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勇者の魔石を求めて  作者: 圭太朗
王国歴622年6月10日(金)
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29-8「魔導師は空腹に勝てない」


「なるほどね」


 シーラの口から漏れたその一言は、まるで靄のかかった街並みに光を差すようだった。


 俺がレオナさんからの『2/2』の手紙について、気にかかっていた点を話したことで、シーラからそんな言葉が返ってきたのだ。


 それにしても、先程からのこの空腹感は、意識の集中を邪魔するな。


「イチノス君はその点が気になったんだ。確かに、こうして聞いてみれば、私もその点が気になっていたんだと思うよ」


 続くシーラの柔らかい声の底に、妙な響きが混じっている。


 冒険者ギルドで相談役就任の契約にサインしたとき、俺は確かに言い切ったはずだった。


〉相談役の担当は、冒険者ギルドとされている

〉相談役として業務に挑むために訪れるのは、商工会ギルドではなく冒険者ギルドだ


 あの場にはカミラさんとキャンディスさんがいた。

 しかし、この手紙を記したレオナさんは同席していなかった。


 ならばこそ、この『2/2』の手紙が届いたのも、道理と言えば道理かもしれない。

 けれど、俺はあのとき、当然のように考えていたのだ。

 カミラさんからレオナさんへ、同じ文官として俺の言葉が伝わるのは必然だと。


 いや、考えていたというより、そうであってほしいと、どこかで期待していたのかもしれない。


 しかし、手元にあるこのレオナさんからの手紙は、そんな俺の甘さを容赦なく突きつけてくる。

 果たして、俺の言葉は、あの場から確かに届いていたのか。

 その疑問は、今さらどう足掻いても晴れることはない。


 それにしても、どうにも空腹が気になる。

 実のところ、店を出る前から昼食のことは頭をかすめていた。それが今や、俺の胃が己の存在を誇示するかのように、盛んに訴えてくる始末だ。


 こうなれば、昼食をどうするか、そろそろ真剣に考えねばならない。

 空腹というものは、時に思索を邪魔する。にもかかわらず、なぜかこの空腹だけは、俺の思考にしつこくつきまとって離れようとしなかった。


「イチノス君はどうしたい?」


 不意に投げ掛けられたシーラの言葉に、俺は即座に返事ができなかった。


 どうしたいかと問われても、俺には今、空腹を満たす以外の明確な答えはない。

 だが、口を開くことに奇妙なためらいがあった。その一言が、なぜかこの場の均衡を崩すような気がしたのだ。


 いや、正確には、返事をする間もなく、空腹が急に勢いを増し、俺の思考を食い尽くしていたからだ。

 昼食の算段に気を取られているうちに、シーラの問いはすっかり意識の外に押しやられていた。


「シーラ、すまない。何の話をしていたんだ?」


 問い返すと、シーラは呆れたように眉をひそめた。


「イチノス君、大丈夫?」


 その問い掛けには、どこかフェリスのような響きが混じっている。


「この氷室建設の件を、相談役として受けるかどうかを聞いてるんだけど?」


 俺は肩をすくめ、苦笑を漏らした。

 肝心な話の最中に、腹の虫ばかり気にしていたことが、どうにも間抜けに思えたからだ。


「すまんすまん。どうも急に腹が減って、考えが追いつかないんだ」


「えっ? もしかして⋯」


「いやいや、それはないから(笑」


「ならいいけど⋯」


 どうやら、シーラは俺が施した回復魔法での魔力切れを心配したのだろう。


「なあ、シーラ。その点については食事しながら話さないか?」


「そうね、いいわよ。少し早いけど、私もお腹が空いてきてるからそれもありね」


 こうして、俺たちは昼食を求めて商談室から出ることにした。

 空腹という現実は、どんな話よりも強く、俺とシーラを次の行動へと駆り立てていた。



 それから俺とシーラは商談室を後にし、受付カウンターにいるナタリアさんのもとへ向かった。


「じゃあ、議事録に修正点や指摘は無いということで、よろしいんですね?」


 先程と同じように、シーラにナタリアさんとの対応を任せる。


 ナタリアさんはいつもより、何処か顔を伏せている感じで、俺と目を合わせようとしていない。

 それに少しばかり、顔が紅い感じだ。

 そして、どこか機械じみた口調でシーラと応対している。


「そうね。私もイチノス魔導師も確認したから大丈夫よ」


 シーラが言葉を投げ、俺もそれに黙って頷くが、ナタリアさんの視線が俺に向かわない。


「わかりました。レオナさんにそのようにお伝えします」


 その言葉の後も、ナタリアさんの表情は一向に変わらなかった。

 ますます機械的な対応でナタリアさんが答えると、シーラが少し身を乗り出し、何気ない口調で訊ねた。


「それで、そのレオナさんは今日はいらっしゃらないの?」


「レオナさんはキャンディスさんと一緒に冒険者ギルドに行ってます。昼過ぎには戻る予定です。御伝言があれば承りますが」


 昼過ぎ。俺は心中でその時刻を反芻しながら壁の時計に目をやれば、11時を過ぎている。

 それならば、先ほどシーラと話したとおりに昼食を摂りながら、そこでの会話次第で商工会ギルドへ戻って来るのもありだな。


「それなら、一旦、昼食を済ませて戻って来ようと思うんですけど⋯ イチノス君、それで良いよね?」


 シーラが俺に顔を向ける。その視線の柔らかさと、俺と同じ考えのシーラに一瞬、口を開くのが惜しくなるほどだった。


「ああ、そうしよう。昼食を済ませて、また戻って来よう」


 そう言いながら、俺はナタリアさんに視線を移した。が、ナタリアさんの目線はあからさまに俺から逸らされていた。


 なるほど。どうやらさっきの勘違いが、未だに尾を引いているらしい。俺は内心で小さく笑ってしまった。

 ここで俺は変にでしゃばらずに、シーラに任せた方が良さそうだな。


 それにしても、どこで昼食を済ませようか。


 正直に言うが、商工会ギルド近辺で昼食を摂れる店が思い浮かばない。


「そうだ、ナタリアさん。どこかお勧めの店ってあります?」


 シーラが、再び何気なく問いかける。俺の心にある余計な感慨を見透かしたような、気楽な声音だった。


「それなら新しく出来たお店はどうですか?」


「新しく出来たお店?」


「ええ、少し離れていますが、貴族街の手前に『カフェ』が出来たそうなんです」


 ナタリアさんの言葉に、俺はふと領主別邸へ出向いた時の情景を思い起こした。領主別邸に向かう途中、視界に映った洒落た店構えの『カフェ』のことだろう。


 あそこで何か軽めの昼食を摂るのは悪くはない案だ。

 俺はそう考えながら、傍らのシーラを一瞥した。彼女はどこか楽しげに微笑んでいた。


「貴族街だと少し歩くが大丈夫か?」


「うん、大丈夫よ。いざとなったら、イチノス君にまた回復してもらうから」


 そう言いながら、シーラはナタリアさんに目を向けて微笑んだ。

 当のナタリアさんは一瞬、困惑した顔を見せて呟く。


「回復って⋯」


「ふふふ、回復魔法よ。イチノス君の回復魔法は気持ちいいの(ニッコリ」


 その言葉に、ナタリアさんの全ての動きが止まった。

 静かな沈黙の中、ナタリアさんの顔が一気に赤く染まり、目を伏せた。


 俺は内心で苦笑しながら、シーラをちらりと見た。彼女は相変わらず、無邪気に微笑んでいるが、その表情にはどこか楽しさを含んでいるようだった。


■冒険者ギルドを窓口にする話しは

26-15「契約の影」


■『カフェ』の話しは

27-4「街の変遷と静かなひととき」


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