26-11「香りと共に歩く日常」
シーラと共にカレー屋へ向かい、中央広場を抜けて東西に伸びる大通りを西の関へ向かって進んでいく。
西町の南へ入り、しばらく進んだところで、シーラが周囲を見渡しながら口を開いた。
「イチノス君、そこの道を入ったところってローズマリー先生のご自宅よね?」
シーラの言葉に、相談役の就任式で貴族街の領主別邸へ迎えの馬車で向かった時のことを思い出した。
そういえば、シーラは魔力切れの治療を受けるために、先生のご自宅へ馬車で通っていたんだよな。
そうか⋯ あの就任式からもう1週間か⋯
「ああ、そうだな。俺も就任式のときに先生とこの先で馬車に同乗して、この辺りに先生の住まいがあると初めて知ったんだよ」
「ロザンナさんから聞いてなかったの?」
「シーラ、その手の話に俺が興味ないの知ってるだろ?(笑」
「フフフ、そうだね。イチノス君はそういうことに興味ないもんね。あれ? もしかして、お弟子さんのサノスさんの住まいも知らないの?」
「大衆食堂の裏手あたりだと思うんだが⋯」
「フフフ、本当にイチノス君はそういうのには興味ないんだね(笑」
「まあ、二人が事故に遭わずに店に通ってくれれば良いな、ぐらいにしか考えてないな(笑」
「ふーん⋯」
「それはシーラも同じだぞ」
「私も同じ?」
「シーラが俺の店へ遊びに来るとき、事故に遭わないか心配しているよ(笑」
「フフフ ありがとう(笑」
笑いながら礼を告げたシーラと再び歩いて行くと、大通りの向こう側を指差しながら聞いてきた。
「ねえ、向こう側の道を入ったところが、イチノス君のお店の前の通りだよね?」
「ああ、そうだな。それでもう2本向こうの道が冒険者ギルド前の通りだな」
「うんうん」
「それで、そこの道を入って行ったところがカレー屋だな」
俺が指差す先を見たシーラが再び周囲を見渡した。
「ああ、冒険者ギルド前の通り、その向かい側を入るんだね」
カレー屋の前の通りへ入り、しばらく進むと空腹を誘う香りが漂ってきた。
「イチノス君、この香りは⋯」
シーラはそう呟きながら周囲を見渡して香りの正体を探している。
そうこうしているうちにカレー屋の姿が見えてきた。
順番待ちの列ができているかと思ったが、今の時間は誰も並んでいない。
商工会ギルドを出たときには、既に昼時を過ぎていたし、ここまでゆっくりと歩いて来たから、上手く混雑を避けれたのだろう。
それにしても、朝から何も食べていない俺にとって、この香りは強烈に空腹を刺激してくるな。
カランコロン
俺を先頭に、シーラが後ろに続いて扉を開けると、濃厚なカレーの香りが一気に押し寄せてくる。
その香りに一瞬戸惑った俺たちを、女店主の明るい声が迎えた。
「いらっしゃいませ~、お好きな席へどうぞ~」
アリシャさんの声が、細長い店内に響く。店の奥では、二人の街兵士が座って談笑しているようだ。
二人の街兵士の横顔には見覚えがなく、どちらも若い感じだ。
「イチノスさん!」
カウンターの向こう側から改めて顔を見せたアリシャさんが、驚いた声で俺の名を呼んだ。
そんなアリシャさんは、以前ここへお邪魔した時と同じ、身体のラインが強調されない丈の長い赤いワンピースを纏っていた。
「えっ?!」
「イチノスさん?!」
二人の街兵士も慌てた様子で、俺とシーラに視線を向け、席から立ち上がろうとした。
俺はそんな二人に向かって両手を出し、手のひらを下に向けてゆっくりと下げていく。二人の動きを鎮めるかのように、手を上下にゆっくりと動かして行った。
『焦らないで、ここで敬礼するなよ』
そんな思いを込めて二人の目を見れば、二人とも察してくれたのか、静かに椅子に座り直してくれた。
二人の街兵士が落ち着いてくれたから、今度はアリシャさんへの挨拶だよな。
「こんにちは、アリシャさん。約束どおりに来ましたよ(笑」
「イチノスさん、来てくれてありがとう。もちろんお昼は食べてないわよね?(笑」
「はい、それも約束どおり、空腹で寄らせてもらいました(笑」
「フフフ そちらのお嬢さんは?」
朗らかな笑顔を浮かべたアリシャさんが、シーラへ視線を向けた。
(イチ⋯ 一緒にいるのって⋯)
男性街兵士の一人がボソリと呟いた声が聞こえた瞬間、シーラがアリシャさんに挨拶を始めた。
「はじめまして、シーラと申します。今日はイチノスさんと一緒にカレーをいただきに参りました」
「シーラさん? もしかしてイチノスさんの奥さん?」
「⋯⋯」
「!!」
「?!」
「??」
その言葉に、俺とシーラが固まると、街兵士の二人も固まった。
「その顔は違ったみたいね(笑」
「えっ? いや⋯」
シーラ、その付近はアリシャさんの冗談だろうから、ハッキリと否定した方が良いと思うぞ(笑
「それにしても『シーラ』なんて良い名前ね」
「えっ? そうなんですか?」
「私の国の言葉で『シーラ』には『純粋』とか『善良』、それに『優雅』などの意味があって、女性の名前として使われているの」
「「「「へぇ~」」」」
思わず俺とシーラ、それに街兵士たちの頷く声が重なってしまった。
「じゃあ、さっそく食べてってね。さあ、座って座って」
アリシャさんに促され、俺たちはカウンターに並ぶ椅子へ腰を下ろした。
ガタガタ
途端に二人の街兵士が席を立ち、俺とシーラに向かって王国式の敬礼を出してきた。
「「イチノス殿、シーラ殿、お先に失礼します」」
やっぱり、敬礼で挨拶か⋯
先程、大人しく座ってくれたから大丈夫かと思ったが、俺とシーラが一緒にいるところを見かけたら、こうなるのは仕方ないな。
「日々の巡回「お疲れ様です」」
俺が軽めの王国式の敬礼で応えると、シーラもそれに合わせた。
二人の街兵士は敬礼を解くと、急ぎ足で店の出口へ向かい、アリシャさんも会計のためか俺たちに目配せし、それを追いかけた。
「マミィ お客さん?」
すると、どこかで聞いた覚えのある声と共に、厨房の方から一人の女性が現れた。頭に赤いスカーフを巻き、淡い紅色のエプロンを着けた女性がカウンターの向こうに現れた。
ジュリアさんだ。
その肌の色合いと整った顔立ちから、俺はジュリアさんだと気がついた。
思わず、あの抜群の腰からお尻へのラインを思い出し、俺の心は一気に熱くなった。
そして俺は、今日のジュリアさんがパンツスタイルかどうかを確かめたくなり、思わず椅子から腰を上げてカウンターの向こう側を覗き込みたい気分に駆られてしまった。
「いらっしゃいませ~ 今日のランチはオークカレーよ」
「オークカレー?」
隣に座ったシーラがジュリアさんに応える。
ん? シーラはオーク肉が苦手だったか?
いや、大衆食堂の昼食でオークのトリッパを冒険者ギルドのキャンディスさんと一緒に食べている記憶があるから、大丈夫だと思うが⋯ 違ったか?
「そう、オークベーコンを使ったカレーよ。美味しいわよ。あれ? もしかしてエルフさん?」
ジュリアさんが遠慮なく俺を見て人種を告げてきた。
カランコロン
「ありがとうございましたぁ~」
その時、二人の街兵士が店を出て行く鐘の音と、アリシャさんの見送る声が店内に響いた。
「そういえば、エルフさんには名乗ってなかったわね。『ジュリア』よ」
そう告げながら、ジュリアさんが俺とシーラへ黒い名刺を渡してきた。
その名刺は、以前にヘルヤさんから渡されたのと同じものだった。




