26-16「紅茶の誘い」
「イチノスさん、シーラさん。他に何かございますでしょうか?」
キャンディスさんは、カミラさんを気遣うように、この会合を円滑に締めくくろうとするかのように言葉を選んだ。
それに応えてシーラを見ると、彼女は動かず真っ直ぐにカミラさんを見ていた。
「他にご意見がなければ、これで終了と⋯」
「シーラ魔導師は、まだ何かお話ししたいことがありますか?」
俺はあえてキャンディスさんの言葉を遮り、シーラに問いかけた。
「イチノスさん、シーラさん。あの件では、本当にご迷惑をおかけしました」
すると、突然カミラさんが謝罪の言葉を口にして頭を下げてきた。
「いえいえ、カミラさん。どうかお気になさらないでください。カミラさんがあの草案を作ったわけではないのですから」
シーラが優しく、カミラさんを擁護するように言葉を返した。
これなら、シーラもあの草案の作成者が誰なのか、すでに心当たりがあるのだろう。そして、その人物が今後関わることはないと察したのだろう。
「ありがとうございます。皆様にご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」
「ところで、カミラさんは紅茶がお好きですか?」
「えっ? はい?」
シーラが突然、カミラさんに問いかけると、カミラさんは目を見開き、聞いたことのないような声で返事をした。
もしかして、シーラは日曜日の紅茶の試飲会にカミラさんを誘おうとしているのだろうか?
そう思った時、キャンディスさんがシーラの問いかけに気づいた。
「もしかして、シーラさんは日曜に開かれる新しい紅茶の試飲会のことをおっしゃってますか?」
「はい、冒険者ギルドの研修所を使うのを許可されたのはキャンディスさんですよね?」
「えぇ、タチアナさんと商工会ギルドのナタリアさんにお願いされて⋯」
「もちろん、キャンディスさんも参加されるんですよね?」
「えぇ、たまには息抜きもしたいし、ちょうど日曜は休みの予定ですし、新しい紅茶にも興味がありますし⋯」
「キャンディスさん、日曜って今度の日曜のことですか?」
おっと、カミラさんが微妙な雰囲気を察して、元気を取り戻してきた感じだぞ。
まあ、いつまでも落ち込んでいるよりは良いか。
「あれ? カミラさんは、タチアナさんから聞いてないの?」
「聞いてません。新しい紅茶って何ですか?」
なんだか、いい雰囲気になってきたんじゃないか?
この3人は『あの草案』の件には触れず、仕事以外の話に移ろうとしている。
いや、むしろシーラがきっかけを作って、そんな雰囲気に持っていったのだ。
そこにキャンディスさんが乗り、カミラさんもそれを受け入れている⋯ うん、これが正解だな。
それにしても、この状況を俺は見守るべきなのだろうか?
よくよく考えてみれば、この応接室にいるのは俺以外は全てが女性なんだよな⋯
『女性たちがお茶会などの楽しみについて会話しているとき、男は決して口を挟むべきではありません。自分の名前が呼ばれるまで、男は静かに自分の時間を楽しむのが最善の策です』
そんなことを幼い俺に教えてくれたコンラッドを思い出す。
あの時は母の従姉妹だか何かが訪れて、女性だけで話していたんだよな⋯
そういえば、コンラッドのことで思い出したが、明日は領主別邸へ行くから、コンラッドや母の顔が見られるんだよな。
ウィリアム叔父さんにも会えるのかな?
ウィリアム叔父さんに会えたら、もしかして外されたという、カミラさんやレオナさんの上官の話も出てくるのか?
いや、それはどうでもいいか。
もう外された文官がどうなったかなんて、俺が気にすることじゃないしな。
まだ終わらないなぁ⋯
どうして女性が集まると、こうもどうでも良いと感じる話が続くんだろう?
そもそも、俺がここに居続ける理由があるのかな⋯
今は何時なんだ?
壁の時計を見れば、既に3時を回っているな。
風呂屋に行くには少し早いし、店へ戻るか?
一旦店へ戻って、また風呂屋へ行くのも面倒くさいな。
そういえば、シーラは歩いて帰るのか?
歩いて帰るなら、中央広場を抜ける付近までは送る必要があるよな。
それにしても、なんかこういうのも良いかも知れないな。
こうやって3人の女性が朗らかに話しているのを眺めながら、自分のことに思いを巡らすのも、時には良いかもしれないな。
なるほどな、コンラッドはこうした時間も楽しめと言っていたんだな。
コンコンコン
応接室の扉をノックする音が響き、女性陣がピタリと会話を止めた。
「どうぞぉ~」
キャンディスさんが応えると、応接室の扉が開き、タチアナさんが顔を見せてきた。
「失礼します。キャンディスさん、商工会ギルドのメリッサさんがいらしています」
「メリッサが? 何かしら?」
するとタチアナさんは応接に座る俺達全員を見渡してから、言葉を続けた。
「キャンディスさんにお話があるそうで、レオナさんも一緒にいらしてるんですが⋯」
「レオナも来てるんですか?」
レオナさんの名前が出たことで、同じ文官のカミラさんが怪訝な声を出している。
「二人でいらっしゃるなんて、何かしら?」
「それが、ナタリアも一緒に来てるんですよ」
おいおい、それって商工会ギルドの主だった面子が揃って来てるんじゃないのか?
「何かありそうね。わかったわ、会議室にお通しして」
「わかりました。会議室にご案内します」
そう答えてタチアナさんが応接室のドアを閉じると、キャンディスさんが俺に向き直って聞いてきた。
「イチノスさん、そう言えば商工会ギルドの魔石入札には行かれたの?」
その顔は、メリッサさん達が揃って冒険者ギルドを訪れたのは、俺が理由だろうと問い掛けているのか?
「イチノス君はどうする?」
シーラ、ちょっと待て。どうしてそこで俺の名を呼ぶんだ?
魔石の入札については、むしろ俺は言い掛かりを喰らった立場だぞ。
確かに、製氷業者との保守契約を結ぶには魔石の安定的な確保が必要なことは提唱したが、その時にシーラも同席していたよな?
いや待てよ⋯
シーラは製氷業者との保守契約の話には参加していたが、魔石の入札の時には同席していなかった。
俺が魔石の入札について言い掛かりを受けたことを、シーラは知らないんだ。
「イチノスさん、その顔は何かあったわね(笑」
キャンディスさんに顔色を読まれたか?
「いえ、特に何も無いですよ(笑」
「まあ、たぶん魔石の件で来たんでしょう。カミラさんとシーラさん、それにイチノスさんも同席していただけるかしら?」
「はい、参加します」
そう応えながらカミラさんが俺とシーラの署名した契約書を丁寧に片付けて行った。
「私も時間はありますので参加します」
シーラがチラリと壁の時計を見て、追いかける言葉を口にすると、三人が揃って応接から立ち上がった。
「イチノス君、行きましょう」
シーラ、そこで改めて俺を誘う真意を問いたい気分になったぞ。




