29-5「揺らぐ魔道具と消えない違和感」
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魔法技術支援相談役 イチノス殿
商工会ギルド担当のレオナです。
相談役もご存じのとおり、現在、商工会ギルドではウィリアム様とジェイク様からの使命を果たすべく、説明会の準備を進めております。
つきましては、説明会開催に向けた事前打合せを行いたく、相談役のご協力をお願いしたいと考えております。
また、過日に達成していただきました指名依頼に続く保守契約に類する案件の相談が、商工会ギルド宛に複数届き始めております。
これらについても相談役のご意見を承りたく、合わせて発信いたしました会合議事録の確認を含め、商工会ギルドへお越しいただけるご都合をお伺いできればと思います。
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この二通目の伝令を一読した瞬間、俺の胸には何とも言えぬ不快の影が差した。
〉ウィリアム様とジェイク様からの
その一文に目を走らせた刹那、俺の脳裏にはある確信がよぎる。これは、サカキシルで進められている氷室建設のことに違いない。
メリッサさんが商工会ギルドでの説明会について口にしていた。それを思い出すまでもなく、俺の直感はこの案件の正体を見抜いていた。
そして、ここまでは問題ない。
次の一文が俺の胸に鈍い鉛のような重みをもたらす。
〉類する案件の相談が、商工会ギルド宛に複数届き始めて
この文句を読み返した途端、俺の思考は、不意に深く沈み込んだのだ。
あの元魔道具屋の主が捕らえられた。そして製氷業者の魔道具が動かなくなった。
そして、この街で暮らす人達から、似たような話が商工会ギルドに持ち込まれているのではなかろうか?
あの捕らえられた元魔道具屋の主の噂は、俺がこの街で店を開くと決めた時から耳にしていた。
老夫婦が営んでいた店から代替わりし、俺も魔石への魔素充填を巡って意図せぬ絡みを持ったことがある。
代替わりしたからといって、魔道具屋として成すべき魔石壺の世話が消えるわけではない。
だが、俺と面識の無い老夫婦から店主が代わり、さらにその代わった店主が捕まったことで、魔石壺を頼りにしていた連中は寄る辺を失ったのだ。
ある者は嘆き、ある者は憤り、またある者は呆然と立ち尽くしている。
この街のどこかで燻る声に、俺は耳を澄ますほかないのだ。
何故か俺はふと、静かな水面を思い浮かべた。
はじめは一滴、しかし、それが落ちた瞬間に広がる波紋は、幾重にも膨らみ、やがて水の底に沈む泥までも揺り動かす。
問題の波紋は、既に俺の足元にまで広がっているのだ。
俺の胸中に広がるこのざわめきは、何なのか。
あの件が、この街の人々の暮らしに、これほどまで深く影を落としているとは思いもしなかった。
ふと、シーラの言葉が脳裏をかすめる。
シーラはかつて、住んでいた街で精肉業者の氷室を修理した話をしていた。その記憶が今、妙に生々しく蘇る。
精肉業者が使う冷却の魔道具や製氷の魔道具。
それがもし、今この瞬間、静かに息絶えているとしたら?
俺は、想像の先にある光景を思い浮かべた。
冷気を失い腐臭にまみれた肉塊。
そして怒号と嘆き。
そうした状況が精肉業者にとって、どれほど致命的なことか。
いや、精肉業者だけではない。
その肉を仕入れる料理人は?
それを食すはずだった客は?
波は、静かに、だが確実に広がってゆく。
俺は、深い沼の底に足を取られるような感覚を覚えながら、ただ黙然と、己の胸の内に広がる不吉な予感を見つめていた。
少し冷静に考えよう。
今ならまだ魔石壺に魔石を投入すれば、それで済む話ではないのだろうか?
俺はそう思うのだが⋯
なぜ、こうも考え込まねばならぬのか。
何が俺の思考を絡め取り、晴れぬ空のように重く垂れ込めているのか。
あの捕らえられた元魔道具屋の主の後始末を押し付けられるのが、気に入らないのか?
それとも、魔道具が止まってもなお、自ら魔石の交換すら思い至らぬ連中に苛立ちを覚えているのか?
どちらにせよ、俺がこうして苛立ったところで、状況は何も変わりはしない。
窓の外へ目をやれば、灰色の空が見えるだけだ。
思えばこの2通目の手紙を一読した時に何か胸の奥に小さな棘が刺さったような感覚があった。
それが単なる思い過ごしなのか、それとも確たる異変の兆しなのか、俺には即座に判別がつかなかった。
サカキシルでの氷室建設——これは西方再開発事業に絡む、魔法技術支援相談役としての仕事だ。
俺はその案件について、解決策を示す立場にある。
それは分かっている。
だが、どうにも腑に落ちぬ。
この話が、商工会ギルドから持ち込まれたというのが——いや、持ち込まれたという、その一点が、俺の中でしこりとなっていた。
なぜ、商工会ギルドが?
俺とシーラが就任した魔法技術支援相談役は、冒険者ギルドが窓口を担っているはずだ。
それを商工会ギルド担当のレオナさん、そして冒険者ギルド担当のカミラさんが知らぬはずもない。
それなのに、なぜ?
この違和感の正体は何か。
考えようとすればするほど、その正体は霧の中に消えていく。
焦れば焦るほど、掴みかけた輪郭が崩れ去る。
まるで水面に映る月影のように。
もしかすると、俺の心の中にある冒険者ギルドと商工会ギルドでの線引きが関係しているのか。
あるいは、こんな些細なことで逡巡する自分への苛立ちか。
それでも、胸の奥で蠢くこの疑念だけは、どれほど首を振ろうと消えてはくれなかった。
重く、ねっとりと絡みつく疑念の渦。
俺は手紙を指先で弄びながら、思索の糸を手繰り寄せる。
この状況は、俺が一人で抱え込むべき事柄ではない気がする。
むしろ、共に相談役に就いたシーラと話し合うべきではないのだろうか?
そう考え始めた途端、ひどく些細な違和感が頭の片隅に巣くいはじめた。
この手紙は、シーラの元にも届いているのか?
俺は再び手紙に視線を落とし、丁寧に文面に目を走らせながら、あることに気がついた。
まず、『1/2』と記された会合議事録の確認を求める手紙は、恐らく会合に参加した全員に同一の内容で送られている気がする。
そして、氷室建設と製氷業者指名依頼の類似案件に触れている『2/2』の手紙は、俺とシーラのみに宛てられたものな気がする。
なるほど、文官であるレオナさんらしい手際だ。一度の労で複数人に同じ文面を送り、余計な手間を省く。
その慎重でありながら無駄を嫌う姿勢には、文官としての習性が如実に表れている気がする。
俺は小さく鼻で笑った。ククク、実に手堅い。
しかし、そうであるならば、この手紙の真意はどこにあるんだ?
いやいや、そんな詮索をしていても埒は明かない。今すべきは、シーラと共に商工会ギルドへ出向く日程を決めることだ。
俺はそっと手紙を畳みながら、胸の内に芽生えた疑念をかき消すように、深く息を吐いた。
今日は6月10日(金)だから⋯
6月11日(土)
6月12日(日)
6月13日(月)
6月14日(火)ヘルヤさんが来店
6月15日(水)店が休み
シーラは日曜の紅茶の会合に誘われていたよな?
いや、それよりも母さんからの懲罰の知らせが、突然届く可能性もある。
そこまで考えて、なぜか強い空腹を感じてきた。時計に目をやれば、既に10時を回っている。
よし、決めた。
今日これから商工会ギルドへ行き、議事録を確認つつシーラに伝令を出そう。
この商工会ギルド担当のレオナさんからの伝令にどう対応するか、シーラと意見を交わす日程を決めに行こう。
そして、どこかで昼食を摂って気力が残っていたら、ダンジョウさんの和菓子屋へ寄って羊羹を手に入れて帰ってこよう。
俺がこれから出掛けるとなると、ロザンナを店に一人で残すことになるが、今日は店を休みにしているから店番を頼むわけではない。多分、大丈夫だろう。
いや、もしかしてアイザックが母さんからの懲罰に関する伝令を持ってくる可能性があるが⋯
いやいや、また思考が戻っている。
そんなことは考え出したら切りがないことだ。
ロザンナには申し訳ないが、今日これから商工会ギルドへ行き、シーラに伝令を出そう。