25-11 去り際の微笑みと静かな決意
遅めな3時のお茶の時間を終えると、サノスとロザンナ、そしてシーラの3人が揃って洗い物を手に台所へと向かった。
俺は作業場に一人で残って、ダンジョウさんから贈られた本に書かれていたとおりに茶道具を手入れしていく。
カランコロン
茶巾で拭き上げていると店の出入口に着けた鐘が鳴った。
「こんにちわ~」
聞き覚えのある声が店舗の方から響く。
俺が店へ出ようと席を立った途端に、ロザンナが台所から作業場へ飛び込んできた。
そんなロザンナを軽く制して、店舗へと顔を出すとシーラの使う貸出馬車の御者が立っていた。
「こんにちわ、魔法使いの旦那。シーラさんのお迎えにあがりました」
そう告げた彼は丁寧に頭を下げてきた。
◆
「じゃあ、イチノス君。また明日、商工会ギルドでね」
シーラが笑顔で俺の手を頼りに馬車へ乗り込んだ。
俺はその姿を見つめながら、今日の昼食のバゲットサンドが思いのほか美味しかったことを思い出した。
「シーラ、昼食をありがとうな」
「「シーラさん、ご馳走さまでした」」
俺の言葉を追いかけて、サノスとロザンナが馬車の個室へ乗り込んだシーラへ礼を告げている。
そんな二人の姿がなんとも微笑ましい。
昼食の時に、サノスは俺の弟子でロザンナは俺の店の従業員だからと、シーラからの指導を断った。
けれども、これだけサノスやロザンナとシーラの距離が縮まっているのならば、もう少し様子を見て、二人への指導の一部をシーラに頼むのもありかもしれない。
「すいませ~ん、車輪止めをお願いできますか~」
御者台から願う声に応じてサノスとロザンナへ指示を出す。
「サノス、ロザンナ。後ろの車輪止めを外せるか」
「「は~い」」
二人が車輪止めを外しに行ったところで、個室の扉を閉めると、シーラがブラインドを開けて軽く手を振ってきた。
俺もそれに応えたが、手を振るシーラの姿がどこか寂しげに見えるのは気のせいだろう。
車輪止めを手にしたサノスとロザンナが御者台へ向かうのを見届けると、御者の声が響いた。
「出発しま~す」
再びの御者の声と共に、シーラを乗せた馬車がスルスルと動き出した。
サノスやロザンナと並んで、シーラの乗る馬車を見送っていると、店の向かいに立っている女性街兵士の視線を感じた。
その視線に気付いた俺は、少し背筋を伸ばし、彼女たちに向かって軽く頭を下げた。
彼女たちは王国式の敬礼で、シーラの乗る馬車を見送っていた。
馬車が石畳の道を曲がったところで、サノスが少し疑問を混ぜた声で聞いてきた。
「師匠、明日はシーラさんと商工会ギルドですか?」
その問いに俺は一瞬考え込みそうになったが、直ぐに頷くことにした。
「そうだな。魔石の入札に行って⋯」
「その後にカレー屋ですよね?」
ロザンナが被せるように追いかけてきた。
彼女の顔には期待と好奇心が入り混じった表情が浮かんでいる。
「ククク、そうだな」
俺の言葉に満足したのか、ロザンナとサノスが店の出入口へと向かう。
二人の背にかかる西からの傾いた陽射しが、まるで一日の終わりを告げているようだ。
この後は何も用事は無いよな?
カランコロン
沸々と湧き上がる風呂屋へ行きたい気持ちを感じていると、サノスとロザンナが店の扉を開ける。
サノスとロザンナに続いて店舗を抜けて作業場へ向かうと、机の上に置かれた茶道具が目に入った。
「サノス、ロザンナ、今日はまだ作業を続けるのか?」
「はい、もう少しやって行きたいです」
そうだよな、ロザンナはヘルヤさんに予約をもらって、やる気が高まってるよな。
俺はふとサノスの方に目を向けると、既に自分の棚から製氷の型紙作りを取り出して机に置き、再開しようとしていた。
サノスもやる気に満ちてるなと内心で感心しながら、俺は二人の邪魔にならないように、布に包まれた茶道具を手に取り、2階の寝室へ向かった。
寝室にたどり着くと、静寂の中で自分の思考が整理され始める。
シーラと契約書の読み合わせも終わった。
明日の製氷業者との会合への方針も決めた。
今日やるべきことは全て終わっている。
残るは風呂屋へ行って出来上がった体にエールを注ぐだけだ。
茶道具をそっと棚へ戻して、俺は風呂屋へ行く決意をした。
風呂屋へ行く準備を整えて階下へ降り、作業場で集中している二人に声をかける。
「すまんが、後は二人に任せて良いか?」
「「はい、大丈夫です」」
二人が答えるのを聞いて、俺は二人の日当とサノスの製作者利益に思いを馳せる。
「今日の日当は、まだだよな?」
「「はい、まだです」」
俺は二人に日当を渡し、さらに売上を入れるカゴから金貨を1枚手に取った。
「それと、サノスには魔法円の製作者利益だ」
「ありがとうございます」
感謝の言葉を述べながら受け取ったサノスは、胸元から魔石を入れる袋を取り出し、丁寧に金貨を納めている。
その様子を見つめるロザンナの瞳に、俺は強い意思を感じた。
「じゃあ、俺は出掛けるから、暗くなる前に帰るんだぞ」
「「は~い」」
カランコロン
二人の返事を聞きながら、店を出て向かいの交番所の前に立つ二人の女性街兵士の元へ向かう。
「こんにちわ」
「イチノスさん、こんにちわ」
「昨日はありがとうございました」
小柄な女性街兵士が口にするお礼は、どうやら昨日の羊羹のお礼のようだ。
「お口に合いましたか?」
「はい、美味しくいただきました」
「とても美味しかったです。イチノスさんはこれからお出掛けですか?」
背の高い細身な方の女性街兵士が俺の予定を問い掛けてきた。
「はい、今日は私だけ早めに終わりですね」
そこまで言葉を重ねて、俺は定休日の件が頭に思い浮かんだ。
いや、今日のこの場で話題にするのは避けよう。
次の定休日の前日、サノスとロザンナからの話題にとっておこう。
「じゃあ、いってきます」
「「いってらっしゃ~い」」
出発の挨拶を済ませて風呂屋へと足を進める。
歩道にテントが張り出された通りを進み、元魔道具屋の交番所を軽い敬礼で済ませたところで、雑貨屋へ目が行く。
未だに、店の出入口に着けた鐘を、静かめな鐘に代えることが、できていないことを思い出した。
どうする?
新しい鐘を手にいれて風呂屋へ行くのか?
その後に鐘を持ったままで大衆食堂でエールを楽しむのか?
いや、明日の配達を頼めば良いのか?
少し悩みながら雑貨屋を覗くと、今日も女将さんは接客中だったので、寄らずに通り過ぎた。
当然、大衆食堂と冒険者ギルドも横目に通り過ぎ、無事に風呂屋へ辿り着いた。
だが、思わぬ貼り紙に目が釘付けになった。
┌───────┐
│蒸し風呂故障中│
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う~ん。今日は良い感じで一日が終われそうだと思ったのだが⋯
風呂屋へ足を踏み入れると、いつものどこか湿気を帯びた温かい空気が俺を迎えてくれる。
そして、普段は聞こえない少年少女の声が聞こえた。
「もしかして、今日って混んでるのかな?」
俺は受付の女将さんに冒険者ギルドの会員証を見せながら代金を支払い、そっと問いかけた。
すると女将さんが少し詰まりながら答えた。
「今日は確かに混んでるけど⋯」
「何かあったんですか?」
「麦刈りが一段落したらしくて、若い連中が見習いたちを連れて来てるのよ~」
蒸し風呂が壊れているなら、今日は広い湯船で長めにと思っていたが、これはゆっくりと風呂を楽しめないかもしれない。
そう思ったのが顔に出てしまったのか、女将さんが優しく笑い返してくれた。
「けど大丈夫よ。もう暫くすれば静かな時間もやってくるわ。それまでゆっくりとお楽しみくださいね」




