7 一年生の前期をクリア
「うふふ……ご覧になられましたか先生。あのアリスさんの完璧なダンスと歌声」
私は本の積み上げられた長机にクッキーの入ったバスケットを置いて、笑顔で頬張っていた。
「見ていない。で、君はなぜここに来ているんだ」
「見ていないなんて人生を損していますわ。とても素晴らしかったので。あとここに来たのはクッキーを見せびらかすためです」
「そんな目的で人の研究室にクッキーの食べかすを落とさないでいただきたいが」
「クッキーを美しく食べることにかけては自信がございます。食べかすなど落としません」
「なんだその自信は……」
つん、とあごをそらした私に、シドニア先生は呆れたような声を出しながら長机の反対側から手を伸ばして勝手にクッキーを一枚取ると、自分の口に放り込んだ。
まあ、お行儀の悪い。
「しかし、君はよくここに来ているが、もしや友人がいな……失礼、触れてはいけないことだったか」
「……わざとらしいお気遣い頂きありがとうございます。ですが友人はおります。ご安心ください」
私はにっこり微笑んでバスケットを自分の方に引き寄せた。失礼な人には食べさせません。
「で、筆記試験は?問題をリークしてくれる教師はいたのか?」
「まあ、リークだなんて……なんて野蛮な発想。先生、遵法精神は大切になさったほうがよろしいかと」
「……君は……」
「まだ全ての結果は出ていませんが今の所問題はなさそうです。もちろんアリスさんがコツコツと勉強を頑張った成果です。この様子なら後期の授業にもついていけると思います」
「ふむ……。本当に試験をすべてパスさせるとは思わなかった――さすがだな」
シドニア先生はそう言って目を細め、優しく微笑った。
私は抱えていたバスケットを長机の上に置き、先生の方へ押しやる。
「……アリスさん本人の努力があってこそ、です」
「それはそうだがな。まあ君も後期は自分の学校生活を楽しむんだな」
「ええ。そのつもりです。……さて、私、この後、友! 人! と約束がありますのでそろそろ失礼いたしますわ」
「ん? ああ、随分バタバタしているな。……わざわざここに来て菓子を食べる必要はあったのか?」
シドニア先生はまた呆れたような顔に戻って、さっさと行けと言わんばかりにしっしと手で追い払う仕草をした。
「そのクッキーは差し上げます……アリスさんと一緒に作ったんですよ。ダンスの先生へお話を通していただいたお礼です」
私は早口気味にそう告げて、先生の返事は聞かずに「ではごきげんよう」と笑顔で身を翻した。
いつもどおり開いたままになっているドアから廊下に出て、すぐにきちんと閉める。
そして――早足で研究棟の階段を駆け下り、下りきったところで壁に背をつけてずるずるとしゃがみこんだ。
なに、あれ!!
熱く熱を持った顔を両手で覆って隠す。
シドニア先生なんていつも顔をしかめてるか呆れ果ててるか拗ねてるか無表情か……あれ、もしかして大体私の言動のせいじゃない?……まあとにかくそのどれかなのに。
何あの笑顔。あの人あんな顔できるの? 反則じゃない?
……心臓が痛いくらい脈打っている。頭の中が沸騰しそう。
待って待って? 落ち着いて私。
シドニア先生は私の推しじゃないでしょう? さらさらロングの髪嫌いだし。
――Alice taleの、攻略対象だし。
先生はアリスへの初期好感度が高い。だから協力してくれただけ。
私が勝手に研究室に押しかけるから相手にしてくれてるだけ。
落ち着いて、私。
よし、落ち着いたわ。落ち着いたわよね?
……私だって、私を含めたみんながゲームのキャラじゃなくて現実に存在している人だから、感情までゲーム通りじゃないことはわかってる。
だから『初期好感度』のパラメータなんてない可能性は高い。
でもね、これはゲームの強制力というやつの問題よ。
この世界がどこまでゲームの展開に沿って回っているのかがわからない以上、変に攻略対象者に……好意を抱くようなことは避けるべきだわ。
幸い、アリスは無事一年生の前期をクリアできそうだし、後期もこのまま行けば大丈夫そう。
順調に行けば二年後にはアリスが聖女であることが発覚して世界は救われるハズ。
と、いうわけで私はここでお役御免。
これからは攻略対象者とは必要以上に関わらず、アレクト殿下とのフラグ折り作業に専念するのよ。
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このアカデミアは全寮制をとっていて、寮は基本的に二人一部屋。
同学年で比較的身分が近い相手と同室になる。あまり身分差があると下の子がストレスMAXになってしまうからね。
で、私と同室なのは公爵家のお嬢様、エイダ・ランク。彼女のお祖母様が公女様だったので、アレクト殿下たちのはとこに当たる。
身分はとても高いのだけど、とても気さくで気のいい友人である。
シドニア先生の研究室から逃走してきた私は、エイダと街のカフェにやってきていた。
本当にあったのよ、友人との約束。
二年生の私達も試験が終わったので、打ち上げ兼季節の新作スイーツのチェックである。
ここのところアリスの勉強に付き合って放課後はつきっきりになることが多かったので、街に出るのはかなり久しぶりだ。
「で、ユディ。ご執心の下級生ちゃんとの放課後の逢引はもういいの?」
エイダがボリューム満点の夏のシトラス山盛りパフェを攻略する手を止め、ワクワクを隠しもせずに私に聞いてくる。
「……いかがわしい言い方はやめて、エイダ。あれは勉強会よ。殿下たちやアリスさんのお友達も一緒だし。そして、もう後期の勉強は大丈夫そうだから私の出番はおしまい」
「あれ、もう面倒見ないの? 普通に可愛がってるのかと思ったのに」
「可愛らしいとは思うけど……ねえ、なんでペンと手帳を持ってるの? また小説のネタにしようとしてるでしょ」
エイダは小説を書いて、覆面作家として活動している変わったお嬢様だ。
最近の彼女は女性同士の恋愛、いわゆる百合小説にハマっているので下手に何かネタを与えてしまうと、しばらくの後に私とアリスをモデルにした恋愛小説が巷に出回ってしまう。
……いや、むしろもう出回ってるのかもしれないけど。
彼女はえへへ……と笑いながら手に持っていたペンをテーブルに置くと、スプーンを持ってパフェ攻略を再開した。
「やだわぁ、ネタだなんて。参考よ参考。――じゃあペンと手帳はしまうから。頭の中ではメモるけど」
「……」
「放課後のダンスレッスン……いい響きよね……そして勉強会では『貴女が覚えたいのはこの公式? それとも……私との口づけの味?』みたいな展開カモン」
さあ詳しく話してご覧、とエイダが目を光らせる。
だめだこいつ腐ってやがる。
「すごい、ユディが心から軽蔑したような目をしてる。噂の聖女様からそんな目で見られるのすごいレアな経験だわ何かのネタにならないかしら」
「ちょっと黙ってパフェを口に詰め込む作業に徹してくれないかしら」
「もー、あんまり積極的に他の人と絡まないユディが、珍しく一生懸命人の面倒見てるから絶対話し聞いてやろうと思って勉強手伝ってもらうの我慢して見守ってたのに。ネタを提供してくれないなら邪魔すればよかったわ」
エイダは不満げにぷう、と頬を膨らませて大きな塊を口に放り込む。
私は一部からは『高嶺の花』とか呼ばれて、孤高の存在っぽく思われているようなのだけど……。
実際のところ、家同士の派閥争いにも、王子殿下の婚約者の地位争奪戦にも参加する気がないので、当たり障りない感じで広く浅く人と付き合って過ごしてきただけである。
そのへんの実態を知っているエイダからしてみれば、ここしばらくの私のアリス嬢への入れ込み方は異様だっただろう。
ネタを期待されるのも仕方がない。
それでもネタ提供はしないがな。
つまんないのー、と口を尖らせるエイダの口に「ほらコレも美味しいわよ」と自分のケーキを突っ込んで黙らせる。
貴女がつまらないと言えるのは聖女様が落第の危機を回避して世界の危機が遠のいたからなのよ。
でも、私がそんな風に平和でいられたのは、後期が始まって新たな問題が発覚するまでの短い間だった。