28-8「抹茶と届いた木箱」
シャカシャカ
俺は抹茶を点てながら、この後のことを考えていく。
シャカシャカ
今日は、どこまで手紙を書き進められるだろうか。
シャカシャカ
書き上げた分だけでも、日が沈む頃に冒険者ギルドで発送するのが正解だろうか。
シャカシャカ
やはり、書き上げた手紙をすべて見直し、漏れがないかを確認してから発送すべきだろうか。
そうなると、明日も手紙にかかりきりになりそうな気がする。
まあ、明日は格別な予定があるわけではないから、ここは腰を据えて手紙を書き上げるべきだろう。
俺は抹茶椀の中の泡を中央に集めるように茶筅を動かし、そっと引き抜いて、自分で点てた抹茶を見直す。
泡が抹茶碗の表面全体に広がり、茶筅を引き抜いた中央がうっすらと盛り上がっている。
うん、今日はかなり良い感じで点てることが出来たぞ。
フォークでティーソーサーに乗せられた羊羹の端を切り、口へ運べば、絶妙な甘さが舌の上に広がる。
俺はその甘味を楽しみながら抹茶碗を両手でそっと持ち上げる。
抹茶の独特の香りが鼻をくすぐり、少しだけ心が落ち着く。
少しだけ息をついて一口含むと、口の中の羊羹の甘さと抹茶の苦さの余韻がやけに心地よく感じられた。
こうして自分で抹茶を点てて味わう一杯が、こんなにも気持ちを落ち着けてくれるとは思わなかった。
「イチノスさんは、本当に今日はお出掛けの予定は無いんですね」
何気なく、ロザンナが聞いてきた。
「そうだな。今日と明日は、店にいることになりそうだな」
「師匠は、2階で何をしてるんですか?」
今度は、サノスが踏み込んで聞いてきた。
「ん? 気になるのか?」
「師匠が2階にいるはずなのに、足音もしないから、寝てるのかな~って、ロザンナと話してたんです(笑」
「ククク、そんなに静かだったか?(笑」
「えぇ、さっきイチノスさんが2階から降りて来て、一瞬、驚いちゃいました(笑」
「それは、二人が自分の作業に集中していたからだろ?(笑」
「そうですよね(笑」
「うんうん(笑」
ロザンナの笑い混じりの答えに頷いたサノスが、さらに踏み込んできた。
「やっぱり、師匠が2階で取り組んでるのは、相談役の仕事ですか?」
「まあ、今はそうでもないな。相談役の仕事は、ギルドが案件を選定中だからな」
「「??」」
俺の言葉を理解できたのか、できないのか、二人が微妙な顔を返してきた。
これは、俺とシーラが就いた『魔法技術支援相談役』という役職が、まだ二人にどんなものなのか、理解されていない顔だな。
その付近のことは、今後のことを考えると、どこかできちんと二人に説明して、理解してもらった方が良いのかもしれない。
それに、魔導師を目指すサノスとしては、特に気になるのかもしれない。
具体的に教える機会は、何個かの魔法を覚えてからになるだろうが、『魔法技術支援』を行うのも魔導師の仕事の一面だと伝える必要はあるだろう。
だが、当面は『魔法円』を描く作業を続けて、魔素が確実に見えるようになるとか、魔素の細かい扱いを覚えるのが先だな。
「二人の作業の方はどうなんだ? 行き詰まったりしてないか?」
「順調です」
「私も順調です」
「今日は二人とも教会の鐘が鳴るまで頑張るのか?」
「「はい!」」
ガラガラ ガラガラ
二人の返事に続いて、店舗の方から馬車が近づいてくる音が聞こえた。
最初は小さな軋むような音と、石畳を叩く蹄の軽やかな響きだったが、次第にそれがはっきりと耳に届くようになる。
車輪が地面を擦る低い音と、馬の吐息が混じり合い、まるで律動を刻むように響いていた。
やがて馬車の音は店の前で止まり、静寂が訪れた。
(*******待て。*****へ伝えてくる)
聞き覚えのある声だぞ。
何気にサノスとロザンナを見れば、やはり店先での声が聞こえたのか、会話を止めて外の様子を伺っている感じだ。
カランコロン
「は~い、いらっしゃいませ~」
店の入口に付けた鐘の音が鳴り、条件反射のように声を上げて席を立ったのはロザンナだった。
壁の時計へ目をやれば、3時半を回っている。
この時間に馬車で店に来る客には、想像がつかない。
「イチノス様へ取次を願いたい」
作業場まで聞こえてきた通る声は、アイザックの声だ。
(少々お待ちください)
比較しては悪いが、ロザンナの大人しい声が聞こえる。
「イチノスさん、騎士さんがいらしてます」
「わかった」
どうやら母の言っていた、俺への懲罰の伝令が来たようだ。
ロザンナと入れ替わりで店舗へ行くと、青年騎士のアイザックが立っていた。
「イチノス様、コンラッド殿からの届け物であります」
王国式の敬礼でそう告げるアイザックには、伝令などを運ぶ際に使う斜め掛けのカバンが見当たらない。
「コンラッドからの届け物?」
「木箱が4つです。運び入れてもよろしいでしょうか?」
木箱?
そうか、魔法学校時代の教本を詰めた木箱が届いたんだと、すぐに気が付いた。
◆
木箱を店へ運び込むのは、アイザックに同行した二人の従者の仕事となった。
本の詰められた木箱はかなりの重さらしく、領主別邸で見掛けた従者が二人がかりでの作業だ。
店へ運び込まれた木箱とその中身の整理をサノスとロザンナに願えば、快い返事で引き受けてくれた。
俺はアイザックと共に店の外に出て、木箱を運び込む従者の作業を眺めながら問い掛ける。
「アイザック、騎士学校のことを聞いても良いか?」
「はい、何なりとお聞きください」
「騎士学校に『リザードマン=リュウジン』の教官がいると聞いたが、アイザックは今でも交流があるのか?」
「『リュウジン』の教官⋯ 『リュウ師範』のことでありますか?」
そう答えたアイザックの目線が、店の向かいの交番所へと動いた。
「残念ながら『リュウ師範』とは卒業以来、交流はありません」
そうか⋯
「ですが、『イル師範』であれば交流があると思います」
「イル師範?」
「はい。『リュウ師範』が度々、我々生徒へ告げていました。『イル師範と私は師弟関係である』とのことです」
「『イル師範』と言うのは、街兵士副長のイル・デ・パンのことだよな?」
「はい、そうであります」
「すまんな、変なことを聞いて」
「いえ、今後も私で答えられることなら何でもお聞きください」
◆
そんなやり取りを終えて、教本の詰まった木箱を店へ運び終えた従者とアイザックは、馬車で帰路に着いた。
アイザックと二人の従者が乗る黒塗りの馬車を見送りながら、店の向かいの交番所を見やれば、女性街兵士が王国式の敬礼で見送っている。
実に良い時期と言うか、絶妙な時機と言うか、随分と恵まれた機会でアイザックと会話する機会を得られた。
そして、騎士学校で教鞭を執る『リザードマン=リュウジン』との繋がりが、イルデパンにあることが知れたのは大きな収穫だ。
それにしても、なぜ王国式の敬礼で見送るあの女性街兵士たちは『リュウジン』の教官とイルデパンとの師弟関係を口にしなかったのだろうか?
アイザックが知るイルデパンと『リュウジン』教官の師弟関係の話を、あの女性街兵士が知らないとは思えない。
う~ん。
その付近は、俺が考えても意味が無いな。




