26-14「紅茶の招待と揺れる心」
俺とシーラはカレー屋を後にして、リアルデイルの街を東西に走る大通りを渡り、俺の店のある西町北へ足を踏み入れた。
すると、シーラがアリシャさんから渡された紙を手にして尋ねてきた。
「ねえ、イチノス君。これって行った方が良いのかな」
ククク カレー屋でアリシャさんから渡された時にもシーラは困惑していたが、今でも迷っているようだ。
「さあ、シーラが誘われたんだから、シーラが決めることじゃないのか?(笑」
少し意地悪に答えながらシーラの顔を見るが、歩きながらも紙を見つめている。明らかに俺の返事を聞いておらず、己の世界で悩んでいるようだ。
シーラの手にするアリシャさんから渡された紙は、紅茶の試飲会の案内だった。
カレー屋を出る前に少しだけ見せてもらったが、今度の日曜日に冒険者ギルドで『新しい紅茶の試飲会』が開かれるというのだ。
珈琲や紅茶よりも東国の御茶を好む俺としては、『なんで冒険者ギルドで紅茶の試飲会?』そんな思いが湧いただけだった。
だが改めて考えると、アリシャさんのカレー屋では狭いのだろうと思えたし、美味しい紅茶を淹れてくれる冒険者ギルドのタチアナさんが絡んでいる気がした。
「イチノス君、主催者のアリシャ・バンジャビって、カレー屋のアリシャさんだよね?」
「そうだな」
「じゃあ、タチアナさんって⋯」
俺の予想が当たっていた。やはり冒険者ギルドのタチアナさんが絡んでいた。
少し気になったのは、シーラがタチアナさんに見当がついていないことだ。
まだ、シーラとタチアナさんは名乗りを済ませていないのだろうか?
「俺の知っているタチアナさんは、冒険者ギルドの若い女性職員だが、シーラはまだ名乗りの挨拶を済ませていないのか?」
「冒険者ギルドの若い女性職員⋯ あの人だね。まだ、名乗りは済ませてないけど、なんとなくわかるよ。あの若い女性職員だよね」
どうやら、タチアナさんが誰なのかに、シーラは見当がついたようだ。
「じゃあ、ナタリアさんは?」
おいおい、ナタリアさんまで主催者に名前を連ねているのか?
だが、タチアナさんとナタリアさんが友人同士と言うことを踏まえて考えれば、あり得る話だ。
「ナタリアさんは商工会ギルドの若い女性職員だよ。ほら、少しふっくらした感じの若い女性職員がいるだろ? シーラの使った貸出馬車の手配をしてくれた、あの女性職員だよ」
「あぁ、あの人か⋯ ねえ、私が行っても大丈夫だよね?」
その答えから、シーラが俺の話を半分ぐらいしか聞いていない気がしてきた。
シーラと歩きながら、そんな問答をしていると、カバン屋が見えてきた。
カバン屋の前を右に曲がれば俺の店なのだが、シーラは気が付いておらず未だにアリシャさんに渡された案内の紙を眺めながらブツブツと呟いている。
「シーラ、どうする? 一旦、店に寄るか?」
「えっ? あぁ、店は直ぐそこなんだね。イチノス君は店へ戻る用事があるの?」
「水出しを⋯ いや、特に無いな。じゃあ、このまま冒険者ギルドへ行くか?」
「そうね、タチアナさんとも話をしたいから冒険者ギルドへ行きましょう」
シーラ、それは既に冒険者ギルドへ行く目的が違っていないか?(笑
「シーラ、ここから先はその招待状を見ながら歩くのは無しだな」
「えっ?!」
「ほら、見てのとおりにここから先は両脇の店がテントを張り出してて、歩道が狭くなってるだろ?」
「そうかぁ、これがお姉さまが言ってたリアルデイル西町の名物なんだね」
シーラはそう答えながら、招待状を自分のカバンへと納めると、俺の斜め掛けしたカバンのベルトに掴まってきた。
「えっ?」
「なに? ほら、歩道が狭くなってるからイチノス君が先導して」
仕方がないなと思いながら、シーラをカバンのベルトに掴ませたままで歩いて行く。
すると道の反対側、元魔道具屋で今は交番所となっている前で立ち番をしている二人の街兵士が、俺とシーラに気が付いたのか王国式の敬礼を出してきた。
俺は足を止めずにそれに軽めの敬礼で返すと、シーラも俺を真似て軽めの敬礼を返した。
う~ん、こうしてシーラと一緒に歩いている姿は、周囲に変な誤解を与えている気がしてきたぞ。
カランコロン
そう思った時、雑貨屋の扉が開いて大衆食堂の婆さんがテントの張り出した狭い歩道へ出てきた。
「こんにちわぁ~」
シーラがいち早く婆さんに気が付き挨拶すると、婆さんが目を見開いて俺とシーラを見てきたのがハッキリとわかった。
「イチノスに⋯ シーラさんじゃないか?!」
「こんにちは」
「こんにちわ。随分と仲が良さそうだね(ニヤニヤ」
婆さん、そのニヤつきの意味を問いたい気分だぞ。
これは、この後確実に、俺とシーラは噂話の種にされる気がする。
「二人揃ってお出掛けかい?(ニヤニヤ」
「ええ、これから冒険者ギルドです」
「そうかい、そうかい。ほら、イチノス、シーラさんをカバンになんか掴ませてないで、きちんとエスコートするんだよ(ニヤニヤ」
婆さんの声が聞こえたのか、シーラが慌てて俺のカバンのベルトから手を離した。
◆
そんな一幕もあったが、婆さんとは大衆食堂の前で別れ、俺とシーラは道を渡って向かい側の冒険者ギルドへ足を踏み入れた。
冒険者ギルドは商工会ギルドと同じ石造りだからか涼やかで、ここまで歩いてきてほんのりと滲んでいた汗が引いていく。
そんなことを感じていると、シーラが俺を追い越し、依頼の掲示板や受付カウンターのあるホールへ早足で真っ直ぐに向かって行った。
そしてホールに面した受付カウンターには、まるでシーラの思惑を察していたかのようにタチアナさんが座っていた。
「イチノスさん、冒険者ギルドへようこそ」
俺もホールへ入ると、不意に、特設掲示板の前に置かれた受付机の方からニコラスさんに声をかけられた。
「こんにちは、ニコラスさん。どうですか? 順調ですか?」
「至って順調です。これもイチノスさんのお陰です」
「そうですか、順調なら何よりです」
ニコラスさんの言葉と表情に、どこか穏やかさを感じる。
これはニコラスさんが担当している質問状の受付が至って順調だからだろう。
「イチノスさん、今日は?」
「今日はシーラと共に相談役の件でキャンディスさんに会いに来たんですよ」
「わかりました。暫くお待ちいただけますか?」
そう告げると、ニコラスさんは足早に受付カウンター脇のスイングドアから奥へと消えていった。
そのまま受付カウンターへ目をやると、シーラがタチアナさんと話し込んでいるのが見えた。
多分だが、シーラは日曜日の紅茶の試飲会のことをタチアナさんから聞き出すか、相談しているのだろう。
シーラがこうしてリアルデイルの街の人々と交流を深め、溶け込んで行く機会を得られたのは良いことだ。
俺は製氷業者との保守契約を切っ掛けに、シーラが街の人々との交流を深めて行く状況を思い描いていた。
けれどもそれは、魔導師としての立ち位置を中心に考えていたのではないだろうか?
シーラの持つ紅茶と水の関係に関わる知識、いわば紅茶を楽しむという趣味を接点にして、リアルデイルの街に住む人々と交流を深める方法もあるのだ。
そうした交流の深め方ならば、魔導師としての立ち位置に拘らず、より違った形でより良い関係を築ける気がしてきた。