29-11「庭園カフェと氷室建設の思惑」
「どうぞごゆっくりお召し上がりくださいませ」
妙にかしこまった声が耳に届く。先程と同じ女性給仕が、注文したキッシュランチを運んできた。
馴れ馴れしいわけでも、必要以上に愛想がいいわけでもない。ただ、すべての動作に無駄がない。
一礼すると、まるで舞台から消えるように、足音も立てずに去っていく。
思わず女性給仕を目で追った俺は、その背中をしばらく見送っていた。姿勢が良い。
何かの訓練でも受けているのだろうかと思うほどに、背筋がぴんと伸びていて、ひとつひとつの動きに妙な品がある。
「イチノス君、冷めないうちに食べましょ」
隣に座ったシーラが微笑む。それは、俺の様子を面白がっているようにも思えた。
「ああ、そうだな」
適当に相槌を打ちながら、視線をキッシュに戻す。さっきまでの妙な感覚を振り払うように、俺はフォークを手にした。
キッシュにフォークを入れると、ふわりと立ち上る香ばしい匂いが鼻をくすぐった。サクッという軽い音とともに崩れた生地の中から、オークベーコンとホウレン草が顔を覗かせる。
「美味しそうだな」
俺は一口大に切り分けたキッシュを口に運んだ。
卵の柔らかな風味に、塩気の効いたオークベーコンの旨味が重なり、ホウレン草のほろ苦さが後を引く。素材の味を引き立てるような、素朴でいて奥深い味わいだ。
「うん、これは当たりだな」
思わず零れた感想に、シーラが楽しげに微笑む。
「本当? それなら期待できそうね」
シーラもフォークを手に取り、慎重にキッシュを口に運んだ。一瞬、目を見開いたシーラは、次の瞬間には満足げに目を細める。
「うん、すごく美味しいわ」
その様子を見て、俺は自然と口元が緩んだ。
俺たちの間に流れる穏やかな時間を、温かい紅茶の香りが静かに包み込む。この庭園カフェ、どうやら味も雰囲気も申し分ないらしい。
俺とシーラは、しばらく無言でキッシュを味わっていた。言葉はなくとも、互いに気まずさを感じることはない。むしろ、この静寂こそが心地よかった。
紅茶を一口含むと、柔らかな香りが口の中に広がる。熱すぎず、ぬるすぎず、ちょうど良い温度で淹れられているのがわかる。
チュンチュン
カップを置くと、再び小鳥たちの鳴き声が耳に届いた。庭園を包む静けさが、俺たちを現実から切り離しているようにも思える。
「こういう時間も、たまにはいいな」
俺はぽつりと呟いた。
「ええ、そうね」
シーラが頷きながら、優しく微笑む。彼女の横顔は柔らかで、どこか穏やかな雰囲気を纏っていた。
俺はその表情を目に焼き付けるように、そっと視線を向ける。この穏やかな時間が、もう少しだけ続けばいい。そんな風に思えた。
そうして腹が満たされ始め、この庭園カフェへ来た空腹という理由が薄れてきた今、避けられない話題を持ち出すべきだろう。
「なあ、シーラ」
「なぁに?」
声をかけたはいいが、話の切り出し方を間違えたかもしれない。俺は少しだけ後悔した。
「サカキシルの氷室の件だが、シーラはどう考えてるんだ?」
思い切って、核心に触れてみる。これでダメなら仕方ない。
「どうって?」
シーラは怪訝そうに首をかしげる。そりゃそうだ。言葉がざっくりしすぎてる。
「俺が考えるに、サカキシルの氷室の件は、相談役である俺とシーラの仕事にするかどうか、そのあたりで冒険者ギルドと商工会ギルドが綱引きしている最中なんだと思うんだ」
「なるほどね。あり得る話だね」
あっさり肯定された。思ったよりすんなり理解されたのが、少し意外だった。
「相談役の仕事になれば、取り組まざるを得ない感じだろ?」
「うん、確かにそうなんだよね⋯」
シーラの口調が少し曖昧になる。どうも引っかかる。
「相談役の範囲外となれば⋯」
「また指名依頼で受けるかどうかになるのかな?」
俺の言葉に、シーラが自然に続ける。意図を汲み取るのが早い。
「シーラは、あの議事録を作る時にレオナさんやメリッサさんから、そういう話はされなかったのか?」
「その話は出なかったね。それなのに急にレオナさんからあんな文面が届いて、正直、驚いたの」
なるほどな。シーラの言葉を聞きながら、俺は改めて状況を整理する必要性を強く感じた。
「それにね、あの手紙に一緒に書かれていたもう一つの話も気になるの」
もう一つの話⋯ シーラが口にするのは、
〉保守契約に類する案件の相談が、商工会ギルド宛に複数届き始めております
の部分についてだろう。
「それは俺も、サルタンでのシーラの話を思い出して考えたよ」
「そう、やっぱり、イチノス君も考えるよね?」
「冷蔵、いわゆる食品を冷やして日保ちさせることで生業としている人達にとっては、氷室がダメになったり冷蔵の魔道具が動かなくなることは死活問題になるよな?」
「うん。だから、まずはイチノス君と一緒にレオナさんから話を聞くべきだと思ったの。なぜ、氷室建設の話と、商会や個人商店からの相談事を、わざわざ一緒にまとめて送ってきたのか⋯ 何か意図があるのかもしれないね」
シーラの指摘は鋭い。
言われてみれば確かにそうだ。俺はそこまで踏み込んで、レオナさんの手紙の裏を読むことはしていなかった。
「イチノス君は他にも感じたことや考えたことってある?」
今度は不意にシーラが問い掛けてきた。
「正直に言うが、シーラほど深くは考えていなかったな。氷室建設の件は相談役の仕事になる可能性が高いと思っていたぐらいだからな(笑」
「フフフ、そうだったね。じゃあここで決めれるのは⋯ まずはサカキシルでの氷室建設の支援を問われたときの返事かなぁ?」
「そうだな」
「氷室建設の件は相談役の案件だと問われたらどうする?」
「商工会ギルド、メリッサさんやレオナさんから問われたら、相談役の案件の基準を問い返すだろうな」
「うん、そうだよね。そうなるよね。それも確認しておく必要があるよね。その説明に疑念をもったら、さらに説明を求める感じで良い?」
「そうだな。それが一番良いだろうな」
そこまで言葉を交わして、ふと、俺はシーラの気持ちを問いたくなった。
「もしかして、シーラは氷室建設の件に興味があるのか?」
「正直に言えばあるかな。前にも話したと思うんだけど、私はね、自分の関わった魔法や魔法円、それに魔道具を末長く便利に使ってもらえるのが喜びなの」
その言葉に、俺はシーラの魔導師としての考えの本質ともいえるものを感じた。
「確かに、シーラはそうした事を言っていたな」
「だから氷室の建設に関わるなら、そうした意気込みで関わると思うの」
そうした言葉を聞きながら、俺はシーラの口にしたあの言葉を思い出した。
〉『魔導師の役割』って、何だと思う?
シーラはそうしたことを、俺に問い掛けているのだろうかと⋯




