見が出ております」
そう告げた青年街兵士の後方に、二人の女性街兵士の顔が見えた。
なるほど。この青年街兵士や、後ろの二人は今の住まいじゃ飼えないから、この交番所で飼えないか、班長の許可をもらいに来たんだな。
「いや、さすがにそれは職務に影響が出るだろう。どうですか? イチノス殿?」
班長さん、その問い掛け、明らかに俺に押し付けたい気持ちが混ざってますよ。
って、なんで二人の女性街兵士さん、コクコクと頷いてるのさ。
「子猫は一匹だけだったのか?」
「はい、二人が調べた結果、この1匹だけだそうです」
「だとすると、母猫に捨てられた可能性があるな」
「班長、それなら飼っても大丈夫ですよね?」
「班長、お願いします」
「う~ん⋯ イチノス殿、ご意見がありますか?」
再び班長が問い掛けてきた。
先程、俺が応えなかったから諦めたのかと思ったけど、やっぱりこの班長は俺に押し付けたいんだな。
だが、俺としては生き物を飼うのにはどうしても腰が引けてしまう。
ここはハッキリと断るべきだろう。
「申し訳ありませんが、私の所も無理ですね。これだけ可愛らしい子猫がいたら、従業員の作業が止まってしまうでしょう」
「「「⋯⋯⋯」」」
青年街兵士と女性街兵士が、俺をじっと見ていた。
何かを期待しているような、でもちょっと引いているような、そんな目。
いや、違うな。あれは引いてるんじゃなくて、無言で詰め寄ってきているんだ。
その視線の圧に、じわじわと負けそうになってきた。いや、視線ってこんなに重かったっけ。
普段から店の警護をしてくれる二人からのお願いだ。どうにも断りづらいぞ。
どうする?
回避不能ってやつか。
うん、これは逃げられないなら、言うしかない。
「申し訳ありませんが、私では生き物を飼い、世話をするのは無理です。皆さんがご存じの通り、店を不在にすることが多いので」
よしよし。
女性街兵士の顔に、確かにと言わんばかりの表情が浮かんでいる。
その瞳には、落胆の気持ちが宿ったようにも見えた気がするが、こればかりは譲れないことだ。
「では、申し訳ありませんが、私はここで失礼します」
そう告げて、軽く敬礼をして俺は交番所を後にした。
ちょっとだけ罪悪感が首をもたげる。
でも仕方ない。
でも仕方ないのだ。責任を持って飼う覚悟がない以上、軽々しく引き受けるわけにはいかない。振り返ることはしなかったが、背に残る視線が、なんだかやけに刺さる気がした。
俺はそういう人間なんだから。
子猫については、街兵士たちがこの交番所で可愛がってくれることを願うだけだ。
◆
カランコロン
俺は少し急ぎ足で道を渡って、店の扉を押し開けた。
「は~い、いらっしゃいませ~」
うん、この声はロザンナだな。
「ロザンナ、戻ったぞ」
「あぁ、イチノスさんだったんですね。お帰りなさい。まだ降ってますか?」
そういえば、店に戻る途中で雨は感じなかったな。
「いや、交番所を出たときには、すでに止んでたよ」
「よかったぁ~ 止んだんですね」
それだけ答えると、ロザンナは踵を返して作業場へと戻っていった。
(センパ~イ、雨は止んでるそうです)
俺はそんなロザンナの声を追いかけて作業場に足を踏み入れた。
作業机の上は綺麗に片付いていて、どこか空気まで整っているように感じる。
壁の時計に目をやれば、まもなく十二時になろうとしていた。
どうりで、腹が減るわけだ。
さて、どうするかな。
もう一度外に出て昼飯を探しに行くか。
「師匠、お帰りなさい。早かったですね」
昼食をどうするか考えていると、サノスが両手持ちのトレイを手にして台所から入って来た。
「さっきお姉さん達が店の外を見回ってたみたいですが、何かあったんですか?」
「あぁ、どうやら隣の床下で子猫を見つけたらしいんだ」
「「子猫!!」」
二人の声が重なった後の動きが早かった。




