27-8「忠告と秘められた役割」
エルミアが静かな眼差しを俺に向け、口を開いた。
「まず、第一のご指摘です」
「第一の指摘?」
「たとえイチノス様がフェリス様のご子息であり、ウィリアム様の甥御様であられたとしても、この領主別邸へフェリス様宛でお越しになるのであれば、少なくとも一日前にはお知らせをいただきたく存じます」
確かにその通りだ。今日の訪問は急すぎたし、コンラッドの返事を鵜呑みにした俺が悪かった。
「わかった。今後は前もってエルミアに必ず連絡を入れ、確認を取るようにするよ。今回は迷惑をかけてしまったな」
俺の答えを聞いたエルミアは、軽く頷いて頭を下げてきた。
「次に、第二のご指摘です。これは指摘と言うよりは、イチノス様へのお願いでございます」
さっきのも、俺へのお願いだったよな?
「実は、アナスタからイチノス様のご発言について相談を受けました」
俺の発言で、アナスタがエルミアに相談?
「『イチノス様が、『さん』付けで呼んできます。私はどうすれば良いでしょうか?』 そんな相談を受けました」
「フフフ、あの娘は面白いことをエルミアに相談するのね(笑」
母さん、そこで声に出して笑うんですか?
「イチノス様、私もアナスタも、フェリス様へ仕える身分であることをご理解ください」
あぁ⋯
その手の考えか⋯
「仕えるお方のご子息から『さん』付けで呼ばれると、従者は困惑するのです。また、あの年頃の若い娘は勘違いする恐れがあります」
おいおい。
勘違いって、何のことだ?
「イチノス様のお気持ちもわかりますが、我々、従者の気持ちも考えていただけると嬉しく思います」
そこまで告げたエルミアが、今度は俺の目を見てから頭を下げてきた。
俺は何故か本館への出入口に控えるアナスタへ視線が向かってしまう。
それに気づいたのか、母もアナスタへ視線を向けた。
思い出した!
確かに俺はエルミアからアナスタを紹介されたとき、彼女を
〉アナスタさん
と『さん』付けで呼んでいた。
俺としては初めて名乗りを受けたから、つい『さん』付けで呼んでしまったのだが、それが想定外の誤解を招いたのか?
「イチノスは、ああした感じの娘が好みだったの?」
「⋯⋯」
「シーラさんとは随分と感じが違うけど?」
母さん、それは笑えない冗談です。
それになんでシーラの名前が出てくるんですか?
(スゥ~ フゥ~)
俺は二人に聞こえないように静かに深呼吸をして、気持ちを落ち着ける。
ここで慌てた様子を見せるのは、墓穴を掘る行為だ。
ここは自分の落ち度を素直に認めて、エルミアの意見に従おう。
そして、シーラを引き合いに出した母の冗談は、聞こえなかったふりをするのが正解だ。
「エルミア、それは、気配りが足りなかったな」
「いえ、もしもイチノス様がご希望であれば、今からでもアナスタを呼びますが?」
「いや、その必要はない。申し訳ないが、エルミアからアナスタに伝えてくれるか?」
「どちらを?」
おい! わかって言ってるだろ!
「もちろん、誤解であるとだ」
「あら残念(ニヤリ」
母さん、そこで笑みを浮かべるのは大きな間違いですよ。
「わかりました。アナスタにはイチノス様には『その気は無い』と伝えます」
そう告げたエルミアが、いつの間にか準備されたティーカップへ紅茶を注ぎ分けていく。
何とも言えない香りがふわりと鼻をくすぐった。何だ、この香りは?
思わず俺は、エルミアの淹れていく紅茶に視線を落としてしまう。
普段から、店でサノスとロザンナの二人が嗜む紅茶でも、こんな香りを感じたことは一度もない。
エルミアは二脚のティーカップに紅茶を注ぎ分けると、毒見のためか、その一脚に銀のスプーンを差し入れ、自分の口へ運び軽く頷いた。
「先週に届きました、新しい茶葉でございます。少々、濃い目に出てしまいました」
エルミアがそう告げて、出してきた紅茶の香りを改めて嗅げば、柑橘類のような香りがして、その特徴的な香りと風味が好きな人には好まれそうに感じた。これは一種のフレーバーティーなのだろう。
「なかなか香りが強いわね」
「申し訳ありません。若干、濃い目に出ているようです。淹れ直しますか?」
「いえ、このままいただきましょう」
出された紅茶を口にした母が、エルミアの言葉を確かめながら話を進めて来た。
「エルミアからの話は、さっきので終わりよね?」
「はい。私からは以上です」
「私からの話へ進めて良いかしら?」
「はい、お願いします」
エルミアの返事に応えた母の視線が俺に向かった。
「イチノス、まずはあなたがコンラッドに預けた『魔石』の話からで良いのよね?」
えっ?!
今、母は、はっきりと『魔石』と口にしたよな。あれはやっぱり『魔石』なんだ⋯
いやいや、それよりも、エルミアの前で『魔石』と口にしたよな?
これってエルミアが同席した状態で、ムヒロエから預かった薄緑色の石、あれが『魔石』だと言う話を母はする気なのか?
「エルミアの前で『魔石』の話をしても大丈夫なの?」
俺は思い切って母に問い掛けた。
その時の俺は、この問い掛けでエルミアが自分から席を外すことを願っていたのだと思う。
ところが、母から返ってきた言葉は想定外のものだった。
「ふぅ~ そうよね。イチノスには話してなかったから、エルミアの役割も知らないわよね」
エルミアの役割?
「実はね、今日、エルミアを同席させたのは、それをイチノスに伝えるのもあったのよ」
俺は母の言葉に、何も応えることが出来なかった。
俺の知る限り、家政婦長のエルミアが『魔石』に関わっている記憶が無い。
さらに言えば、俺の生業である『魔導師』に関わりのある『魔法』や『魔法円』、そして『魔石』に、エルミアが関わりを持っているなど、全く想定していなかった。
「エルミア、話を続けても良いのか?」
「はい、問題ありません。それに私の役割をイチノス様にご理解していただく時期であるとも考えております」
俺は母とエルミアへ問い掛けるが、答えて来たのはエルミアで、それはエルミアなりの決意のこもった言葉にも聞こえた。
ここで俺はどうするべきか大いに迷ったが、エルミアは真剣な眼差しを俺に向け、母は相変わらず朗らかな笑顔のままだ。
「わかった。エルミアの役割について、エルミア自身から聞かせてくれるか?」
今の俺に出来るのは、そんな強がりとも聞こえる言葉を口にするだけだった。
「エルミア、話が長くなりそうだから座って」
ポンポン
母は、さも当然のように自分の隣の椅子を叩いて、エルミアの着席を促した。
通常、主人である母とそれに仕える家政婦長のエルミアが、同じ机に席を並べて座ることなどありえない。
だが、エルミアは促しに応えて静かに母の隣、俺の斜め向かい側へと腰を降ろした。
そして背筋を伸ばすと、決意のこもった視線を俺に向けてきた。