27-13「新たな務め」
庭の東屋を後にして、母と共に本館へ足を踏み入れると、待ち構えていたエルミアが静かに頭を下げて告げてきた。
「イチノス様、お帰りの馬車の準備が整うまで、申し訳ありませんが小サロンでお待ちください」
エルミアは脇に控えていた従者へ視線を向けると、従者が軽く会釈をした。
この従者には見覚えがある。俺がこの領主別邸に身を寄せていた頃からいた従者だ。
「イチノス、明日か明後日には使いを出します」
何気なく振り返った母が告げてきたのは、古代遺跡から瓦礫を持ち帰った件の懲罰についての話だろう。
母はそれだけ告げるとスタスタと進み、再び軽く会釈をしたエルミアがその後に続いた。
俺はエルミアと母の言葉に頷き、二人と別れ、従者の後について小サロンへと向かう。
だが、従者の後を追うように廊下を歩き始めた途端、尿意を感じてしまった。
「すまんが、用を済ませて良いか?」
「はい。場所はわかりますよね?」
「うむ、問題ない」
一年前は住んでいた領主別邸だ。どこに何があるかは未だに熟知している。
◆
用を済ませて廊下へ戻ると、先ほどの従者の姿はなく、代わりにアナスタが待っていた。
どうやら東屋の片付けを済ませた後、俺の世話係として、後を追って本館へ戻ってきたようだ。
この後、エルミアが言っていた送りの馬車の準備が整うまで、小サロンでアナスタが付き合うことになったらしい。
アナスタと共に小サロンに入り、丸テーブルの椅子に腰を降ろし壁の時計へ目をやると、時刻は3時を回っていた。
どうするかな?
真っ直ぐに店へ戻って、今日の『勇者の魔石』の話を整理したいが⋯
いや、まだ時間もあるから、まずは冒険者ギルドへ寄って、古代遺跡調査隊への依頼を済ませてしまおう。
瓦礫を持ち帰る件については領主代行である母から了承を得られたのだ。
この件をさっさと済ませてしまおう。
その後で風呂屋へ寄って、蒸し風呂で『勇者の魔石』の件を整理しよう。今日も蒸し風呂が壊れているなら、広い湯船で整理しよう。
「イチノス様 少しお聞きして良いですか?」
この後のことを考えていると、小サロンの入口側に立っていたアナスタが急に問い掛けてきた。
「はい? なんでしょう?」
「先ほどフェリス様と話されていたのは、どちらの御言葉でしょうか?」
アナスタが言っているのは、東屋で俺と母が使っていた『エルフ語』のことだろう。
「アナスタは気になるのか?」
「いえ、その、気になるというか⋯」
何とも歯切れの悪い返事が返ってきた。
何だろう?
アナスタは、『エルフ語』での俺と母の会話が気になるのだろうか?
「実は⋯」
そこまで告げたアナスタは、小サロンの外、廊下の両側を確認するように見やると、立っていた入口から離れ、俺の座る丸テーブルに近寄ってきた。
「実は、来週からシーラ様のお側にお仕えするんです」
「はい?」
アナスタは何の話をしているんだ?
シーラの側に仕える?
「先週、シーラ様が館を出られて、パトリシア様と一緒に住まわれるのを手伝いに行ったんです」
ますます理解できない話をアナスタはしてきたぞ。
確かに、シーラはパトリシアさんとの同居を選び、数日前にこの領主別邸を出ている。
今になって思えば、シーラがこの領主別邸を出たいと考えたのは、エルミアがアナスタへ幾多の指示を出す様子を目の前で見るのが、堪えられなかったのかもしれない。
アナスタは、そのシーラに仕えるというのか?
「アナスタは、シーラの引っ越しを手伝いに行ったのか?」
「はい、フェリス様の命で婦長と共に手伝いに行きました」
あらまぁ。シーラはそんなことは一言も口にしてなかったな。
「それでパトリシア様と婦長が話されて、私が来週からシーラ様へお仕えすることになったんです」
と、言うことは、アナスタは来週からシーラに仕えるメイドになると言うことだな。
いや、もしかしたらパトリシアさんもひっくるめて、二人の身の回りを世話するメイドになるということか?
まさか二人にメイドが着くとは思いもよらなかったぞ。
「それで、シーラ様が先ほどの言葉を話されるなら、私も覚える必要があるかと⋯」
なんでアナスタはそんな発想に至るんだ?
そこが俺には理解できないんだが⋯
「イチノス様も、フェリス様も、魔法をお使いになる魔導師様ですよね?」
「ま、まあ、そうだが⋯」
「もしかして、シーラ様も、フェリス様やイチノス様と同じ様な御言葉をお使いになるのか、気になってしまったんです」
アナスタは何の話を⋯
いや、何となくだが、アナスタの考えが読めてきた気がする。
もしかして、俺と母が使った『エルフ語』を、魔導師が使う言葉だと思っているのではなかろうか?
魔導師である俺と、同じように魔導師である母が使う言葉だから、来週から仕えるシーラも魔導師として、同じ言葉を使う可能性を考えているのだろうか?
それにアナスタは、この領主別邸を出ることに、不安を感じているのだろう。パトリシアさんやシーラに仕える未来が、想像できないのかもしれない。
確かに、アナスタがこの領主別邸に勤めていれば、エルミアの指示を受けて、それをこなして行けば済むだろう。
けれども、一人で外に出て、シーラとパトリシアさんの世話をすることになれば、今後は全てを自分一人で判断しながら、こなして行く必要がある。
その責任の重さに、アナスタが不安を感じるのも無理はない。
彼女の表情はどこかぎこちなく、言葉の端々にも躊躇が見える。
誰かに頼りたい気持ちと、一人立ちしなくてはという気持ちが、混ざり合っているのが伝わってくる。
「アナスタ、心配しなくても良いと思うぞ。アナスタは、シーラと話したことはあるんだろ?」
「ぷるぷる」
「それなら、まずはパトリシアさんやシーラとよく話し合ってみたらどうだろう? これから二人に仕えて身の回りの世話をするならば、まずは二人との話し合いが大切だろ?」
「はい、それは婦長からも忠告されました」
「それに、俺と母が使っていたのは、『エルフ語』なんだよ」
「『エルフ語』? ですか?」
「アナスタも理解していると思うが、母はエルフで、この俺はハーフエルフだろ?」
「はい、そのことは、理解しています」
「母の教えで、『エルフ語』を忘れないために二人の時には使うことがあるんだよ」
「そうなんですか。私は、てっきり、魔導師の方々がお使いになる特別な言葉かと、勘違いしてしまいました(笑」
そう答えたアナスタは、半笑いの顔に安堵の表情を浮かべた。
コンコンコン
ノックする音に慌てて、アナスタが振り返る。俺も小サロンの入口へ目をやれば、先ほどの従者が立っていた。
「イチノス様、馬車の準備が出来ました」




