30-2「静寂の一日」
そろそろ朝の御茶を終わらせて2階に行こうと思い、マグカップに残った御茶を飲み干した。するとサノスが手を上げてきた。
「師匠、お願いがあります」
「ん?」
「明日、お昼からお休みをください」
「イチノスさん、お願いします」
サノスの言葉に合わせて、ロザンナまで頭を下げて休みを願ってきた。
二人が自分から休みが欲しいと言い出すなんて、珍しいな。
明日は特に予定もなかったはずだ。確かシーラが来るのは昼過ぎの3時か4時と言っていた記憶がある。
サノスとロザンナが休みなら、2階の書斎にシーラを通さずこの作業場で済ませられる。
うん、悪くない。
「わかった。別に出掛ける予定もないから、二人とも明日は昼から休みで良いぞ」
「ありがとうございます。急なお願いで本当にすいません」
「イチノスさん、ありがとうございます」
サノスとロザンナが嬉しそうな顔を見合わせると、二人揃って頭を下げてきた。
都合の良いことではあるが、そこまで頭を下げられると、むしろこちらが恐縮しそうだ(笑
「そんなに気にするな。じゃあ、俺は2階にいるから。後は頼むぞ」
「「はい」」
二人の返事を聞きながら立ち上がって、何気無く作業場を見渡す。
朝からうっすら感じていた違和感が、そこでようやく言葉になった。
いつもの風景と、ほんの少しだけ何かが違う。
サノスとロザンナに割り当てた書棚は、たしか全部は埋まっていなかったはずだ。
けど今は、あっちの棚もこっちの棚も、なんとなく隙間がなくなっているように思える。
ああ、そうか。
アイザックが届けた教本の山を、二人が全部棚に詰め込んだんだ。
今まであったはずの空白が、きれいに埋まっている。
きっちり整いすぎて落ち着かないような、でも逆に片付いていて居心地が良くなったような。
どっちとも言えないが、とにかく、作業場の空気が少しだけ変わったことに今さら気がついた。
◆
朝の御茶の片付けを二人に任せて、俺は2階の書斎に向かった。
書斎の扉に備えた魔法鍵を解除して足を踏み入れる。
窓に近づき、カーテンをそっと引き寄せると、外から静かな光が差し込んできた。
快晴のような眩しい明かりではなく、どこか落ち着いた、静かな明るさだ。
窓ガラスには、わずかに雨跡らしき滴が残っている。
朝の御茶の時に感じたように、今日は外に出掛けることなく、静かに家の中で過ごしたいという思いが、改めて強く感じられた。
俺は書斎の椅子に身を預け、昨日の風呂屋を思い出して行く。見知った冒険者たちの顔を久しぶりに見た気がしたし、それなりの近況を聞き出すことも出来た。
風呂上がりの大衆食堂でも、懐かしい顔触れが並び、そこでも交わされる会話は、王都から来る開拓団の噂話や、隣領の麦狩りの様子やら、南方の麦狩りの様子、さらには南町の歓楽街に美人の女がいるとか、多岐多様に渡っていた。
それらの話で盛り上がる中、少し気になったのは、何人かの見覚えの無い顔が混じっていたことだ。
考えてみれば、この一ヶ月で、ドワーフ種族のヘルヤさんや獣人族のレオナさんにカミラさんが、このリアルデイルの街に来ている。
それに、魔法学校時代の同級生だったシーラまでもが、このリアルデイルの街へ来て、俺と同じ西方再開発事業の魔法技術支援相談役に就いた。
今までリアルデイルの街で出会うことがなかったような人々と、急に接点が増えた一ヶ月だった気がする。
そこまで想いを巡らせたところで立ち上がり、書棚から王国語辞書を引き出し、『シンジケート』という語を探し出す。
ページをめくると、そこにあったのは、意外にもあっさりとした説明だった。
【シンジケート(syndicate)】
共通の目的のもとに集まった複数の団体や個人による共同体。資本や利害を共有し、協調して動く連合体。
商業の世界では、たとえば大規模な融資や取引で組まれる金融シンジケートなどがそれにあたる。
また、犯罪組織を指し示す際にも使われる。
① 金融・経済
複数の商会やギルドが、共同で一つの事業や取引を行うために結成する一時的な団体。
② 犯罪
組織的な犯罪を行う集団。犯罪シンジケート。
──
実にありふれた定義だ。
しかし、俺が『魔石シンジケート』という言葉を耳にしたとき、ピンときた『裏社会』の存在も記されている。
あの時、メリッサさんやレオナさんが話していたときの言葉遣いや、その表情を思い出すと、『魔石シンジケート』が裏社会との繋がりを示唆しているのは明確だ。
俺の直感が、確信へと変わって行く。
風呂屋への道中で思いを巡らせたとおりに、やはりあの捉えられた元魔道具屋の主が、裏社会との繋がりを持っていたのだろう。
それが、あの男が街兵士に捕まる原因となったことは容易に想像がつく。
それにしても、あの元魔道具屋の主への取り調べは、いまだに続いているのだろうか?
その後どうなったのか、気にはなるが、今は正直に言ってあの男には関わりたくない。
裏社会の組織や、それに関わる者たちとは、これ以上無用な接触を避けるべきだと心の中で強く思う。
俺の出自や母さんの立場、近い将来に義父となるウィリアム叔父さんの立場を思えば、今の俺が関わるのは正解では無いだろう。
それでも、何かに引き寄せられるような感覚はある。
できるだけ関わりたくはないが、シーラが前向きに挑む氷室と冷蔵倉庫に、そんな裏社会の者達が関わりを持たないようにするには、どうすればよいのだろうか?
そしてこのリアルデイルの街で暮らす人々が、そんな裏社会の連中と接点を持たないようにするには、どうすれば良いのだろうか?
そうしたことを思いながら再び椅子に身を預けて目を瞑ると、なぜか俺は意識を手放していった。
⋯⋯⋯
⋯⋯
⋯
(カランコロン)
微睡みかけたその時、店の扉に着けた鐘が鳴った気がした。
(は~い いらっしゃいませ~)
サノスの声がここまで聞こえる。
バタバタ
どうやら、今日、最初の客が来たようだ。




