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ハイスペ社員、愛を乞う  作者: 印原めぐみ
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再会【2】

「堺〜、今日もう直帰していいぞ。台風がこの後接近してくるらしいから」


 ひとつ歳上の、恐ろしく整った顔立ちの上司が、その見た目からは想像もつかない雑な口調で呼びかける。


「俺もここでタクシー拾って帰るから。ユカを家で待たせてるからな。ヘタに電車乗って遅くなりたくねえ。じゃな、お疲れさん」


 言うなりその長い手をスッと上げてタクシーを捕まえる。


「お疲れ様でしたっ!」


 バタン!とドアが閉まる直前に慌てて叫ぶが、上司に聞こえたかどうかは怪しい所だ。

 まあ、そういう事は気にしない人だからいっか、と最寄駅に向かって小走りで向かった。


 台風接近のアナウンスが流れる地下鉄の駅は、そこそこの混雑具合だ。

 仕事でもなければ来ないだろう場所を訪れるのは、ちょっとした楽しみでもある。

 前の仕事は内勤ばかりだったから、客先に出向くなんて一度もなかったな…と、ふとあの頃に思いを馳せる。



 彼…昴さんの仕事の忙しさが加速したのは、ちょうど今くらいの季節。彼がチームを異動してしばらくしてからの事だった。

 それまでは遅くとも20時ごろには帰宅していたのが、日付を超えるようになり、それでもなお自宅で仕事を続けるようになった。

 それとなく営業の様子を聞いても、どうやらそこまで忙しいのは、彼と直属の上司である環さんだけのようだった。


「桐谷さんって、最近環さんと直帰が多いよね」

 そんな時、化粧室でふと聞こえてきた会話。

 昴くんと上司のことだ。


「あ、私も思ってた。この前なんて午前中の打ち合わせに出て、そのまま直帰でさすがに「ん?」って思った」

「まぁね、営業担当は外出しちゃったら何してもバレない感あるけど、桐谷さんはそういうことしなかったからちょっとショックだなー」

「わかる。桐谷お前もかってね」

「しかも明らかに桐谷さん狙いの環さんと一緒とか。ガード緩過ぎない?ガッカリだよ」

「さすがにマーケの地味女が彼女じゃ物足りなかったんじゃない?」

「にしてもさー。だったらさっさと別れてくれればいいのに〜!」

「いやそれアンタが狙ってるだけじゃん!」


 アハハハッ!と笑いあいながら化粧室を出て行く2人の気配が消えてから、そっと個室から出た。

 鏡に映る自分を見て、さもありなん、と思う。

 誰だってこんな取り柄もない女より、20代女性初の営業部長でバリバリ仕事ができて、美人で華やかな環さんを選ぶよね…と。


 冴えない、どこにでもいそうな、誰の印象にも残らない。

 それは私が意識して作り上げているものだ。

 誰の気にも留まらないように、細心の注意を払って社会人生活を送っていた。

 お陰で毎日平穏で、やりがいを持って仕事ができていた。

 …昴さんと知り合うまでは。


「君が好きだよ。どうか僕を、君の特別にして欲しい」と、とろけそうな甘い声で彼から気持ちを打ち明けられても、すぐに返事はできなかった。

 こんな私が彼に釣り合う訳がない。ならばすぐに断ればよかったのに、それができなかったのは、きっともうとっくに彼に惹かれていたから。昴さんはそんな私を、静かに見守りながら待っていてくれた。


 プロジェクトチームが解散になり、彼との接点がほとんどなくなってようやく自覚した。彼がいない喪失感でどうにかなりそうだった。

 もういてもたってもいられなかった。

 遅くに出先から戻った彼がリフレッシュコーナーに行く後を追った。


「桐谷さんっ、わた…私もあなたといたい!あなたのことが、好き…です」


 拙い言葉で精一杯の気持ちを伝えた。小学校から大学まで一貫の女子校で、告白をしたこともされたこともなかったから、昴さんみたいにスマートにはいかなかった。

 それでも昴さんは顔を真っ赤にして、ぎゅうぎゅう抱き締めながら喜んでくれた。

 今考えてもあの時は何かに取り憑かれていたとしか思えない。

 あんな…誰が通りかかってもおかしくない場所で告白するなんて。それくらい私の気持ちは高まっていたのだと思う。


 しばらく社内では秘密にしてお付き合いは進行していた。公表なんてとんでもない、と頑なに反対したのは私だ。しかし数ヶ月後にひょんなことから私達の関係がバレてしまって、一時私達の周りはとても大変な事になったのだった。


 それもなんとか落ち着いて、また静かな日々を取り戻していたのに…。

 昴さんに限って、さっきの彼女らが邪推するような出来事はないと断言できる。しかし、ここ最近の様子は鬼気迫る感じもして、少し怖いくらいだ。

 何かがあった事は確かだと思えた。




「結局打ち明けては…もらえなかったよね」


 つい口に出た言葉でハッとする。

 いけないいけない、すぐ思考が過去にトリップしてしまう。気づけば何本か電車に乗り損ねていたようだ。

 ちょうどホームに滑り込んできた電車に乗り込み、空いている席に腰を下ろす。

 フッと息を吐き、目を閉じる。

 慣れてきたとはいえ、客先でのプレゼンは、神経が擦り減るものだ。

 気づけば少し、ウトウトしていた。


 人が移動する気配で、意識が浮上する。

 ちょうどターミナル駅に着いて、乗客がたくさん降りている所だった。入れ替わりに、湿った空気と共に新たな乗客が入ってくる。


 目の前に立つ人の靴が、不意に目に入った。

 よく手入れされたこげ茶のストレートチップ。

 彼もよく、好んで履いてたな…。週末丁寧に靴の手入れをしている姿を見ているのが好きだった。

 ふと、靴の持ち主が気になった。

 そうっと視線を上げて覗き見る。


 薄い唇、スッと通った鼻梁、ふんわりセットされた柔らかな質感の髪の毛。

 アーモンド型の目が、すでにこちらを見ていた。

 何かを祈るように。


 その目に捉えられた瞬間、息が止まった。

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