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ハイスペ社員、愛を乞う  作者: 印原めぐみ
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再会【3】

 カラン…とグラスの中の氷が音を立てる。

 その音で、今のこの状況が現実だと気付かされる。


 肩が触れ合うかどうかの距離に置かれたスツールにちょこんと座るのは、間違いなく光莉だ。


 直接顔を向ける勇気が出なくて、ガラス越しにミルクティーのカップを眺める光莉の表情を盗み見るが、なんの感情も読み取れない。



 電車で眼下に座る女性が光莉だと分かってからの行動は、かなり強引だった。

 思わず腕を掴んで、ちょうど開いたドアからホームに連れ出した。

 改札を抜け、目に留まったカフェに入り、アイスコーヒーとミルクティーを注文して、窓際の席に座った。

 終始無言で、腕を掴んだままで。


 光莉は抵抗するでもなく、今僕の隣にいる。

 掴まれたままの腕を振り払うこともなく。


 視線がこちらを向かないことをいい事に、僕は光莉をそっと観察する。

 随分と雰囲気が変わった。

 長かったストレートの髪は、肩につくかつかないかくらいになり、緩くカールしている。

 たいてい仕事の日は襟付きシャツにカーディガンを羽織り、膝丈のスカートを履いていたが、今日は薄いピンクのブラウスにライトグレーのパンツスーツを着ている。

 一見別人に見える程だが、この僕が、外見を変えただけで光莉を見間違える訳がない。



「あ…の…」

 聞き取れるギリギリの大きさで、光莉が呟く。

 ああ、光莉の声だ。


「手……」


「…っ!ごっ…ごめんっ」


 思わず掴んでいた腕を離す。


「ごめん、つい…。痛かったよな、ホントごめん」

 勢いで光莉に向き合うと、光莉もこちらを見ていた。

 夢じゃないよな…現実だよな…。

 こんな奇跡ってあるのか。

 まずい、涙が出そうだ。

 誤魔化すように会話を進める。


「仕事の帰り?」

「うん」

「何か新鮮だな、光莉のスーツ姿。髪型も変えたんだね」

「うん…。取引先に上司と同行する事が多くて、それなりの服装が望ましいかなって。髪の毛は…まあ…気分転換…かな。…らしくない、よね」

「いや、全然そんなんじゃない。何ていうか…これが君の本当の姿なんだなっていう気がする」

「ええ?何それ…」


 ふふっと微笑む光莉から目が離せない。

 次の言葉が出ない。

 何か…何か話さなければ…。

 聞きたいことは山程あるのに、何ひとつ言語化されない。


「すば…桐谷さんは、変わらず忙しい…の?」

 名前を言い換えられた事が、僕の心を容赦なく抉る。


「そうでもないよ。ただ目の前の仕事をこなしているだけだけかな」

「そんな…桐谷さんは流してるつもりでも、他の人よりデキてるよ。初めて一緒に仕事した時ビックリしたし、今の会社でもあなた程スマートに仕事をこなす人はいないわ」


 そうだ。

 光莉はいつも、そんな風に僕を評価してくれていた。


「ひか…」

「そ…そうそうっ!今の上司もね、若くして会社を立ち上げて、見た目もカッコいいのに、言葉遣いは悪いし雑だし、やりたくない仕事は受けなくて結構大変で。けど、こんな私を採用してくれた恩人でもあって…。それで、今日もさっきまで一緒だったんだけどあの人………」


 は?

 何急に。

 今の上司って、男の話?

 こっちは奇跡みたいな偶然にどうしていいか分からないくらいなのに、そんな笑顔で親密そうに男の話するんだ光莉。

 しかも会社を立ち上げた若い男。

 そいつは新しい君のパートナーなのか?


 光莉が一生懸命話し続けているが、何にも耳に入ってこない。

 そのうち何の反応も示さない僕に気づいて、光莉も話すのをやめてしまったようで、気まずい沈黙が落ちる。


「あの…桐谷さ…」

「光莉はもう僕の事はキレイに割り切ってる訳だ」

 これ以上彼女の口からよそよそしい呼び方を聞きたくなくて、遮るように口を開く。


「僕は君が突然出て行ってからずっと、屍のように生きてきた。生きた心地がしなかったよ。突然姿を消して、消息も絶って。何かあったのかと心配しすぎて胃に穴も空いたし、全く仕事も手につかなかった。君の友人に、しつこく君の消息を聞き過ぎて警察沙汰になる寸前だった。親からは会社を辞めて地元に帰ってこいって言われる程だったけど、君との唯一の繋がりが今の会社だから…。いつか君が僕に会いに来てくれるかもしれないって思ったら、引っ越しだって転職だってできなかった。至る所に君との思い出が詰まった世界で、逃げ場もなくて、とにかく仕事だけして生きてきたんだ」


 一度話し始めると、堰を切ったように言葉が出てくる。

 感情が、1年以上抑えつけていた感情が、もう制御できない。


「仕事以外の時間は、ずっと君のことを考えている。なぜ君が側にいないのか、どうしたら君を、失わずに済んだのか。誰も答えをくれない。気が狂いそうだよ」


 半分も飲んでいないアイスコーヒーを片付けるべく、席を立つ。


「けれど君は、そんな僕を嘲笑うかのように綺麗になって、前に進んでいる。新天地で、これまで頑なに抑圧してきた自分をあっさり解放して、新しい出会いも呼び込んで。君に何かあったのかと、ずっと不安だったけど、とにかく元気でいることが分かって良かったよ。けれど僕は、君のことを過去にはできていないから、誰かと幸せに生きている君をこれ以上見ていられない」


 これが最後になるだろう光莉の顔をしっかり目に焼き付ける。


「幸せに、光莉。これが僕に言える精一杯だ」


涙が溢れる前に店を出た。

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