28-1「魔石の価値と二人の葛藤」
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王国歴622年6月9日(木)
・麦刈り十日目(最終日)
・魔石入札結果発表 13:00 中止
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「師匠! 起きてますかぁ~」
階下からサノスの声が聞こえる。
ベッド脇の置時計へ目をやると、昨日と同じく8時前だ。
眠気が少し残る頭で周囲を見渡すと、いつもの自分の部屋で、いつもの朝を迎えていることに気づく。
カーテン越しに差し込む外光はすでに明るく、しっかりと日が昇っている感じがした。
「師匠! 起きてます~?」
再び階下からサノスの声が響いてきた。
「あ~ 起きてるぞ~」
返事をして起き上がり、着替えを済ませ、階下で溜まった尿意を済ませた。
バタン
台所で手を洗っていると、裏庭へ通じる扉が開き、ロザンナが入ってきた。
「イチノスさん、おはようございます」
「おう。ロザンナ、おはよう」
ロザンナと共に手を洗い終え、作業場へ入ると、既にサノスが朝の御茶を準備して待っていた。
「師匠、おはようございます」
「サノス、おはよう。もう淹れてくれたんだな。ありがとうな」
3人で作業机に着き、サノスが淹れてくれた朝の御茶をいただく。湯気が立ち上るマグカップを手に、静かな時間が流れた。
「昨日はどうだった?」
一口、御茶を啜り、俺が二人へ尋ねるとサノスが口を開いた。
「ポーションと魔石を買っていったお客さんが二人、それに怪しい商人が来ました」
「うんうん」
「怪しい商人?」
「はい。『店にある全ての魔石を売ってくれと』言うので、すぐに師匠の話を思い出して『在庫が切れてるんです』と答えたら出て行きました」
「そうか、それは確かに怪しいな(笑」
「本当にそういうので儲けようとする人達がいるんですね」
サノスの口にする『そういうの』とは、昨日話した魔石の転売のことだ。
「まあ、商人と言うのは何とかして儲けようと考えるのが多いんだよ」
「師匠、その転売での儲けは、その人だけが得をするものなんですよね?」
「ん?」
「父さんみたいに、実際に魔物を倒した冒険者たちには、見返りは無いんですよね?」
サノスの考えが、そこまで行き着いたか⋯
魔石の転売によって一部の商人達が利益を得る。しかし、実際に魔物を倒した冒険者達には、その転売で生じた利益が届くことはない。
そのような状況を良く思わず、冒険者たちが策を講じるとすれば、魔物から得られる魔石を冒険者ギルドには引き取らせず、例えば転売目的の商人たちに高値で引き取らせる方法だろう。
昨日、魔石の転売の話を二人に伝えた時には、自分たちで考えるよう突き放したが、サノスは自分で色々と考えたのだろう。
「サノス、その件について俺の考えが知りたいのか?」
「う~ん、難しいんです。魔石の値段が上がると、水出しや湯沸かし、それに製氷も売れなくなる可能性がありますよね?」
「!!」
サノスの言葉に、ロザンナが驚きを顔に浮かべてきた。
やはりサノスはそれなりに考えが及んでいるようだが、ロザンナはそこまでは考えていなかったのだろう。
「サノス」
「はい」
「そこまで考えていたのか?」
「えぇ、昨日の師匠の話を聞いてから、ずっと考えていました」
「センパイ、それって⋯」
「ロザンナも思わない? 魔石の値段が上がると、水出しや湯沸かしが売れなくなる可能性があると思わない?」
「イチノスさん、センパイが言うのってありえるんですか?」
とうとう、堪えきれなくなったロザンナが声を出してきた。
これは、二人にどう答えるのが正解なのだろう?
まずは、二人を落ち着かせるのが先だよな⋯
「サノスもロザンナも、一旦落ち着いてくれるか?」
俺の言葉に反応した二人は、背筋を伸ばして椅子に座り直し、次の言葉を待っていた。
そんな二人を前に、俺は考えた。
ここで二人に話すべきことは、一体何なのだろう。
二人が本当に求めているものは何なのか。
俺が自分の考えを答えたとして、それは二人の求める解答なのか。
俺は二人の考えの一部でも感じ取ろうと、胸元の『エルフの魔石』から魔素を取り出し、軽めの鑑定魔法を発動した。
するとサノスからは、赤っぽい魔素が見えたことで強い怒りを象徴しているのは明らかだった。
それを抑え込もうとするように、濁った青色の魔素が全体を覆い尽くそうとしている。
その中には灰色の魔素も混ざり、不安定さや迷いを示していた。
しかし、うっすらと黄色の魔素が緊張や不安を浮き上がらせ、さらに緑色の魔素まで混ざっている。
その様子を見て、サノスがかなり複雑な感情を抱いていることがはっきりとわかった。
サノスの抱える怒りの感情は、ただの激情ではなく、不正や理不尽に対する不満が導く怒りだろう。
そうしたサノスが抱える不満は、なんとなくだが理解できる。
魔石の転売で不当な利益を得る連中への怒りに近いものだ。
それでもサノスの言葉からは、その怒りを父親のワイアットや冒険者たちの利益という形で昇華しようとしているのを感じる。
サノスの中にある否定的な感情が、建設的な方向へと置き換えられようとしているのを、俺は強く感じた。
一方のロザンナからは薄い灰色が渦巻き、不確実性に対する恐れが表れている。
これは将来への漠然とした不安なのだろう。
ロザンナが求めているのは、自分の将来に対する不安の解消に感じられる。
この先、『魔法円』が売れなくなったら⋯
自分が描いた『魔法円』が売れなくなったら⋯
ロザンナの心にはそんな漠然とした恐れが渦巻いているのを感じた。
そうした不安にも似た感情をサノスも同じように抱いている気がする。
ただ、サノスの場合はその感情を理性で押さえ込もうとしているのかもしれない。
サノスとロザンナが抱える問題を、俺はどんな言葉で解決に導けばいいのか⋯
「師匠⋯」
「イチノスさん⋯」
二人が俺を呼ぶ声で慌てて鑑定魔法を止めた。
「すまん。ちょっと考えを整理して使う言葉を選んでたんだ。二人とも、落ち着いて聞いてくれるか? これは昨日も口にしたが俺の考えなんだ」
「「うんうん」」
俺の言葉に、サノスとロザンナがそろってうなずいた。
「結論から言えば、俺としては魔石の転売行為を受け入れることができないんだよ。何故なら魔石は魔素を取り出して使うものであって、右から左へ売買することで利益を得るための品ではないと考えているからだ」
「「⋯⋯」」
二人の沈黙を前に、俺はさらに続けた。
「魔石は『魔法円』や魔法を行使する際に使うもので、街の人々が『水が出せて便利だ』とか『お湯が沸かせる』とか『氷が作れる』とか、そうした思いを抱いて使ってもらう物だと思ってるんだ。金儲けのために転売する材料だとは思っていないんだよ」
「「うーん⋯」」
「そうした感覚で『魔法円』を使ってもらうためには、変に魔石が値上がりするのは避けたい。また、便利に使えるのに魔石の値段を気にして使うのも避けて欲しいのが本音なんだよ」
そこまで話したところで、サノスが手を上げてきた。
「師匠、それなら父さんみたいな冒険者が魔石を持ち込んできて、買い取ってくれと言ってきたらどうするんですか?」
サノスはなかなか面白いことを考えるな。
「そうだな。基本的には断るだろうな」
「断るんですか?」
「よっぽど魔石の在庫が無ければ買い取りも考えるが、基本的には持ち込みの魔石は買い取らない」
「どうしてですか?」
「持ち込まれた魔石を購入したとして、それは店で売るための購入になるよな?」
「まあ、そうなるでしょうね」
「俺の店で売ってる魔石は、魔素を充填してるし、買って行ったお客さんが使いやすくするために調整してあるんだ。だが、そうした持ち込まれた魔石だと、その調整が面倒くさいんだよ」
そこまで答えたところで、今度はロザンナが手を上げてきた。
「イチノスさん、その調整って、この魔石やその魔石にしてあるのと同じことですか?」
そう告げたロザンナは、片手で胸元を押さえ、もう一方の手で朝の御茶を淹れるためにサノスが使った普段使いの魔石を指差していた。
そう言えば、ロザンナは薬草の選別の時に魔石について何かを言っていた記憶があるな。
「ロザンナ、首から下げた魔石とこの魔石って、やっぱり違うの?」
「これとそれは同じ感じだけど、家で使うお婆様の魔石とはちょっと違う感じがするんです」
二人は既に、魔石転売の話しから意識が離れたようだ。




